言志四録 / 言志後録 第七条 人をして情を輸さしむ
聖人淸明在躬。氣志如神。故人之到其前。竦然起敬。不敢褻慢。不敢諂諛。信而親之。盡輸其情。如到鬼神前祈請一般。使人輸情如是。天下不足治。
新字:聖人清明在躬。気志如神。故人之到其前。竦然起敬。不敢褻慢。不敢諂諛。信而親之。尽輸其情。如到鬼神前祈請一般。使人輸情如是。天下不足治。
書き下し
聖人は清明躬に在り、気志神の如し。故に人の其の前に到るや、竦然として敬を起こし、敢へて褻慢せず、敢へて諂諛せず、信じて之に親しみ、尽く其の情を輸す。鬼神の前に到りて祈請するが如きと一般なり。人をして情を輸さしむること是くの如くんば、天下は治むるに足らず。
現代語訳
聖人はその身に清らかさと明るさがあり、気力と志は神のようである。だから人がその前に出ると、身の引き締まる思いで敬う心を起こし、なれなれしく侮ることもせず、こびへつらうこともせず、信頼して親しみ、自分の本心をすべて打ち明ける。それは神仏の前に出て祈りを捧げるのと同じようなものである。人にこれほどまでに本心を打ち明けさせることができるならば、天下を治めることなど難しいことではない。
解説
「清明躬に在り、気志神の如し」は『礼記』孔子閒居篇の言葉です。心身が澄みきった人の前では、人は侮ることも媚びることもなく、ただ信じて本心をさらけ出す、と一斎は言います。媚びる必要がないのは、相手がこちらを利害で見ていないと分かるからでしょう。そして人が本音を言える相手であれば、天下を治めることさえ難しくない、と結びます。統治の根本を制度や力ではなく、人に本心を打ち明けさせる人格に置いているのが印象的です。部下が上司に本当のことを言えるかどうかは、組織の健全さを測る目安の一つです。自分の前で人が構えたり取り繕ったりしていないかを振り返る材料になります。
この章句が説くこと
人徳信頼清明為政心理的安全性
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