名将言行録 / 『名将言行録』上杉景勝 鬨の声で軍を鎮める
同二日、長國深手にて死しければ、程なく景虎も歿落せり。長國、初め彌五郎と稱し、十六歳より數度剛強の働し、鬼彌五郎と言はれし者なり。 ○此役や、景勝士卒を悉く召集め、恩賞夫々の書付を與て、我今度勝利を得るに於ては、猶加恩は功に寄るべし、今夜夜半に打立、長國が陣に押寄せ、敵の不意を打て、勝負を一時に決すべし。今般本意を達しなば、汝等も大功なり。然れども我多分討死を遂ぐべければ、我微志を、顯はして、今宵計りなりとも、汝等を喜ばしめんと思ふなりと言へば、士卒等勇み進て、此君勝利を得給へかし、恩賞厚く賜はらんと喜び競ひける。果して一戰に長國を打敗れり。 ○柴田因幡守治長、新發田に據り、景勝に反く。十一年八月、景勝、治長が屬城杉原へ押寄する時、何にとかしたりけん、味方の備下々より崩れ立、囂しき故、物頭物奉行乘廻して制すれども、定まらず、諸手ともに騷動す。景勝采幣を取て貝鐘太鼓を合はせ、旗本より一度に噸と鬨を作る。諸備ともに悉く鬨を合はす。續けて三度鬨を作りて、即ち押へて鬨を止むる。鬨の聲止まると其儘定まれり。
新字:同二日、長国深手にて死しければ、程なく景虎も歿落せり。長国、初め弥五郎と称し、十六歳より数度剛強の働し、鬼弥五郎と言はれし者なり。 ○此役や、景勝士卒を悉く召集め、恩賞夫々の書付を与て、我今度勝利を得るに於ては、猶加恩は功に寄るべし、今夜夜半に打立、長国が陣に押寄せ、敵の不意を打て、勝負を一時に決すべし。今般本意を達しなば、汝等も大功なり。然れども我多分討死を遂ぐべければ、我微志を、顕はして、今宵計りなりとも、汝等を喜ばしめんと思ふなりと言へば、士卒等勇み進て、此君勝利を得給へかし、恩賞厚く賜はらんと喜び競ひける。果して一戦に長国を打敗れり。 ○柴田因幡守治長、新発田に拠り、景勝に反く。十一年八月、景勝、治長が属城杉原へ押寄する時、何にとかしたりけん、味方の備下々より崩れ立、囂しき故、物頭物奉行乗廻して制すれども、定まらず、諸手ともに騷動す。景勝采幣を取て貝鐘太鼓を合はせ、旗本より一度に噸と鬨を作る。諸備ともに悉く鬨を合はす。続けて三度鬨を作りて、即ち押へて鬨を止むる。鬨の声止まると其儘定まれり。
書き下し
同二日、長國深手にて死しければ、程なく景虎も歿落せり。長國、初め彌五郎と稱し、十六歳より數度剛強の働し、鬼彌五郎と言はれし者なり。 ○此役や、景勝士卒を悉く召集め、恩賞夫々の書付を與て、我今度勝利を得るに於ては、猶加恩は功に寄るべし、今夜夜半に打立、長國が陣に押寄せ、敵の不意を打て、勝負を一時に決すべし。今般本意を達しなば、汝等も大功なり。然れども我多分討死を遂ぐべければ、我微志を、顯はして、今宵計りなりとも、汝等を喜ばしめんと思ふなりと言へば、士卒等勇み進て、此君勝利を得給へかし、恩賞厚く賜はらんと喜び競ひける。果して一戰に長國を打敗れり。 ○柴田因幡守治長、新發田に據り、景勝に反く。十一年八月、景勝、治長が屬城杉原へ押寄する時、何にとかしたりけん、味方の備下々より崩れ立、囂しき故、物頭物奉行乘廻して制すれども、定まらず、諸手ともに騷動す。景勝采幣を取て貝鐘太鼓を合はせ、旗本より一度に噸と鬨を作る。諸備ともに悉く鬨を合はす。續けて三度鬨を作りて、即ち押へて鬨を止むる。鬨の聲止まると其儘定まれり。
現代語訳
翌二日、長国は深手で死んだので、ほどなく景虎も亡くなった。長国は、初め弥五郎と称し、十六歳から数度の剛強の働きをし、鬼弥五郎と言われた者である。 ○この戦いで、景勝は士卒をことごとく召し集め、恩賞それぞれの書付を与えて言った。私が今度勝利を得るならば、なお加恩は功によるべきである。今夜夜半に出立し、長国の陣に押し寄せ、敵の不意を打って、勝負を一時に決する。今回本意を遂げたなら、お前たちも大功である。しかし私は多分討死を遂げるだろうから、私の微志をあらわして、今宵ばかりでもお前たちを喜ばせようと思うのである、と言うと、士卒らは勇み進んで、この君に勝利を得てほしい、恩賞は厚く賜るだろうと喜び競った。はたして一戦で長国を打ち破った。 ○柴田因幡守治長が新発田に拠り、景勝に背いた。十一年八月、景勝が治長の属城の杉原へ押し寄せるとき、どうしたことか、味方の備えが下の方から崩れ立ち、騒がしくなったので、物頭や物奉行が乗り回して制したけれども、収まらず、諸手ともに騒動した。景勝は采配を取って貝、鐘、太鼓を合わせ、旗本から一度にどっと鬨の声を作った。諸備えともにことごとく鬨の声を合わせた。続けて三度鬨の声を作って、そのまま押さえて鬨の声を止めた。鬨の声が止むと、そのまま収まった。
解説

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『武士道』第二章 武士道の淵源・十六世紀に最高度に発展した慧眼なる仏国碩学メール氏は、其の『日本史論』中、第十六世紀史に就いて感想せる意見を総説して曰はく、第十六世紀の中葉まで、日本は、政治も、社会も、宗教も共に混乱の状態に陥りたり。然りと雖、争乱紛擾止む時なく、社会の情態は蛮野に復し、人民自から義法を行ふの要ありたるよりして、彼等はテーヌが『勇敢なる起手、決意断行の習性、堅忍敢為の襟度』と賛せる、第十六世紀の伊太利人に髣髴たるの人格を形成したり。然るに伊太利に於けるが如く、日本に於て亦た、テーヌの云へる如く、『中世紀の粗野なる状勢の、人をして武力的、反抗的なる、卓絶非凡の動物たらしむる』ものありたるが故に、日本民族の資質は、第十六世紀に於て、最高度に発展し、其性情、心念亦た同時にすこぶる多方に伸張したり。
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尉繚子・兵教下今戦国相攻め、大いに有徳を伐つ。伍よりして両、両よりして師、其の令を一にせず、率ね民心をして定まらざらしめ、徒らに驕侈を尚び、謀患辨訟し、吏其の事を究め、累ねて且に敗れんとす。日暮れ路遠く、還るに剉気有り、師老い将貪り、争掠して敗れ易し。凡そ将軽く、塁卑く、衆動けば、攻むべきなり。将重く、塁高く、衆懼るれば、囲むべきなり。凡そ囲むには必ず其の小利を開き、漸く夷弱ならしむれば、則ち節吝して食はざる者有り。衆夜撃つ者は、驚くなり。衆事を避くる者は、離るるなり。人の救を待ち、戦を期して蹙まるは、皆心失はれて気傷るるなり。気を傷れば軍を敗り、曲謀は国を敗る。