名将言行録 / 『名将言行録』上杉景勝 小倉将監の三つの見立て
小倉承はり、仰にて候へ共、是まで御出馬ありて、敵の出張したるを聞召し、爰に陣を居られ候はゞ敵に氣を呑れ、味方に疑惑出來候べし、敵も武功の治長にて候へば、其處を見切り、正しく備て寄せ掛けなば、味方敗軍の本にてぞ候はん、其上何つとても御出陣の御供を仕ること、誰々も敵に逢ふべきが爲めにて候へば、出でたる敵を見て、士たる者は本望とこそ喜び存ずべけれ、敵を捨て、留まるべき所存は聊も有間敷候、然る上は御滯留の所先づ以て思ひも寄らず候、左あれば一戰爲し給ふより、外は有間敷覺え候、一戰して勝利を得べきこと多く候、其故は去年此表御出馬の時、味方引揚る軍勢を治長が勢忍び出付き慕ひ、後には敗軍に及び候へ共、雨雪烈しくして、味方多く討れ、殊に杉原左近討死仕りし故、杉原が家人細越を誑かし、杉原が城をも己が手に入れ候て、其威に誇り細越劔持等に下知し、御備に向ひ心操の矢を放たせ候へ共、信吉の武略を以て杉原勢を切崩し、細越討れて敵兵敗れ候ひき、然るに治長も流石謙信公下にて老功の士大將にて候ひしかば、御進發のことを委細に聞届けざることは候間敷に、只今又此表へ自身出張仕ること、曾て實の働には候まじ、其故は治長勢昨日の合戰の體を聞き、早や悉く恐ぢ怖れんは、必定なり、是に氣を呑れて勢をも出さずんば、治長に屬する者共、上下共に主人治長を淺く見こなすべくと思慮仕り、一旦心操計りの出張にて候べければ、必定一戰に勝利を得んことを疑ひあるべからず候、中にも某が相備の人々よりも手毎に斥候を出し、敵の樣子を見せ候に、第一敵兵千に足らぬ小勢にて候、第二には一戰の場所善く候、第三には敵の旗色惡く候、此三ヶ條を見定め申て候。
新字:小倉承はり、仰にて候へ共、是まで御出馬ありて、敵の出張したるを聞召し、爰に陣を居られ候はゞ敵に気を呑れ、味方に疑惑出来候べし、敵も武功の治長にて候へば、其処を見切り、正しく備て寄せ掛けなば、味方敗軍の本にてぞ候はん、其上何つとても御出陣の御供を仕ること、誰々も敵に逢ふべきが為めにて候へば、出でたる敵を見て、士たる者は本望とこそ喜び存ずべけれ、敵を捨て、留まるべき所存は聊も有間敷候、然る上は御滞留の所先づ以て思ひも寄らず候、左あれば一戦為し給ふより、外は有間敷覚え候、一戦して勝利を得べきこと多く候、其故は去年此表御出馬の時、味方引揚る軍勢を治長が勢忍び出付き慕ひ、後には敗軍に及び候へ共、雨雪烈しくして、味方多く討れ、殊に杉原左近討死仕りし故、杉原が家人細越を誑かし、杉原が城をも己が手に入れ候て、其威に誇り細越剣持等に下知し、御備に向ひ心操の矢を放たせ候へ共、信吉の武略を以て杉原勢を切崩し、細越討れて敵兵敗れ候ひき、然るに治長も流石謙信公下にて老功の士大将にて候ひしかば、御進発のことを委細に聞届けざることは候間敷に、只今又此表へ自身出張仕ること、曽て実の働には候まじ、其故は治長勢昨日の合戦の体を聞き、早や悉く恐ぢ怖れんは、必定なり、是に気を呑れて勢をも出さずんば、治長に属する者共、上下共に主人治長を浅く見こなすべくと思慮仕り、一旦心操計りの出張にて候べければ、必定一戦に勝利を得んことを疑ひあるべからず候、中にも某が相備の人々よりも手毎に斥候を出し、敵の様子を見せ候に、第一敵兵千に足らぬ小勢にて候、第二には一戦の場所善く候、第三には敵の旗色悪く候、此三ヶ条を見定め申て候。
書き下し
小倉承はり、仰にて候へ共、是まで御出馬ありて、敵の出張したるを聞召し、爰に陣を居られ候はゞ敵に氣を呑れ、味方に疑惑出來候べし、敵も武功の治長にて候へば、其處を見切り、正しく備て寄せ掛けなば、味方敗軍の本にてぞ候はん、其上何つとても御出陣の御供を仕ること、誰々も敵に逢ふべきが爲めにて候へば、出でたる敵を見て、士たる者は本望とこそ喜び存ずべけれ、敵を捨て、留まるべき所存は聊も有間敷候、然る上は御滯留の所先づ以て思ひも寄らず候、左あれば一戰爲し給ふより、外は有間敷覺え候、一戰して勝利を得べきこと多く候、其故は去年此表御出馬の時、味方引揚る軍勢を治長が勢忍び出付き慕ひ、後には敗軍に及び候へ共、雨雪烈しくして、味方多く討れ、殊に杉原左近討死仕りし故、杉原が家人細越を誑かし、杉原が城をも己が手に入れ候て、其威に誇り細越劔持等に下知し、御備に向ひ心操の矢を放たせ候へ共、信吉の武略を以て杉原勢を切崩し、細越討れて敵兵敗れ候ひき、然るに治長も流石謙信公下にて老功の士大將にて候ひしかば、御進發のことを委細に聞届けざることは候間敷に、只今又此表へ自身出張仕ること、曾て實の働には候まじ、其故は治長勢昨日の合戰の體を聞き、早や悉く恐ぢ怖れんは、必定なり、是に氣を呑れて勢をも出さずんば、治長に屬する者共、上下共に主人治長を淺く見こなすべくと思慮仕り、一旦心操計りの出張にて候べければ、必定一戰に勝利を得んことを疑ひあるべからず候、中にも某が相備の人々よりも手毎に斥候を出し、敵の樣子を見せ候に、第一敵兵千に足らぬ小勢にて候、第二には一戰の場所善く候、第三には敵の旗色惡く候、此三ヶ條を見定め申て候。
現代語訳
小倉は承り、仰せではございますが、これまで御出馬になり、敵が出張したのをお聞きになって、ここに陣を据えられるなら、敵に気を呑まれ、味方に疑いが生じましょう。敵も武功の治長ですから、そこを見切り、正しく備えて寄せかけたなら、味方の敗軍のもととなります。そのうえ、いつでも御出陣のお供をするのは、誰もが敵に会うためですから、出てきた敵を見て、武士たる者は本望と喜ぶべきであり、敵を捨てて留まる所存は少しもございません。そうであれば、御滞留はまず思いもよらず、したがって一戦なさるよりほかはないと存じます。一戦して勝利を得べき理由は多くございます。それは、去年この地に御出馬の時、味方が引き揚げる軍勢を治長の勢が忍び出て追い、のちには敗軍に及びましたが、雨雪が激しくて味方は多く討たれ、ことに杉原左近が討死したために、杉原の家人の細越を欺いて、杉原の城をも自分の手に入れ、その威を誇って細越や剣持らに指図し、御備えに向かって心ばかりの矢を放たせましたけれども、信吉の武略で杉原勢を切り崩し、細越が討たれて敵兵は敗れました。しかるに治長もさすが謙信公のもとで老練の士大将でしたから、御進発のことを詳細に聞き届けないことはあるまいに、ただ今またこの地へ自ら出張するのは、決して本当の働きではございません。なぜなら、治長の勢は昨日の合戦の様子を聞いて、早くもことごとく恐れ怖がっているのは必定です。これに気を呑まれて勢を出さなければ、治長に属する者どもは、上下ともに主人の治長を軽く見ると思案して、一旦は心ばかりの出張でございましょうから、必ず一戦して勝利を得ることを疑うべきではございません。なかでも、私の相備えの人々からも、それぞれ斥候を出して敵の様子を見させましたところ、第一に敵兵は千に足りない小勢でございます。第二に一戦の場所が良うございます。第三に敵の旗色が悪うございます。この三か条を見定め申しました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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