名将言行録 / 『名将言行録』織田信長 夜の焚き火から読む敵
○姊川の役、淺井久政、長政、援を朝倉に乞ふ。義景則ち朝倉孫三郎景健に、一萬餘人を付けて後詰さす。二十七日越前勢大寄山に屯し、夜に入て淺井父子、朝倉景健と會合して軍議す。時に長政大寄山より、信長の本陣まで行程五十餘町を隔つ。直ぐに掛りて戰はゞ、人馬共に勞れ利あるべからず、今夜是より野村、三田村へ陣を移し、二十八日早天に軍を發し、敵の不意を擊んと言ければ、淺井半助熟々信長の兵を用ふるを見るに、其敏きこと猿猴の梢を傳ふが如く、敵の機を早く察し、忽ち手段を改むる將なれば、味方の謀を察し、容易には野村、三田村まで陣を移させらるべからずと言ふ所に、遠藤喜右衞門直繼、君の謀、圖に當れりと勸めしかば、彌よ野村、三田村へ出張し、一戰に及ばんとて、旣に其支度に及べり。然るに信長は明察なる大將なれば、終夜敵陣の燒火を熟視して、偖は淺井朝倉今夜大寄山の陣を拂て、朝合戰に掛ると覺ゆ、是我が望む所なりと言て、則ち備を定めて之を待ち、果して、大に之を敗れり。○二年九月、信長比叡山延曆寺を亡さんと欲し勢田に陣し、諸將に命じ、火を放ち叡山を焚かしむ。諸將皆色を失ふ。佐久間信盛等、諫めて桓武帝、此寺を創建し給ひしより、爰に幾千年、王城の鎭たり。依て古より今に至るまで、誰ありて一人之を犯せし者候はず、然るに今之を亡されなば、如何あるべきやと言ふ。信長吾國賊を除んと欲するのみ、汝輩何ぞ我を阻するや、吾四海を定め、王道の衰ふるを興さんと欲し、筋骨を勞し、身命を輕んじ、未だ嘗て一日も安居せず、去年攝津を略し、兩城將に陷らんとする時に當り、淺井長政、朝倉義景兵を擧げ、我が後を窺ふ、吾依て兩城を舍てゝ返り、二賊を山上に棲ましめて、以て之を殲さんと欲し、人を遣はし、僧徒を諭し、禍福を陳說せしむと雖も、彼竟に服せず、務めて凶徒を助け王師に梗せり。
新字:○姊川の役、浅井久政、長政、援を朝倉に乞ふ。義景則ち朝倉孫三郎景健に、一万余人を付けて後詰さす。二十七日越前勢大寄山に屯し、夜に入て浅井父子、朝倉景健と会合して軍議す。時に長政大寄山より、信長の本陣まで行程五十余町を隔つ。直ぐに掛りて戦はゞ、人馬共に労れ利あるべからず、今夜是より野村、三田村へ陣を移し、二十八日早天に軍を発し、敵の不意を撃んと言ければ、浅井半助熟々信長の兵を用ふるを見るに、其敏きこと猿猴の梢を伝ふが如く、敵の機を早く察し、忽ち手段を改むる将なれば、味方の謀を察し、容易には野村、三田村まで陣を移させらるべからずと言ふ所に、遠藤喜右衛門直継、君の謀、図に当れりと勧めしかば、弥よ野村、三田村へ出張し、一戦に及ばんとて、既に其支度に及べり。然るに信長は明察なる大将なれば、終夜敵陣の焼火を熟視して、偖は浅井朝倉今夜大寄山の陣を払て、朝合戦に掛ると覚ゆ、是我が望む所なりと言て、則ち備を定めて之を待ち、果して、大に之を敗れり。○二年九月、信長比叡山延暦寺を亡さんと欲し勢田に陣し、諸将に命じ、火を放ち叡山を焚かしむ。諸将皆色を失ふ。佐久間信盛等、諫めて桓武帝、此寺を創建し給ひしより、爰に幾千年、王城の鎮たり。依て古より今に至るまで、誰ありて一人之を犯せし者候はず、然るに今之を亡されなば、如何あるべきやと言ふ。信長吾国賊を除んと欲するのみ、汝輩何ぞ我を阻するや、吾四海を定め、王道の衰ふるを興さんと欲し、筋骨を労し、身命を軽んじ、未だ嘗て一日も安居せず、去年摂津を略し、両城将に陥らんとする時に当り、浅井長政、朝倉義景兵を挙げ、我が後を窺ふ、吾依て両城を舎てゝ返り、二賊を山上に棲ましめて、以て之を殲さんと欲し、人を遣はし、僧徒を諭し、禍福を陳説せしむと雖も、彼竟に服せず、務めて凶徒を助け王師に梗せり。
書き下し
○姊川の役、淺井久政、長政、援を朝倉に乞ふ。義景則ち朝倉孫三郎景健に、一萬餘人を付けて後詰さす。二十七日越前勢大寄山に屯し、夜に入て淺井父子、朝倉景健と會合して軍議す。時に長政大寄山より、信長の本陣まで行程五十餘町を隔つ。直ぐに掛りて戰はゞ、人馬共に勞れ利あるべからず、今夜是より野村、三田村へ陣を移し、二十八日早天に軍を發し、敵の不意を擊んと言ければ、淺井半助熟々信長の兵を用ふるを見るに、其敏きこと猿猴の梢を傳ふが如く、敵の機を早く察し、忽ち手段を改むる將なれば、味方の謀を察し、容易には野村、三田村まで陣を移させらるべからずと言ふ所に、遠藤喜右衞門直繼、君の謀、圖に當れりと勸めしかば、彌よ野村、三田村へ出張し、一戰に及ばんとて、旣に其支度に及べり。然るに信長は明察なる大將なれば、終夜敵陣の燒火を熟視して、偖は淺井朝倉今夜大寄山の陣を拂て、朝合戰に掛ると覺ゆ、是我が望む所なりと言て、則ち備を定めて之を待ち、果して、大に之を敗れり。○二年九月、信長比叡山延曆寺を亡さんと欲し勢田に陣し、諸將に命じ、火を放ち叡山を焚かしむ。諸將皆色を失ふ。佐久間信盛等、諫めて桓武帝、此寺を創建し給ひしより、爰に幾千年、王城の鎭たり。依て古より今に至るまで、誰ありて一人之を犯せし者候はず、然るに今之を亡されなば、如何あるべきやと言ふ。信長吾國賊を除んと欲するのみ、汝輩何ぞ我を阻するや、吾四海を定め、王道の衰ふるを興さんと欲し、筋骨を勞し、身命を輕んじ、未だ嘗て一日も安居せず、去年攝津を略し、兩城將に陷らんとする時に當り、淺井長政、朝倉義景兵を擧げ、我が後を窺ふ、吾依て兩城を舍てゝ返り、二賊を山上に棲ましめて、以て之を殲さんと欲し、人を遣はし、僧徒を諭し、禍福を陳說せしむと雖も、彼竟に服せず、務めて凶徒を助け王師に梗せり。
現代語訳
姉川の役で、浅井久政、長政は朝倉に援軍を乞うた。義景はそこで朝倉孫三郎景健に一万余人を付けて後詰めさせた。二十七日、越前勢は大寄山に屯し、夜に入って浅井父子は朝倉景健と会合して軍議した。そのとき長政は、大寄山から信長の本陣まで行程五十余町を隔てている、すぐに掛かって戦えば、人馬ともに疲れて利はないだろう、今夜ここから野村、三田村へ陣を移し、二十八日の早朝に軍を発して、敵の不意を撃とうと言ったところ、浅井半助がよくよく信長の兵の用い方を見るに、その敏いことは猿が梢を伝うようで、敵の機を早く察し、たちまち手段を改める将であるから、味方の謀を察して、容易には野村、三田村まで陣を移させまいと言うところに、遠藤喜右衛門直継が、君の謀は図に当たったと勧めたので、いよいよ野村、三田村へ出張して一戦に及ぼうと、すでにその支度に及んだ。ところが信長は明察な大将であるから、終夜敵陣の焚き火をよく見つめ、さては浅井・朝倉は今夜大寄山の陣を払って、朝合戦に掛かると見える、これは私の望むところだと言って、ただちに備えを定めてこれを待ち、はたして大いにこれを破った。二年九月、信長は比叡山延暦寺を滅ぼそうと思い、勢田に陣して、諸将に命じ、火を放って叡山を焼かせた。諸将は皆色を失った。佐久間信盛らが諫めて、桓武帝がこの寺を創建なさってから、ここに幾千年、王城の鎮めとなっております、それゆえ昔から今に至るまで、一人もこれを犯した者はおりません、それなのに今これを滅ぼしてしまえば、どうなりましょうか、と言った。信長は、「私は国賊を除こうと思うだけだ。お前たちはどうして私を阻むのか。私は四海を定め、王道の衰えを興そうと思い、筋骨を労し、身命を軽んじ、いまだかつて一日も安居しなかった。去年摂津を略し、両城が陥ろうとする時に当たり、浅井長政、朝倉義景が兵を挙げ、我が後をうかがった。私はそこで両城を捨てて引き返し、二賊を山上に棲ませて、これを殲滅しようと思い、人を遣わして僧徒を諭し、禍福を説かせたが、彼らはついに服さず、努めて凶徒を助け、王師に逆らった。
解説

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