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名将言行録 / 『名将言行録』上杉輝虎 落ち目を攻めない理由

○晴信死去の由聞えし時、老臣共此虛に乘じて信濃に御出陣候ひなば、皆御手に入るべしと勸めけれども、輝虎聽かず、若き勝頼の代替を目掛て取らんこと、長氣なき振舞なりとて、出陣せず。又長篠の役後、勸めし者あり。輝虎曰く、今我出陣せば甲斐まで取るべし、然れども人の落目を見て攻め取るは、本意ならぬことなりと言て、終に勝頼の領國に出兵せず。 ○四年、輝虎、加賀松任を屠る。織田信長後援せしが、城陷るを聞て、奔潰す。時に越中神保の押へに置く者を始め、直江、柴田の諸將まで、此勢に乘じ神保を擊んと勸む。輝虎聞て、夫は遠慮なきことなり、武田信玄は六分の勝を、常に全き勝として、七八分には竟にせざる由聞き及びたり。今度は信長五萬餘人の目前にて、松任の要害を一日に乘取り、殊に城主剛強と聞ゆる長筑前守兄弟を打取り、其上に信長方に前方案内を申入、此方より仕掛け追崩したるは、十一分に過ぎたる大勝なり。其上又神保へ働き、越中まで治むること、凡そ十八分と言ふは、是等ならん。天道は滿るを缺くと申ことあれば、先々此度は歸陣尤もなり。信玄ならば、何にとして松任の城を攻落して、大聖寺の陣へ仕掛け申べきや、此分が吾等が信玄に及ばざる所の一つなりと言はれければ、何れも感服して、翌日歸陣せり。

新字:○晴信死去の由聞えし時、老臣共此虚に乗じて信濃に御出陣候ひなば、皆御手に入るべしと勧めけれども、輝虎聴かず、若き勝頼の代替を目掛て取らんこと、長気なき振舞なりとて、出陣せず。又長篠の役後、勧めし者あり。輝虎曰く、今我出陣せば甲斐まで取るべし、然れども人の落目を見て攻め取るは、本意ならぬことなりと言て、終に勝頼の領国に出兵せず。 ○四年、輝虎、加賀松任を屠る。織田信長後援せしが、城陥るを聞て、奔潰す。時に越中神保の押へに置く者を始め、直江、柴田の諸将まで、此勢に乗じ神保を撃んと勧む。輝虎聞て、夫は遠慮なきことなり、武田信玄は六分の勝を、常に全き勝として、七八分には竟にせざる由聞き及びたり。今度は信長五万余人の目前にて、松任の要害を一日に乗取り、殊に城主剛強と聞ゆる長筑前守兄弟を打取り、其上に信長方に前方案内を申入、此方より仕掛け追崩したるは、十一分に過ぎたる大勝なり。其上又神保へ働き、越中まで治むること、凡そ十八分と言ふは、是等ならん。天道は満るを欠くと申ことあれば、先々此度は帰陣尤もなり。信玄ならば、何にとして松任の城を攻落して、大聖寺の陣へ仕掛け申べきや、此分が吾等が信玄に及ばざる所の一つなりと言はれければ、何れも感服して、翌日帰陣せり。

書き下し

○晴信死去の由聞えし時、老臣共此虛に乘じて信濃に御出陣候ひなば、皆御手に入るべしと勸めけれども、輝虎聽かず、若き勝頼の代替を目掛て取らんこと、長氣なき振舞なりとて、出陣せず。又長篠の役後、勸めし者あり。輝虎曰く、今我出陣せば甲斐まで取るべし、然れども人の落目を見て攻め取るは、本意ならぬことなりと言て、終に勝頼の領國に出兵せず。 ○四年、輝虎、加賀松任を屠る。織田信長後援せしが、城陷るを聞て、奔潰す。時に越中神保の押へに置く者を始め、直江、柴田の諸將まで、此勢に乘じ神保を擊んと勸む。輝虎聞て、夫は遠慮なきことなり、武田信玄は六分の勝を、常に全き勝として、七八分には竟にせざる由聞き及びたり。今度は信長五萬餘人の目前にて、松任の要害を一日に乘取り、殊に城主剛強と聞ゆる長筑前守兄弟を打取り、其上に信長方に前方案内を申入、此方より仕掛け追崩したるは、十一分に過ぎたる大勝なり。其上又神保へ働き、越中まで治むること、凡そ十八分と言ふは、是等ならん。天道は滿るを缺くと申ことあれば、先々此度は歸陣尤もなり。信玄ならば、何にとして松任の城を攻落して、大聖寺の陣へ仕掛け申べきや、此分が吾等が信玄に及ばざる所の一つなりと言はれければ、何れも感服して、翌日歸陣せり。

現代語訳

晴信が死去したと聞こえたとき、老臣たちは、この虚に乗じて信濃にご出陣なされば、すべて手に入りますと勧めましたが、輝虎は聞き入れず、「若い勝頼の代替わりを狙って取ろうとするのは、長気ない(度量のない)振る舞いだ」と言って、出陣しませんでした。また長篠の役の後にも勧める者がありました。輝虎は言いました。「今、私が出陣すれば甲斐まで取れるだろう。しかし人の落ち目を見て攻め取るのは、本意ではない」と。ついに勝頼の領国に出兵しませんでした。 四年、輝虎は加賀の松任を攻め落としました。織田信長が後援していましたが、城が落ちると聞いて、潰走しました。そのとき越中の神保への押さえに置いた者をはじめ、直江、柴田の諸将までが、この勢いに乗じて神保を撃つよう勧めます。輝虎は聞いて言いました。「それは遠慮のない(思慮のない)ことだ。武田信玄は六分の勝ちを常に全き勝ちとして、七、八分にはついにしないと聞き及んでいる。今度は信長の五万余人の目の前で、松任の要害を一日で乗っ取り、ことに城主で剛強と聞こえた長筑前守の兄弟を討ち取り、そのうえ信長方に前方から案内を申し入れておいて、こちらから仕掛けて追い崩したのは、十一分に過ぎた大勝である。そのうえまた神保へ働き、越中までも治めようというのは、およそ十八分というものだろう。天道は満ちるものを欠くと申すことがあるので、まず今度は帰陣するのが至当だ。信玄ならば、どうして松任の城を攻め落としたうえで、大聖寺の陣へ仕掛けるようなことをしようか。この点が、私が信玄に及ばないところの一つだ」と言われたので、皆は感服して、翌日帰陣しました。

解説

信玄が亡くなったときも、長篠の戦いののちも、家臣が出兵を勧めたのに輝虎は取り合わず、落ち目の相手を攻めるのは本意でないと退けました。松任の城では大勝のあとに越中へ進めという意見を斥け、六分の勝ちを全勝とする信玄を引き合いに、満ちれば欠けるとして帰陣を命じます。勝ちの切り上げ時を知る節度が語られています。現代でも、成功のあとに事業を広げすぎて崩れる例は多く、どこで止めるかという判断の重みを考える手がかりになります。
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この章句が説くこと

落ち目松任六分の勝ち満ちれば欠く帰陣節度

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