名将言行録 / 『名将言行録』織田信長 弱気を装う長篠の布石
○長篠の役、信長牛久保より新城まで三里の路を三日に押す。敵恐れてのこととて上下擧つて之を誹れり。信長の眞意は敵に弱氣を見せ驕り侮らせて勝を取らんとの謀なり。勝賴、之を知らず、我を侮り、暴戰して、一敗地に塗れり。 ○此役、信長曰く、武田家中の者共は、馬を能く乘り、敵陣を乘破る由聞き及びし間、備の前に柵を振るべしとて、振らせ、偖て曰く、勝賴は、德川殿が年來の敵にて候へば、此度本意を遂げらるべくと思はれ、深入りして、討死せらるべきことも之あるべきか、若し討死抔せられては、此軍勝ちても詮なし、兎角德川殿、今日は佛に御成り候て、諸事御構ひ有間敷候、我等に任せ置かれ候へ、今日の戰には、勝賴方の者共を練雲雀の如く致して見せ申べくと。偖勝賴川を渡り來て戰を始むる、信長方にては、兼ねて支度せしことなれば、足輕共を差出し、鳥銃を打せける、敵方强く押來れば、柵の內へ引入る。敵柵を乘崩さんと、一群に五騎、十騎、三十騎、一さんに乘掛り、柵の柱に行當り、是非に及ばず、取て返す處を、鳥銃にて打付け、五騎十騎づゝ打落しければ、後々は勝賴方、草臥果て、信長の言し如く練り雲雀の如く成りたるを、信長、見て時分能し、掛れと下知せし故、旗本一同に掛りければ、勝賴方終に、總敗軍に及びたり。
新字:○長篠の役、信長牛久保より新城まで三里の路を三日に押す。敵恐れてのこととて上下挙つて之を誹れり。信長の真意は敵に弱気を見せ驕り侮らせて勝を取らんとの謀なり。勝頼、之を知らず、我を侮り、暴戦して、一敗地に塗れり。 ○此役、信長曰く、武田家中の者共は、馬を能く乗り、敵陣を乗破る由聞き及びし間、備の前に柵を振るべしとて、振らせ、偖て曰く、勝頼は、徳川殿が年来の敵にて候へば、此度本意を遂げらるべくと思はれ、深入りして、討死せらるべきことも之あるべきか、若し討死抔せられては、此軍勝ちても詮なし、兎角徳川殿、今日は仏に御成り候て、諸事御構ひ有間敷候、我等に任せ置かれ候へ、今日の戦には、勝頼方の者共を練雲雀の如く致して見せ申べくと。偖勝頼川を渡り来て戦を始むる、信長方にては、兼ねて支度せしことなれば、足軽共を差出し、鳥銃を打せける、敵方強く押来れば、柵の内へ引入る。敵柵を乗崩さんと、一群に五騎、十騎、三十騎、一さんに乗掛り、柵の柱に行当り、是非に及ばず、取て返す処を、鳥銃にて打付け、五騎十騎づゝ打落しければ、後々は勝頼方、草臥果て、信長の言し如く練り雲雀の如く成りたるを、信長、見て時分能し、掛れと下知せし故、旗本一同に掛りければ、勝頼方終に、総敗軍に及びたり。
書き下し
○長篠の役、信長牛久保より新城まで三里の路を三日に押す。敵恐れてのこととて上下擧つて之を誹れり。信長の眞意は敵に弱氣を見せ驕り侮らせて勝を取らんとの謀なり。勝賴、之を知らず、我を侮り、暴戰して、一敗地に塗れり。 ○此役、信長曰く、武田家中の者共は、馬を能く乘り、敵陣を乘破る由聞き及びし間、備の前に柵を振るべしとて、振らせ、偖て曰く、勝賴は、德川殿が年來の敵にて候へば、此度本意を遂げらるべくと思はれ、深入りして、討死せらるべきことも之あるべきか、若し討死抔せられては、此軍勝ちても詮なし、兎角德川殿、今日は佛に御成り候て、諸事御構ひ有間敷候、我等に任せ置かれ候へ、今日の戰には、勝賴方の者共を練雲雀の如く致して見せ申べくと。偖勝賴川を渡り來て戰を始むる、信長方にては、兼ねて支度せしことなれば、足輕共を差出し、鳥銃を打せける、敵方强く押來れば、柵の內へ引入る。敵柵を乘崩さんと、一群に五騎、十騎、三十騎、一さんに乘掛り、柵の柱に行當り、是非に及ばず、取て返す處を、鳥銃にて打付け、五騎十騎づゝ打落しければ、後々は勝賴方、草臥果て、信長の言し如く練り雲雀の如く成りたるを、信長、見て時分能し、掛れと下知せし故、旗本一同に掛りければ、勝賴方終に、總敗軍に及びたり。
現代語訳
長篠の役で、信長は牛久保から新城まで三里の道を三日かけて進軍した。敵は恐れてのことだろうと、上下こぞってこれをそしった。信長の真意は、敵に弱気を見せて驕り侮らせて勝ちを取ろうという謀であった。勝頼はこれを知らず、我を侮り、乱暴に戦って、一敗地に塗れた。 この役で信長は言った。「武田家中の者どもは、馬をよく乗りこなし、敵陣を乗り破ると聞き及んでいるので、備えの前に柵を振れ」と言って、振らせた。そして言った。「勝頼は、徳川殿の年来の敵であるから、このたび本意を遂げようと思って、深入りして討ち死にされることもあるだろう。もし討ち死になどされては、この軍は勝っても詮ないことになる。とかく徳川殿は、今日は仏になられて、諸事お構いなさるな。我らに任せ置かれよ。今日の戦では、勝頼方の者どもを練雲雀のようにして見せよう」と。さて勝頼は川を渡って来て戦を始め、信長方ではかねて支度したことなので、足軽どもを差し出して、鳥銃を撃たせた。敵方が強く押して来ると、柵の内へ引き入れる。敵は柵を乗り崩そうと、一群に五騎、十騎、三十騎、一散に乗り掛かり、柵の柱に行き当たり、是非なく取って返すところを、鳥銃で撃ち付け、五騎十騎ずつ撃ち落としたので、後々は勝頼方は疲れ果て、信長の言ったとおり練り雲雀のようになったのを、信長は見て、時分よし、掛かれと指図したので、旗本一同が掛かったところ、勝頼方はついに総敗軍に及んだ。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
言志四録・言志晩録 別存 第七条 進講の前日は心斎す公進講有る毎に、前一日心斎して家に在り。緊要急務有るに非ざれば、則ち客来るも面せず。蓋し此くの如くならざれば、則ち講に臨みて以て主聴を竦ましむるに足らず。余竊かに敬服す。
-
司馬法・定爵教えは惟(こ)れ豫(あらかじ)め、戦いは惟れ節(せつ)。
-
うひ山ぶみ・第六段まことに然あるべきことにて、その学のしなを正し、まなびやうの法をも正して、ゆくさきよこさまなるあしき方に落チざるやう、又其業のはやく成るべきやう、すべて功多かるべきやうを、はじめよりよくしたゝめて、入らまほしきわざ也、
-
『甲陽軍鑑』品第十四惣別信玄公の合戦は働き前へに取りかけんと、思ふ国のゑづをもつて、各守侍大将打ち寄り、其国の嶮難の塲をさたして、一の手·二の手·横鎗·脇備·後備·小荷駄奉行所に依りてまほる旗遊軍·押勢などゝ申す事わり候ひて、卒爾にがけなどへころびおつる儀いづかたにても、さのみ無之、左様にいたすを甲州の軍法といふ、但しかり田などにゆき人夫の一二人は在々などにて、自然穴へおつることも有るべし、味方が原合戦の刻みがけへ落ちたる武田武者一人もなく候、家康武者もみだりに北たる衆なければ、結句馬塲美濃守は浜松衆の体皆勝負をして死する故、此方へ向きたると信玄公御前にて家康衆をあさからずほめ候、信長衆佐久間右衛門は合戦にあはず浜松の城に迯げ入り、其外六七手は其夜に吉田岡崎迄落ちつるときく、是れは味方が原の儀馬をいるゝと云ふに付ての事、
-
孫子・形篇是の故に勝兵はまず勝ちて後に戦い、敗兵はまず戦いて後に勝ちを求む。
-
『呻吟語』内篇・談道・權は豫め設く可からず事に豫めして立つ有り、亦た豫めして廢るる者有り。吾れ曾て豫めして以て待つ有りしも、事に臨みて鑿枘合はず、竟に棄擲と成る者あり。所謂る權は豫め設く可からず、變は先に圖る可からずとは、又た一を執りて論じ難きなり。