名将言行録 / 『名将言行録』直江兼續 騎虎の進言と禄の分配
兼續又御意尤もには候へ共、今度の手始めは、上杉なりと天下一同に思ふべし、然れば內府以來當家をば根を斷ち葉を枯さんと致さるべきこと、鏡を照すが如くなり、萬一內府天運に叶ひ勝利ならば上杉の亡びんは第一ならん、是を以て之を考れば戰ふも亦亡びん、戰はずして亡びんは、戰て亡びんに如かず、是則ち虎に騎るの勢にして、下るべからざる所なりと勸めけれども、景勝大に怒り國家の存亡興廢は時節なり、吾不信の名を負はんこと、末代までの恥辱なりと言て、曾て許容なかりけり。 ○兼續、米澤三十二萬石なりしが、五年亂後景勝より六萬石賜はりける。兼續五萬石を諸傍輩へ分配し、只一萬石に成り、又五千石分ちて小身の輩に配分し、我身は僅に五千石にて居たりけり。其士を好む率ね是類なり。 ○關ヶ原の役後、兼續、景勝に從て登城す。其時執權本多上野介正純、酒井雅樂頭忠世、安藤帶刀直次、成瀨隼人正正成等兼續に參會す。兼續よりは帶刀隼人抔と呼びしが、直次正成等は手を突き、山城殿何にと成され候抔と慇懃に尊敬せしとぞ。 ○大阪役後、兼續、須田、杉原、鐵三人を引連れて家康の前に出ければ、家康曰く、直江は我請取候備の內を引分け、僅三十四騎川中の蘆島に兩樣を心當て、控て見物の如く罷在り、爭はぬ心底、動ぜぬ心根、薩の備を以て勝を守ると感稱にて、書及び、刀を賜はりて、其功を獎せらる。
新字:兼続又御意尤もには候へ共、今度の手始めは、上杉なりと天下一同に思ふべし、然れば内府以来当家をば根を断ち葉を枯さんと致さるべきこと、鏡を照すが如くなり、万一内府天運に叶ひ勝利ならば上杉の亡びんは第一ならん、是を以て之を考れば戦ふも亦亡びん、戦はずして亡びんは、戦て亡びんに如かず、是則ち虎に騎るの勢にして、下るべからざる所なりと勧めけれども、景勝大に怒り国家の存亡興廃は時節なり、吾不信の名を負はんこと、末代までの恥辱なりと言て、曽て許容なかりけり。 ○兼続、米沢三十二万石なりしが、五年乱後景勝より六万石賜はりける。兼続五万石を諸傍輩へ分配し、只一万石に成り、又五千石分ちて小身の輩に配分し、我身は僅に五千石にて居たりけり。其士を好む率ね是類なり。 ○関ヶ原の役後、兼続、景勝に従て登城す。其時執権本多上野介正純、酒井雅楽頭忠世、安藤帯刀直次、成瀨隼人正正成等兼続に参会す。兼続よりは帯刀隼人抔と呼びしが、直次正成等は手を突き、山城殿何にと成され候抔と慇懃に尊敬せしとぞ。 ○大阪役後、兼続、須田、杉原、鉄三人を引連れて家康の前に出ければ、家康曰く、直江は我請取候備の内を引分け、僅三十四騎川中の蘆島に両様を心当て、控て見物の如く罷在り、争はぬ心底、動ぜぬ心根、薩の備を以て勝を守ると感称にて、書及び、刀を賜はりて、其功を獎せらる。
書き下し
兼續又御意尤もには候へ共、今度の手始めは、上杉なりと天下一同に思ふべし、然れば內府以來當家をば根を斷ち葉を枯さんと致さるべきこと、鏡を照すが如くなり、萬一內府天運に叶ひ勝利ならば上杉の亡びんは第一ならん、是を以て之を考れば戰ふも亦亡びん、戰はずして亡びんは、戰て亡びんに如かず、是則ち虎に騎るの勢にして、下るべからざる所なりと勸めけれども、景勝大に怒り國家の存亡興廢は時節なり、吾不信の名を負はんこと、末代までの恥辱なりと言て、曾て許容なかりけり。 ○兼續、米澤三十二萬石なりしが、五年亂後景勝より六萬石賜はりける。兼續五萬石を諸傍輩へ分配し、只一萬石に成り、又五千石分ちて小身の輩に配分し、我身は僅に五千石にて居たりけり。其士を好む率ね是類なり。 ○關ヶ原の役後、兼續、景勝に從て登城す。其時執權本多上野介正純、酒井雅樂頭忠世、安藤帶刀直次、成瀨隼人正正成等兼續に參會す。兼續よりは帶刀隼人抔と呼びしが、直次正成等は手を突き、山城殿何にと成され候抔と慇懃に尊敬せしとぞ。 ○大阪役後、兼續、須田、杉原、鐵三人を引連れて家康の前に出ければ、家康曰く、直江は我請取候備の內を引分け、僅三十四騎川中の蘆島に兩樣を心當て、控て見物の如く罷在り、爭はぬ心底、動ぜぬ心根、薩の備を以て勝を守ると感稱にて、書及び、刀を賜はりて、其功を獎せらる。
現代語訳
兼続はまた「ご意見はもっともではございますが、このたびの手始めは上杉だと天下の皆が思うでしょう。そうであれば、内府は以来、当家を根を断ち葉を枯らそうとなさることは、鏡に照らすように明らかです。万一、内府が天運にかなって勝利すれば、上杉が滅ぶことが第一でしょう。これによって考えれば、戦っても滅び、戦わずに滅びるなら、戦って滅びるほうがまさります。これはいわゆる虎に乗る勢いで、下りることのできないところです」と勧めたが、景勝は大いに怒り、「国家の存亡興廃は時節だ。私が不信の名を負うことは、末代までの恥辱だ」と言って、まったく許容しなかった。 兼続は米沢三十二万石であったが、五年の乱の後、景勝から六万石を賜った。兼続は五万石を諸傍輩に分け与え、わずか一万石になり、さらに五千石を分けて小身の者に配分し、自身はわずか五千石でいた。その士を好むこと、おおむねこの類である。 関ヶ原の役の後、兼続は景勝に従って登城した。そのとき、執権の本多上野介正純、酒井雅楽頭忠世、安藤帯刀直次、成瀬隼人正正成らが兼続に面会した。兼続のほうからは帯刀、隼人などと呼んだが、直次、正成らは手をついて、山城殿、いかがなされますか、などと丁重に尊敬したという。 大坂の役の後、兼続は須田、杉原、鉄の三人を引き連れて家康の前に出たところ、家康は言った。「直江は、私が受け取った備えのうちから分かれて、わずか三十四騎で川中の蘆島に両様を心当てにして控え、見物のようにしていた。争わない心底、動じない心根、薩の備えをもって勝ちを守るもの」と感称して、書と刀を賜り、その功を奨励された。
解説

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