名将言行録 / 『名将言行録』織田信長 評・大迂回作戦の先例
これは、大迂回作戰である。昔の兵法では、大中入りの戰法と云ふ。小牧山の戰のとき、池田勝入齋は之を眞似し失敗した。
新字:これは、大迂回作戦である。昔の兵法では、大中入りの戦法と云ふ。小牧山の戦のとき、池田勝入斎は之を真似し失敗した。
書き下し
これは、大迂回作戰である。昔の兵法では、大中入りの戰法と云ふ。小牧山の戰のとき、池田勝入齋は之を眞似し失敗した。
現代語訳
これは、大迂回作戦である。昔の兵法では、大中入りの戦法という。小牧山の戦のとき、池田勝入斎はこれを真似して失敗した。
解説
菊池寛は評で、桶狭間の戦いを大迂回作戦と呼び、古い兵法でいう大中入りの戦法にあたるとし、小牧山の戦で池田勝入斎が同じ戦法を真似して失敗した例を挙げます。小牧・長久手の戦いで池田恒興(勝入斎)が三河を突く別動隊に加わって敗れたことを指すと読めますが、本文は簡潔で、詳細には触れていません。成功した戦法を形だけ真似しても、前提となる状況が異なれば失敗する、という教訓を含みます。他社の成功事例を取り入れるときに、再現できる条件かを吟味する必要を示します。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
大迂回作戦大中入り小牧山池田勝入斎模倣の失敗菊池寛の評
関連する章句
-
名将言行録・『名将言行録』豐臣秀吉 評・大器の汚点闊達な秀吉の大性格は、あらゆる逸話に現はれてゐて、氣持がいゝ。天成の大器であつたことが分る。殘忍な點や陰險な點が少しもないのは、後世に人氣のある所以である。 しかし、小牧山の結末を、あまりに外交手段に依つたことは、德川家康に威をつけ過ぎ、後年豐家の天下を奪はれた遠因をなしてゐると思ふ。どうも、偉人の常として、信ありすぎ、家康に對してもとにかく手馴けてしまへば、後はビクともさせることでないと思つたのであらうか、相手がまた相手で、表向はあくまで心服した如く見せかけて、自家を强化しつゝ、じつと辛抱してゐたのである。 秀吉の一生の汚點は、秀次の處分で、その妻妾をまで殺したことは、辯護しがたい失策であらう。半島出兵の中半以後は、秀吉も少しタガがゆるんだのではないかとは、多くの史家の定說である。
-
名将言行録・『名将言行録』豐臣秀吉 評・細瑾が招いた遠因然し、かうした細瑾を顧みざる大行が、豐家の社稷を失つた遠因になつてゐる。
-
名将言行録・『名将言行録』石田三成 評・失敗の中の器量家康と三成とが、同じ位の器量としても、一方は佐和山二十四萬石で、片一方は、關八州二百五十萬石だし、それに平生の威望が違ふのだから、戰の數は自ら定まつてゐたわけである。と、云つてあの時期を失したら、家康の勢力は、如何ともしがたくなつたに違ひない。 豐臣の天下が、德川に移つたのは、三成だけの責任ではなく、秀吉が小牧山の戰を、いゝ加減にして、家康を徹底的に叩きつけなかつたことに、その遠因があるとも云へるし、秀吉取立の大名の政治的無自覺にあるとも云へるのである。 文弱のやうに云はれてゐるが、佐和山の居城などは、質素剛健で、壁は荒壁のまゝであつたと云ふし、關ヶ原では、島左近初、旗下の士が決死奮鬪してゐるところを見ると、武將としても堂々たるものである。 戰國時代の人物としては、その失敗にも拘はらず、五指の中に數へてもいゝ人である。
-
名将言行録・『名将言行録』豐臣秀吉 評・秀吉の謀略秀吉も、亦謀略の點で、人後に落ちない。
-
名将言行録・『名将言行録』織田信長 面目を雪ぐ機転と見立て○或陣に、一瀨久三郎、信長の胃を直し居たる所に、老臣林佐渡守通勝來り、一瀨に向ひて、御胃北向なり、直され候へと屹と言ける。誤りたりとて、驚て直さんとせしを、信長此敵は一揆のことなれば、何方より來らんも知らず、其儘置き候へと言はれしかば、一瀨面目を雪ぎけり。兎角せし中に、北の森の蔭より旆こそ見えけれとて、味方進み戰て終に大利を得たり。一瀨一番に掛合うて功名せり。其晩信長一瀨を召し、今朝の事は如何にと言はれければ、御意に依て面目を雪ぎて候と言へり。信長心地よげに、感狀、褒美を與へけり。又通勝をも召して挨拶ありしとぞ。 ○信長、美濃陣に唐の頭掛けたる武者の逃くるを、池田信輝、追掛け打取らんとするに、彼武者兎角して逃延びたり。信長、信輝を召し、彼唐の頭は神子田長門にてあるべしと言ふ。聞けば神子田なり。信長、左樣にてあるべし、先日の樣なる烈敷退口は、臆病者は逃兼ね、其儘首を取らるゝものなり、利發に取廻はし、逃げすましたるは、大剛の者にてあるべしと思ひたれば、案の如く神子田なりと言て笑はれたり。
-
名将言行録・『名将言行録』柴田勝家 評・二重の不運勝家にとつて、信長が中途にして斃れたことは、第一の不幸であり、秀吉の先輩であつたことは、第二の不幸である。彼の立場として、おめ〳〵秀吉に屈服するわけには行かなかつたのである。