名将言行録 / 『名将言行録』豐臣秀吉 評・秀吉の謀略
秀吉も、亦謀略の點で、人後に落ちない。
新字:秀吉も、亦謀略の点で、人後に落ちない。
書き下し
秀吉も、亦謀略の點で、人後に落ちない。
現代語訳
秀吉もまた、謀略という点では、人に引けを取らない。
解説
直前の北畠信雄の重臣をめぐる話を受けて、菊池寛は評で、秀吉も謀略の点では他の武将に劣らないと簡潔に述べます。秀吉というと人を引きつける明るさや大度が語られがちですが、評はそこに策略の面を加えます。これは菊池が人物の多面性を指摘する書き方で、肯定とも批判とも決めつけず、事実として受け止めさせる効果があります。組織を率いる人も、誠実さと駆け引きの両面を求められる場面があります。ただし、駆け引きを手段として使うにしても、長く信頼を保つには、どこまでを許すかの線を自分で決めておく必要があります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
謀略秀吉多面性評駆け引き人物評
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