名将言行録 / 『名将言行録』織田信長 護衛に木下秀吉を選ぶ
○義昭、旣に二條に移り、信長に謂て曰く、方今兵革未だ止まず、去れば驍將一人を留めて、我を衛護すべしと。時に佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀、宿將なるを以て、任用せらる。人皆二條の護衞は必ず三將の中ならんと思へり。旣にして信長、木下秀吉に命ず。衆皆驚愕せり。群臣秀吉の寵遇を嫉みて屢之を讒すれども、信長之を待すること愈々厚し。常に曰く、人を用ふるの道は能否を撰ぶべし、何ぞ新故を論ぜんと。信長の人を知り、善く任ずること斯の如し。衆是を以て之に服せり。 ○應仁以來、京師屢々兵革を歷、皇宮大に壞れり。信長命じ、之を修治す。村井道家をして役を董さしむ。元龜元年、皇居成る。殿堂門撫悉く舊制に依れり。又金を都民に散じ、其息を收めさせて、以て大內の經費に供し、品流を甄し滯淹を振ひ、衣冠、流落の者は往々舊に復せり。
新字:○義昭、既に二条に移り、信長に謂て曰く、方今兵革未だ止まず、去れば驍将一人を留めて、我を衛護すべしと。時に佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀、宿将なるを以て、任用せらる。人皆二条の護衛は必ず三将の中ならんと思へり。既にして信長、木下秀吉に命ず。衆皆驚愕せり。群臣秀吉の寵遇を嫉みて屡之を讒すれども、信長之を待すること愈々厚し。常に曰く、人を用ふるの道は能否を撰ぶべし、何ぞ新故を論ぜんと。信長の人を知り、善く任ずること斯の如し。衆是を以て之に服せり。 ○応仁以来、京師屡々兵革を歴、皇宮大に壊れり。信長命じ、之を修治す。村井道家をして役を董さしむ。元亀元年、皇居成る。殿堂門撫悉く旧制に依れり。又金を都民に散じ、其息を収めさせて、以て大内の経費に供し、品流を甄し滞淹を振ひ、衣冠、流落の者は往々旧に復せり。
書き下し
○義昭、旣に二條に移り、信長に謂て曰く、方今兵革未だ止まず、去れば驍將一人を留めて、我を衛護すべしと。時に佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀、宿將なるを以て、任用せらる。人皆二條の護衞は必ず三將の中ならんと思へり。旣にして信長、木下秀吉に命ず。衆皆驚愕せり。群臣秀吉の寵遇を嫉みて屢之を讒すれども、信長之を待すること愈々厚し。常に曰く、人を用ふるの道は能否を撰ぶべし、何ぞ新故を論ぜんと。信長の人を知り、善く任ずること斯の如し。衆是を以て之に服せり。 ○應仁以來、京師屢々兵革を歷、皇宮大に壞れり。信長命じ、之を修治す。村井道家をして役を董さしむ。元龜元年、皇居成る。殿堂門撫悉く舊制に依れり。又金を都民に散じ、其息を收めさせて、以て大內の經費に供し、品流を甄し滯淹を振ひ、衣冠、流落の者は往々舊に復せり。
現代語訳
義昭はすでに二条に移り、信長に言った。「今、戦乱はまだ止まない。それゆえ驍将を一人留めて私を守衛させてほしい」と。そのとき佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀は宿将であるので、任用されるだろうと、人は皆、二条の護衛は必ず三将の中の者だろうと思った。ところが信長は木下秀吉に命じた。衆は皆驚愕した。群臣は秀吉が寵遇されるのを妬んでしばしば讒言したが、信長はこれを遇することをいよいよ厚くした。信長はつねに、人を用いる道は、能否を選ぶべきである、どうして新参か古参かを論じようか、と言った。信長が人を知り、よく任ずること、このようであった。衆はこれによって服した。 応仁以来、京師はたびたび兵乱を経て、皇居は大いに壊れていた。信長は命じてこれを修理させた。村井道家に工事を監督させた。元亀元年、皇居が成った。殿堂・門・垣はすべて旧制によった。また金を都の民に貸し付け、その利息を収めさせて、それを大内の経費に供し、品流を選び滞りを救い、衣冠で落ちぶれた者は往々にして旧に復した。
解説

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