名将言行録 / 『名将言行録』織田信長 鷹を断り家康と誓う
○四年、丹波の赤澤加賀守、信長に佳鷹一足を贈くる。信長喜びて曰く、甚だ厚情を荷へり、然れども吾正に四方に事あり、未だ遊獵するに暇あらず、吾天下を定めて後、受くるとも、未だ晩からずとて戻せり。果して十年を出ずして旗を京師に建てり。 ○信長、德川家康と和睦す。家康清洲に來り、對面の時、信長曰く、今度和睦申上るは、某五畿內指して打從へ申べし、德川殿には駿河を打從らるべし、强敵あらば互に加勢あるべし、兩旗を以て天下一統の世に爲すべきは、案の內なり、爰に了簡あり、既に清盛、義朝、勅定に依て、天下泰平の世となりしに、兩將雌雄を爭て、終に相共に亡べり。其後義貞、尊氏、亦斯の如し。先車の覆るを見て、後車の戒と爲すとは、此事なり。自今已後兩雄威を爭ふことなく、織田が武將に備はらば、德川幕下に屬すべし。德川武將に備はらば、織田幕下に參るべし、全く一言の虛妄あるべからずと、起請文を取替はし、互に斜めならず祝着せしとぞ。
新字:○四年、丹波の赤沢加賀守、信長に佳鷹一足を贈くる。信長喜びて曰く、甚だ厚情を荷へり、然れども吾正に四方に事あり、未だ遊猟するに暇あらず、吾天下を定めて後、受くるとも、未だ晩からずとて戻せり。果して十年を出ずして旗を京師に建てり。 ○信長、徳川家康と和睦す。家康清洲に来り、対面の時、信長曰く、今度和睦申上るは、某五畿内指して打従へ申べし、徳川殿には駿河を打従らるべし、強敵あらば互に加勢あるべし、両旗を以て天下一統の世に為すべきは、案の内なり、爰に了簡あり、既に清盛、義朝、勅定に依て、天下泰平の世となりしに、両将雌雄を争て、終に相共に亡べり。其後義貞、尊氏、亦斯の如し。先車の覆るを見て、後車の戒と為すとは、此事なり。自今已後両雄威を争ふことなく、織田が武将に備はらば、徳川幕下に属すべし。徳川武将に備はらば、織田幕下に参るべし、全く一言の虚妄あるべからずと、起請文を取替はし、互に斜めならず祝着せしとぞ。
書き下し
○四年、丹波の赤澤加賀守、信長に佳鷹一足を贈くる。信長喜びて曰く、甚だ厚情を荷へり、然れども吾正に四方に事あり、未だ遊獵するに暇あらず、吾天下を定めて後、受くるとも、未だ晩からずとて戻せり。果して十年を出ずして旗を京師に建てり。 ○信長、德川家康と和睦す。家康清洲に來り、對面の時、信長曰く、今度和睦申上るは、某五畿內指して打從へ申べし、德川殿には駿河を打從らるべし、强敵あらば互に加勢あるべし、兩旗を以て天下一統の世に爲すべきは、案の內なり、爰に了簡あり、既に清盛、義朝、勅定に依て、天下泰平の世となりしに、兩將雌雄を爭て、終に相共に亡べり。其後義貞、尊氏、亦斯の如し。先車の覆るを見て、後車の戒と爲すとは、此事なり。自今已後兩雄威を爭ふことなく、織田が武將に備はらば、德川幕下に屬すべし。德川武將に備はらば、織田幕下に參るべし、全く一言の虛妄あるべからずと、起請文を取替はし、互に斜めならず祝着せしとぞ。
現代語訳
四年、丹波の赤沢加賀守が、信長に佳い鷹一足を贈った。信長は喜んで言った。「たいへん厚情を受けた。しかし私は今、四方に事があり、まだ狩猟をする暇がない。私が天下を定めた後に受けても、遅くはない」と言って戻した。はたして十年を出ないうちに旗を京師に建てた。 信長は徳川家康と和睦した。家康が清洲に来て、対面のとき、信長は言った。「このたび和睦を申し上げたのは、私は五畿内を指して従え申そう、徳川殿は駿河を従えられるがよい、強敵があれば互いに加勢しよう、両旗をもって天下一統の世にすることは案の内である。ここに考えがある。すでに清盛、義朝は勅定によって天下泰平の世となったのに、両将が雌雄を争って、ついに相共に亡びた。その後、義貞、尊氏もまたこのようであった。先車の覆るを見て後車の戒めとすると言うのは、このことである。今より以後、両雄が威を争うことなく、織田が武将にふさわしければ徳川は幕下に属し、徳川が武将にふさわしければ織田が幕下に参ろう。まったく一言の虚妄もない」と、起請文を取り交わし、互いに並々ならず喜んだという。
解説

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