名将言行録 / 『名将言行録』織田信長 濃姫を使った離間の策
秀龍聞て、去れば今に見給へ、此秀龍が子供は頓てあの戯氣者が門前に馬を繋ぎ候はんこと、案の內に候へば、口惜く存ずると言て涙含みてぞ答へしとぞ。信長時に年二十。 ○初め信長、齋藤秀龍と地を爭ひて相戰へども、常に克たず。信長之を憂ひ、秀龍の君臣を離間せんとし、先づ兩家老に就て使者を遣はし、我は秀龍の敵にあらず、秀龍の濃姬を我に許されば、嫁娶を調へて旗下に屬し、難に赴き危きを救ふべしと言送りければ、秀龍同心す。信長濃姬を迎へて後一年程過ぎて濃姬の熟睡するを伺ひて、密に起きて外に出て曉に至つて歸ること一月計りなり。濃姬之を怪みて申けるは、君忍びて心を通はし給ふ者あらば、顯はに宣へ、何ぞ御身を壅されて深く包ませ給ふぞや、妾聊か妬む心は侍らぬものを、此比の御氣色不審くこそと恨み顏なれば、信長否去ることにあらず、我に一つの祕計あり、我のみ知りて、人に知らすべきことにあらねば疑はるゝも理なりとて、又前の如くすること一月計り、濃姬怪みて、之を問て止まず、信長、夫婦の情は淺からねども、隱くすべきを隱くさゞれば、事泄れて謀調はず、去れば、口を噤むも實に隔てあるに似たりと、釘詫たる體なれば、濃姬是程に心置かれ參らせんとも、兼ねては知らざりけるこそ、女心の愚なれ、御志の厚からん方を是には居させ給へ、妾は何地にも出て居なばやと涙を流してかこちわぶれば、信長詮方なき體にもてなし、城州と我とは深き仇なり、一旦和睦したるは、我本意にあらず、城州の兩家老、我と心を合せ、城州を殺害し、子丑の間に火を揚ぐべしと固く約束したりしが、早や五六十日に及びて、毎夜星を戴き霜を履みて、之を望めども未だ揚らざるは、定めて其便りを得ざるならん、火の揚ると等しく、軍兵を率ゐて美濃に亂入して、其地を取るべし、穴賢口より出すことは、偖置き又心にも思ふべからずと言て、濃姬の方よりの使も、文も守者を付て止められぬ。兩家老には屢々使を遣はし、書を送りて人の疑ひを起さしむ。尾張の將士には深夜俄に軍あらん用意して、下知を待てと令しける。秀龍、尾張に入れ置きたる間者之を告ぐ。 秀龍何事やらんと思ふ所に、五七日過ぎて守者倦りて少し緩弛す。濃姬其隙を伺ひ、具に右の事を書て告げたりければ、秀龍怒りて兩家老を斬罪に行ふ。是より秀龍の鋒大に衰ふ。
新字:秀竜聞て、去れば今に見給へ、此秀竜が子供は頓てあの戯気者が門前に馬を繋ぎ候はんこと、案の内に候へば、口惜く存ずると言て涙含みてぞ答へしとぞ。信長時に年二十。 ○初め信長、斎藤秀竜と地を争ひて相戦へども、常に克たず。信長之を憂ひ、秀竜の君臣を離間せんとし、先づ両家老に就て使者を遣はし、我は秀竜の敵にあらず、秀竜の濃姫を我に許されば、嫁娶を調へて旗下に属し、難に赴き危きを救ふべしと言送りければ、秀竜同心す。信長濃姫を迎へて後一年程過ぎて濃姫の熟睡するを伺ひて、密に起きて外に出て暁に至つて帰ること一月計りなり。濃姫之を怪みて申けるは、君忍びて心を通はし給ふ者あらば、顕はに宣へ、何ぞ御身を壅されて深く包ませ給ふぞや、妾聊か妬む心は侍らぬものを、此比の御気色不審くこそと恨み顔なれば、信長否去ることにあらず、我に一つの秘計あり、我のみ知りて、人に知らすべきことにあらねば疑はるゝも理なりとて、又前の如くすること一月計り、濃姫怪みて、之を問て止まず、信長、夫婦の情は浅からねども、隠くすべきを隠くさゞれば、事泄れて謀調はず、去れば、口を噤むも実に隔てあるに似たりと、釘詫たる体なれば、濃姫是程に心置かれ参らせんとも、兼ねては知らざりけるこそ、女心の愚なれ、御志の厚からん方を是には居させ給へ、妾は何地にも出て居なばやと涙を流してかこちわぶれば、信長詮方なき体にもてなし、城州と我とは深き仇なり、一旦和睦したるは、我本意にあらず、城州の両家老、我と心を合せ、城州を殺害し、子丑の間に火を揚ぐべしと固く約束したりしが、早や五六十日に及びて、毎夜星を戴き霜を履みて、之を望めども未だ揚らざるは、定めて其便りを得ざるならん、火の揚ると等しく、軍兵を率ゐて美濃に乱入して、其地を取るべし、穴賢口より出すことは、偖置き又心にも思ふべからずと言て、濃姫の方よりの使も、文も守者を付て止められぬ。両家老には屡々使を遣はし、書を送りて人の疑ひを起さしむ。尾張の将士には深夜俄に軍あらん用意して、下知を待てと令しける。秀竜、尾張に入れ置きたる間者之を告ぐ。 秀竜何事やらんと思ふ所に、五七日過ぎて守者倦りて少し緩弛す。濃姫其隙を伺ひ、具に右の事を書て告げたりければ、秀竜怒りて両家老を斬罪に行ふ。是より秀竜の鋒大に衰ふ。
書き下し
秀龍聞て、去れば今に見給へ、此秀龍が子供は頓てあの戯氣者が門前に馬を繋ぎ候はんこと、案の內に候へば、口惜く存ずると言て涙含みてぞ答へしとぞ。信長時に年二十。 ○初め信長、齋藤秀龍と地を爭ひて相戰へども、常に克たず。信長之を憂ひ、秀龍の君臣を離間せんとし、先づ兩家老に就て使者を遣はし、我は秀龍の敵にあらず、秀龍の濃姬を我に許されば、嫁娶を調へて旗下に屬し、難に赴き危きを救ふべしと言送りければ、秀龍同心す。信長濃姬を迎へて後一年程過ぎて濃姬の熟睡するを伺ひて、密に起きて外に出て曉に至つて歸ること一月計りなり。濃姬之を怪みて申けるは、君忍びて心を通はし給ふ者あらば、顯はに宣へ、何ぞ御身を壅されて深く包ませ給ふぞや、妾聊か妬む心は侍らぬものを、此比の御氣色不審くこそと恨み顏なれば、信長否去ることにあらず、我に一つの祕計あり、我のみ知りて、人に知らすべきことにあらねば疑はるゝも理なりとて、又前の如くすること一月計り、濃姬怪みて、之を問て止まず、信長、夫婦の情は淺からねども、隱くすべきを隱くさゞれば、事泄れて謀調はず、去れば、口を噤むも實に隔てあるに似たりと、釘詫たる體なれば、濃姬是程に心置かれ參らせんとも、兼ねては知らざりけるこそ、女心の愚なれ、御志の厚からん方を是には居させ給へ、妾は何地にも出て居なばやと涙を流してかこちわぶれば、信長詮方なき體にもてなし、城州と我とは深き仇なり、一旦和睦したるは、我本意にあらず、城州の兩家老、我と心を合せ、城州を殺害し、子丑の間に火を揚ぐべしと固く約束したりしが、早や五六十日に及びて、毎夜星を戴き霜を履みて、之を望めども未だ揚らざるは、定めて其便りを得ざるならん、火の揚ると等しく、軍兵を率ゐて美濃に亂入して、其地を取るべし、穴賢口より出すことは、偖置き又心にも思ふべからずと言て、濃姬の方よりの使も、文も守者を付て止められぬ。兩家老には屢々使を遣はし、書を送りて人の疑ひを起さしむ。尾張の將士には深夜俄に軍あらん用意して、下知を待てと令しける。秀龍、尾張に入れ置きたる間者之を告ぐ。 秀龍何事やらんと思ふ所に、五七日過ぎて守者倦りて少し緩弛す。濃姬其隙を伺ひ、具に右の事を書て告げたりければ、秀龍怒りて兩家老を斬罪に行ふ。是より秀龍の鋒大に衰ふ。
現代語訳
秀龍は聞いて、さればいまに見なさい、この秀龍の子供たちは、やがてあの戯け者の門前に馬を繋ぐことになろうと、案の内にありますので、悔しく思います、と言って、涙を含んで答えたという。信長はこのとき年二十。 初め信長は、斎藤秀龍と土地を争って戦ったが、いつも勝てなかった。信長はこれを憂え、秀龍の君臣を離間させようとし、まず両家老を通じて使者を遣わし、私は秀龍の敵ではありません、秀龍が濃姫を私に許してくだされば、婚礼を整えて旗下に属し、難に赴き危うきを救いましょう、と言い送ったところ、秀龍は同意した。信長は濃姫を迎えて後一年ほど過ぎて、濃姫が熟睡するのをうかがって、ひそかに起きて外に出、暁になって帰ることが一月ばかり続いた。濃姫はこれを怪しんで申すには、あなたがひそかに心を通わせる者がおありなら、あらわにおっしゃってください、どうして御身を遠ざけて深く隠されるのですか、私は少しもねたむ心はございません、このごろのご様子が不審で、と恨み顔なので、信長は、いや、そうではない、私には一つの秘計がある、私だけが知って、人に知らせるべきことではないから、疑われるのも道理だ、と言って、また前のようにすることが一月ばかり、濃姫は怪しんで問うてやまず、信長は、夫婦の情は浅くはないが、隠すべきを隠さなければ、事が漏れて謀が成らない、かといって口をつぐむのも、まことに隔てがあるようだ、と困惑した様子なので、濃姫は、これほどお心を置かれていたとは、前々は知りませんでした、女心の愚かさです、ご志の厚い方をここに置かれませ、私はどこへでも出て行きましょう、と涙を流して恨みわびるので、信長は、しかたない様子を装い、城州と私とは深い仇だ、一旦和睦したのは私の本意ではない、城州の両家老が私と心を合わせ、城州を殺害し、子丑の間に火を揚げると固く約束したのだが、もう五、六十日に及び、毎夜星を戴き霜を踏んでこれを望んでいても、まだ火が揚がらないのは、きっとその便りを得ないのだろう、火が揚がるのと同時に、軍兵を率いて美濃に乱入し、その地を取るつもりだ、決して口から出すことは言うまでもなく、心に思ってもならぬ、と言った。濃姫の方からの使いも文も、見張りを付けて止められた。両家老にはしばしば使いを遣わし、書を送って人の疑いを起こさせた。尾張の将士には深夜にわかに戦があるだろうと用意して、指図を待てと命じた。秀龍が尾張に入れておいた間者がこれを告げた。 秀龍が何事かと思っていると、五、七日過ぎて見張りが倦んで少し緩んだ。濃姫がその隙をうかがい、詳しく右の事を書いて告げたので、秀龍は怒って両家老を斬罪に処した。これより秀龍の勢いは大いに衰えた。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・用間篇故に三軍の事は、間より親きは無く、賞は間より厚きは無く、事は間より密なるは無し。
-
孫子・用間篇聖智に非ざれば間を用うる能わず、仁義に非ざれば間を使う能わず、微妙に非ざれば間の実を得る能わず。
-
『武治提要』知人・第13段武將戰國にあつては用間を大義とす。其內反間を知こと、明智にあらずんば叶べからず。治世の人情は伏すること密ならず、故に知こと猶易し、たとへ見料を一たびあやまつとも、あらたむべし。反間は伏する處幽微婉曲にして、一たびもあやまつときは、あらたむること不叶、死生存亡の要楔なり。これを明辨すること、感通默識にあり。
-
『甲陽軍鑑』品第四十一又計策は出家·町人·百姓などの才覚あるものを常に恩をあたへて後、敵国へつかひ敵の大将才智なくして好事を過し、万民までもうとむ所を聞つ国くろひ、敵国をさだこせ、其国をせめ又は敵の内に邪欲の者をきこきはめ、引物色々をもつて其敵をしたがふる事大形是計策の元也、右の武略·智略·計策三ツの作法其すべを知て是を謀りて勝利をうることわざを指て能き軍法と申す、
-
名将言行録・『名将言行録』毛利元就 偽の内通と敵の動かし方○此役や、元就是より前、家臣の次三男を尼子家に奉公させ、常に內通さす。尼子も、又二三年以前より內別作助四郎と云ふ近臣を陽はり怒て暇を出し、毛利家に入れ置きたり。元就之を知り、親く召使置きしが、晴久、吉田へ出陣の沙汰ありし時、元就家の子共に、晴久胄山に陣を取れよかし、若し三猪口に陣し、周防の通路を斷れんには味方如何ともすべからず、一と先山口に落ち、大內を賴み防戰するより外は有間敷とて、陰に悔し振りを內別作、略聞く樣に言ければ、案の如く內別作出奔す。元就大に喜びて、偖こそ軍は既に勝たり、胄山より眼の下に城を覩下されなば、如何ともすべからず、三猪口は平場なれば、働如何にも容易なりと言はれたり。晴久果して、此年九月三猪口に出陣せしが、遂に打負て引返せり。
-
『省諐録』第56条苟くも其の心を得ば、五州の人、皆得て使ふべきなり。厚くして之を利し、導きて之を舎す。敵閒の来たりて我を閒する者も、亦た我が用と為らん。何ぞ況んや我が民をや。