名将言行録 / 『名将言行録』上杉輝虎 鳥銃を捨てた岑沢
○輝虎、武藏、上野、下野邊へ毎年五七十日の間往返せしに、敵の城城皆門を閉ぢて出合はず、況や戰ふ者をや、敵は論なし、味方の大小名も、此序に取られんかと、上下安き心なし。關東の敵味方、輝虎越後へ歸陣するに、上野猿ケ京を通り過ぎたりと聞て、初て安堵の思ひを成せり。只大夕立大雷鳴過ぎて後、雨霽たる心地して、喜びけるとぞ。 ○輝虎の臣岑澤某と云ふ者、罪ありて放斥せられ、越中の椎名に奉公せり。輝虎越中へ兵を出しゝ時、岑澤叢に隱れ、鳥銃を以て伺ひ居たりしが、俄に鳥銃を傍らに扱け捨て、泣き居たり。輝虎見出して、如何に岑澤珍しと言はれしかば、岑澤さばかりの仁君智將を討ち奉らんと存せしこと、悔く成て候、今遙に見奉りて、先きに屋形の心に背き、又斯る巧を仕ること、此上もなき大罪にて候、疾々首を刎らるべしと言て、伏しければ、輝虎打笑ひ、吾に智仁とは相應せざる虛名なり、疾く馳歸りて、椎名に能く仕へよと言はれしかども、岑澤越後に歸りて農夫となりて、一生を終りたりとかや。
新字:○輝虎、武蔵、上野、下野辺へ毎年五七十日の間往返せしに、敵の城城皆門を閉ぢて出合はず、況や戦ふ者をや、敵は論なし、味方の大小名も、此序に取られんかと、上下安き心なし。関東の敵味方、輝虎越後へ帰陣するに、上野猿ケ京を通り過ぎたりと聞て、初て安堵の思ひを成せり。只大夕立大雷鳴過ぎて後、雨霽たる心地して、喜びけるとぞ。 ○輝虎の臣岑沢某と云ふ者、罪ありて放斥せられ、越中の椎名に奉公せり。輝虎越中へ兵を出しゝ時、岑沢叢に隠れ、鳥銃を以て伺ひ居たりしが、俄に鳥銃を傍らに扱け捨て、泣き居たり。輝虎見出して、如何に岑沢珍しと言はれしかば、岑沢さばかりの仁君智将を討ち奉らんと存せしこと、悔く成て候、今遥に見奉りて、先きに屋形の心に背き、又斯る巧を仕ること、此上もなき大罪にて候、疾々首を刎らるべしと言て、伏しければ、輝虎打笑ひ、吾に智仁とは相応せざる虚名なり、疾く馳帰りて、椎名に能く仕へよと言はれしかども、岑沢越後に帰りて農夫となりて、一生を終りたりとかや。
書き下し
○輝虎、武藏、上野、下野邊へ毎年五七十日の間往返せしに、敵の城城皆門を閉ぢて出合はず、況や戰ふ者をや、敵は論なし、味方の大小名も、此序に取られんかと、上下安き心なし。關東の敵味方、輝虎越後へ歸陣するに、上野猿ケ京を通り過ぎたりと聞て、初て安堵の思ひを成せり。只大夕立大雷鳴過ぎて後、雨霽たる心地して、喜びけるとぞ。 ○輝虎の臣岑澤某と云ふ者、罪ありて放斥せられ、越中の椎名に奉公せり。輝虎越中へ兵を出しゝ時、岑澤叢に隱れ、鳥銃を以て伺ひ居たりしが、俄に鳥銃を傍らに扱け捨て、泣き居たり。輝虎見出して、如何に岑澤珍しと言はれしかば、岑澤さばかりの仁君智將を討ち奉らんと存せしこと、悔く成て候、今遙に見奉りて、先きに屋形の心に背き、又斯る巧を仕ること、此上もなき大罪にて候、疾々首を刎らるべしと言て、伏しければ、輝虎打笑ひ、吾に智仁とは相應せざる虛名なり、疾く馳歸りて、椎名に能く仕へよと言はれしかども、岑澤越後に歸りて農夫となりて、一生を終りたりとかや。
現代語訳
輝虎は、武蔵・上野・下野あたりへ毎年五、七十日の間往復しましたが、敵の城々は皆門を閉ざして出合わず、まして戦う者はいません。敵は言うまでもなく、味方の大小名も、このついでに(城を)取られるのではないかと、上下みな安心できませんでした。関東の敵も味方も、輝虎が越後へ帰陣して、上野の猿ヶ京を通り過ぎたと聞いて、はじめて安堵の思いをしました。ただ大夕立と大雷鳴が過ぎて、雨が晴れたような心地で喜んだと伝わります。 輝虎の臣で岑沢某という者が、罪があって追放され、越中の椎名に奉公していました。輝虎が越中へ兵を出したとき、岑沢は茂みに隠れて、鳥銃で狙っていましたが、急に鳥銃を傍らに投げ捨てて泣いていました。輝虎は見つけて、「どうした岑沢、珍しいな」と言われたので、岑沢は言いました。「あれほどの仁君・智将を討ち奉ろうと思ったことが、悔やまれます。いま遠くから拝見し、先には屋形の心に背き、またこのような企みをしたことは、この上ない大罪です。早く首を刎ねてください」と言って平伏しました。輝虎は打ち笑い、「私に智仁とは似つかわしくない虚名だ。早く馳せ帰って、椎名によく仕えよ」と言われましたが、岑沢は越後に帰って農夫となり、一生を終えたということです。
解説

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