武治提要 / 知人・第13段
武將戰國にあつては用間を大義とす。其內反間を知こと、明智にあらずんば叶べからず。治世の人情は伏すること密ならず、故に知こと猶易し、たとへ見料を一たびあやまつとも、あらたむべし。反間は伏する處幽微婉曲にして、一たびもあやまつときは、あらたむること不叶、死生存亡の要楔なり。これを明辨すること、感通默識にあり。
新字:武将戦国にあつては用間を大義とす。其内反間を知こと、明智にあらずんば叶べからず。治世の人情は伏すること密ならず、故に知こと猶易し、たとへ見料を一たびあやまつとも、あらたむべし。反間は伏する処幽微婉曲にして、一たびもあやまつときは、あらたむること不叶、死生存亡の要楔なり。これを明弁すること、感通黙識にあり。
書き下し
武將戰國にあつては用間を大義とす。其內反間を知こと、明智にあらずんば叶べからず。治世の人情は伏すること密ならず、故に知こと猶易し、たとへ見料を一たびあやまつとも、あらたむべし。反間は伏する處幽微婉曲にして、一たびもあやまつときは、あらたむること不叶、死生存亡の要楔なり。これを明辨すること、感通默識にあり。
現代語訳
武将は戦国にあっては、間者を用いることを大義とする。そのなかで反間を知ることは、明智でなければできない。治まる世の人情は、潜ませることが密でないので、知ることもなお易しい。たとえ見料を一度誤っても、改めることができる。反間は潜む所が幽微で婉曲であり、一度でも誤れば改めることができない。生死存亡の要となる所である。これをはっきり見分けることは、感じ通じ、黙って識ることにある。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』制勝・趙奢秦は韓を伐ち、閼与に軍す。趙王は廉頗に問う、「韓は救うべきか。」と。対えて曰く、「道は遠く険しく狭し、救い難し。」と。また楽乗に問うに、頗の言の如し。趙奢に問うに及び、奢は対えて曰く、「道は遠く険しく狭し。これを譬うれば、両鼠が穴中に闘うが如し、将の勇なる者が勝つ。」と。乃ち奢を遣わして将として往かしむ。邯鄲を去ること三十里にして、軍中に令して曰く、「軍事を以て諫むる者あらば、死。」と。秦軍は武安の西に軍し、鼓噪して兵を勒し、屋瓦皆振う。軍中の候に一人あり、武安を急ぎ救わんことを言う。奢は立ちどころにこれを斬り、壁を堅くして留まること二十八日、行かず、復た塁を増す。秦の間来たりて入る。奢は善く食わせて遣る。間は以て秦将に報ず。秦将は大いに喜びて曰く、「夫れ国を去ること三十里にして軍は行かず、乃ち塁を増す。閼与は趙の地に非ざるなり。」と。奢は既に秦の間を遣るや、乃ち甲を巻いてこれに趣き、一日一夜にして至る。善く射る者をして閼与を去ること五十里にして軍せしむ。軍壘成りて、秦人はこれを聞き、甲を悉くして至る。軍士の許歴は軍事を以て諫めんことを請う。奢曰く、「内れよ。」と。許歴曰く、「秦人は趙の師の至るを意わず。この来るは気盛んなり。将軍は必ず厚くその陣を集めて以て待て。然らずんば必ず敗れん。」と。奢は許諾す。許歴は誅に就かんことを請う。奢曰く、「後の令を胥て。」と。戦わんとするに至り、歴は復た諫めんことを請いて曰く、「先に北山の上に据る者は勝ち、後に至る者は敗る。」と。奢は許諾し、即ち万人を発してこれに趣かしむ。秦兵は後れて至り、山を争うも上るを得ず。奢は兵を縦ちてこれを撃ち、大いに秦軍を破り、遂に閼与の囲みを解く。〔評〕孫子曰く、「反間は、敵の間に因りて之を用う。」と。又曰く、「我得るも亦利あり、彼得るも亦利あるは、争地と為す。」と。閼与の捷は是なり。許歴は智士なるに、復た戦功を以て顕るるを聞かず、何ぞや。漢の広武君においてもまた然り。
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『智囊』詭道・田單燕の昭王卒し、惠王立ち、樂毅と隙有り。田單、之を聞き、乃ち反間を燕に縱ち、宣言して曰く、「齊王已に死し、城の拔けざる者は二のみ。樂毅は誅を畏れて敢えて歸らず、齊を伐つを名と為し、實は兵を連ねて南面して齊に王たらんと欲す。齊人未だ附かず、故に且く即墨を攻むること緩くし、以て其の事を待つ。齊人の懼るる所は、唯だ他將の來たらんことを恐る。即墨は殘われん」と。燕王、以て然りと為し、騎劫をして毅に代わらしむ。毅、趙に歸り、燕軍共に忿る。而して田單、乃ち城中に令し、食する必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く翔舞して下り食し、燕人、之を怪しむ。田單、因りて宣言して曰く、「神來たりて下って我に教う」と。乃ち城中に令して曰く、「當に神人有りて我が師と為るべし」と。一卒有りて曰く、「臣、以て師と為るべきか」と。因りて反走す。田單、乃ち起ち、引き還し、東向して坐せしめ、之を師事す。卒曰く、「臣は君を欺く。實は能無きなり」と。單曰く、「子、言う勿れ」と。因りて之を師とし、每に出でて約束するに、必ず神師と稱す。乃ち宣言して曰く、「君唯だ燕軍の得る所の齊卒を劓し、之を前行に置きて我と戰わしめんことを懼る。即墨、敗れん」と。燕人、之を聞き、其の言の如くす。城中の人、齊の諸降者の悉く劓せらるるを見て、皆な堅守し、唯だ得らるるを恐る。單、又宣言す、「君は燕人の吾が城外の塚墓を掘り、先人を戮し、寒心すべきを懼る」と。燕軍、盡く壟墓を掘り、死人を燒く。即墨の人、城上より望見し、皆な涕泣し、俱に出でて戰わんと欲し、怒り自ずから十倍す。
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『十善法語』巻第七・不兩舌戒又世ノ変事ノ変ニテ国ノ乱レタルトキ。撥乱ノ主。智謀ノ士ガ軍中ノ計略ニ。或ハ離間シ。或ハ反間ヲ行フ。是モ違犯テハナイ。斉ノ田単カ恵王ニ楽毅ヲ疑ハセテ。燕ノ兵ヲ退ケ。漢高祖ノ陳平カ謀ヲ用ヒテ。項羽ニ范增ヲ疑ハセテ。楚ヲ破タ類シヤ。若他ノ反間ニ堕ルモ。此戒全カラヌ罪ヲ知ルベキシヤ。治世ニハ。禄利名称ヲ貪ル者ガ。其近キ処ニ託シテ。讒ヲ構ヘ偽ヲ売ル。乱世ニハ。智謀ノ士ガ種種ニ計略シテ反間ヲナス。仁君モ時ニ臨テハ罪ナキヲ遠サク。明主モ事ニ触テハ忠臣ヲ疑フ。無シト云レヌシヤ。若誤テ忠臣ヲ疑ヘハ。强国モ直ニ弱国トナル。誤テ奸臣ニ信任スレハ。治国モ亡国トナル。奸臣モ時ニヨリテハ或ハ忠直ニ似ル。反間ノ言カ或ハ親好ニマカフ。唯十善護持ノ大人ノミ有テ。神祇守護シ。輔佐誠ヲ尽シテ事フル故ニ。他ノ反間ニオチヌ。又奸臣ニ欺カレヌシヤ。
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孫子・用間篇是に因りて之を知る、故に郷間・内間得て使う可きなり。是に因りて之を知る、故に死間は誑事を為して、敵に告げしむ可し。是に因りて之を知る、故に生間は期の如くならしむ可し。
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史記 陳丞相世家今大王は慢にして礼少なし、士の廉節なる者来たらず。然れども大王能く人に饒かにするに爵邑を以てす、士の頑鈍にして利を嗜み恥無き者も亦た多く漢に帰す。誠に各々其の両短を去り、其の両長を襲はば、天下指麾すれば則ち定まらん。然れども大王恣に人を侮る、廉節の士を得る能はず。顧ふに楚に乱すべき者有り、彼の項王の骨鯁の臣亜父・鍾離眛・龍且・周殷の属、数人に過ぎざるのみ。大王誠に能く数万斤の金を出捐し、反間を行ひ、其の君臣を間し、以て其の心を疑はしめば、項王の人と為り意忌にして讒を信ず、必ず内に相誅せん。漢因りて兵を挙げて之を攻めば、楚を破ること必せり」と。漢王以て然りと為し、乃ち黄金四万斤を出だして、陳平に与へ、為す所を恣にせしめ、其の出入を問はず。陳平既に多く金を以て反間を楚軍に縦ち、宣言すらく諸将鍾離眛等項王の将と為り、功多し、然り而して終に地を裂きて王たるを得ず、漢と一と為り、以て項氏を滅ぼして其の地を分かちて王たらんと欲すと。項羽果たして意に鍾離眛等を信ぜず。項王既に之を疑ひ、使をして漢に至らしむ。漢王太牢の具を為り、挙げて進む。楚の使を見るや、即ち詳り驚きて曰く、「吾以為へらく亜父の使ならんと、乃ち項王の使なり」と。復た持ち去り、更に悪草の具を以て楚の使に進む。楚の使帰り、具に以て項王に報ず。項王果たして大いに亜父を疑ふ。亜父急に滎陽城を攻め下さんと欲す、項王信ぜず、肯へて聴かず。亜父項王の之を疑ふを聞き、乃ち怒りて曰く、「天下の事大いに定まれり、君王自ら之を為せ。願はくは骸骨を請ひて帰らん」と。帰りて未だ彭城に至らずして、疽背に発して死す。陳平乃ち夜女子二千人を滎陽城の東門より出だす、楚因りて之を撃つ、陳平乃ち漢王と城の西門より夜出でて去る。遂に関に入り、散兵を収めて復た東す。其の明年、淮陰侯斉を破り、自ら立ちて斉王と為り、使をして之を漢王に言はしむ。
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孫子・用間篇反間とは、其の敵間に因りて之を用うるなり。
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