名将言行録 / 『名将言行録』山縣昌景 一番鎗と抜け出る意地
殊更男子の武邊、走廻ること老若によらず、五百千ある一と備の中より、二人三人勝れて追合の場、或は城へ取寄するにも、振の見事にこたへたる侍は、一度にても剛の兵と名付て、覺えの人と言へり。是は追合に勝負なくしての義、城へ取寄するに、卷きたる城を攻めずして卷解すは、大將一人の下知故なれば、小身者の計らひにならず、然る所に退くにも掛るにも、五百千に拔出る人を英雄と申て、昔より譽めたり。拔出る侍の意地は、敵合十間二十間、又一町にても、勝負の始まる少し前が、男子の善惡の見ゆる所なり。仔細は弓鐵炮の迫合盛りのことは、二十間三十間一町の内にてあり。夫を近く寄れば鎗の戰なり、然らば一番鎗を譽るも、人の進まぬに、勝れて拔出る覺悟をこそ譽むるなれ。鎗下の高名も、右進む人より敵の近くへ寄りての勝負なる故、一番鎗に差續き譽むるなり。二番鎗三番鎗は、敵に寄り、崩れ兼ねたる強き敵にあり。何にと強き敵にても、四番目には早や追頸にてあり。去る程に、信玄公御家にて、鎗は多くして二人三人、三番鎗と云ふことは、終に聞かず。一番鎗を合はする一人に、續きて二人計り鎗と呼ばるゝ、其二番鎗を突く人と、鎗下の高名は、對々の手柄ならん。侍は軍法に背かずして、弓鐵炮の降る程來る所に於て、十間二十間三十間一町の間に、手負死人重なる場にて、拔出る人、敵味方打合はど、一番鎗の棟梁たるべし。其人を譽めてこそ、譽れの者は多く出來申さめ。右に語る五百千ある一と備の中に、一二人拔出たる侍の掛る時と、退く時とを比ぶるならば、退く時、跡に下るは、掛る時の強みに、大方六雙倍程武き意地勝れたり。夫も深手を蒙るか、何ぞの模様を聞届けて穿鑿し、弓箭の批判能く分別して、侍を引廻されよと。
新字:殊更男子の武辺、走廻ること老若によらず、五百千ある一と備の中より、二人三人勝れて追合の場、或は城へ取寄するにも、振の見事にこたへたる侍は、一度にても剛の兵と名付て、覚えの人と言へり。是は追合に勝負なくしての義、城へ取寄するに、巻きたる城を攻めずして巻解すは、大将一人の下知故なれば、小身者の計らひにならず、然る所に退くにも掛るにも、五百千に抜出る人を英雄と申て、昔より誉めたり。抜出る侍の意地は、敵合十間二十間、又一町にても、勝負の始まる少し前が、男子の善悪の見ゆる所なり。仔細は弓鉄炮の迫合盛りのことは、二十間三十間一町の内にてあり。夫を近く寄れば鎗の戦なり、然らば一番鎗を誉るも、人の進まぬに、勝れて抜出る覚悟をこそ誉むるなれ。鎗下の高名も、右進む人より敵の近くへ寄りての勝負なる故、一番鎗に差続き誉むるなり。二番鎗三番鎗は、敵に寄り、崩れ兼ねたる強き敵にあり。何にと強き敵にても、四番目には早や追頸にてあり。去る程に、信玄公御家にて、鎗は多くして二人三人、三番鎗と云ふことは、終に聞かず。一番鎗を合はする一人に、続きて二人計り鎗と呼ばるゝ、其二番鎗を突く人と、鎗下の高名は、対々の手柄ならん。侍は軍法に背かずして、弓鉄炮の降る程来る所に於て、十間二十間三十間一町の間に、手負死人重なる場にて、抜出る人、敵味方打合はど、一番鎗の棟梁たるべし。其人を誉めてこそ、誉れの者は多く出来申さめ。右に語る五百千ある一と備の中に、一二人抜出たる侍の掛る時と、退く時とを比ぶるならば、退く時、跡に下るは、掛る時の強みに、大方六双倍程武き意地勝れたり。夫も深手を蒙るか、何ぞの模様を聞届けて穿鑿し、弓箭の批判能く分別して、侍を引廻されよと。
書き下し
殊更男子の武邊、走廻ること老若によらず、五百千ある一と備の中より、二人三人勝れて追合の場、或は城へ取寄するにも、振の見事にこたへたる侍は、一度にても剛の兵と名付て、覺えの人と言へり。是は追合に勝負なくしての義、城へ取寄するに、卷きたる城を攻めずして卷解すは、大將一人の下知故なれば、小身者の計らひにならず、然る所に退くにも掛るにも、五百千に拔出る人を英雄と申て、昔より譽めたり。拔出る侍の意地は、敵合十間二十間、又一町にても、勝負の始まる少し前が、男子の善惡の見ゆる所なり。仔細は弓鐵炮の迫合盛りのことは、二十間三十間一町の内にてあり。夫を近く寄れば鎗の戰なり、然らば一番鎗を譽るも、人の進まぬに、勝れて拔出る覺悟をこそ譽むるなれ。鎗下の高名も、右進む人より敵の近くへ寄りての勝負なる故、一番鎗に差續き譽むるなり。二番鎗三番鎗は、敵に寄り、崩れ兼ねたる強き敵にあり。何にと強き敵にても、四番目には早や追頸にてあり。去る程に、信玄公御家にて、鎗は多くして二人三人、三番鎗と云ふことは、終に聞かず。一番鎗を合はする一人に、續きて二人計り鎗と呼ばるゝ、其二番鎗を突く人と、鎗下の高名は、對々の手柄ならん。侍は軍法に背かずして、弓鐵炮の降る程來る所に於て、十間二十間三十間一町の間に、手負死人重なる場にて、拔出る人、敵味方打合はど、一番鎗の棟梁たるべし。其人を譽めてこそ、譽れの者は多く出來申さめ。右に語る五百千ある一と備の中に、一二人拔出たる侍の掛る時と、退く時とを比ぶるならば、退く時、跡に下るは、掛る時の強みに、大方六雙倍程武き意地勝れたり。夫も深手を蒙るか、何ぞの模様を聞届けて穿鑿し、弓箭の批判能く分別して、侍を引廻されよと。
現代語訳
ことに男子の武辺として、走り回ることは老若によらない。五百、千とある一つの備えの中から、二、三人が優れて、追い合いの場、あるいは城へ取り寄せるにも、振る舞いが見事にこたえた侍は、一度でも剛の兵と名づけて、覚えの人と言う。これは追い合いで勝負がないときのことで、城へ取り寄せるにも、巻いている城を攻めずに巻き解くのは大将一人の指図であるから、小身者の計らいにはならない。そのような所で、退くにも掛かるにも、五百、千の中から抜け出る人を英雄と言って、昔から誉めた。抜け出る侍の意地は、敵合い十間、二十間、または一町でも、勝負が始まる少し前が、男子の善悪が見えるところである。その理由は、弓・鉄砲の迫り合いの盛りは、二十間、三十間、一町の内にある。それを近く寄れば槍の戦いである。そうであれば一番槍を誉めるのも、人が進まないうちに、優れて抜け出る覚悟を誉めるのである。槍下の高名も、右の進む人より敵の近くへ寄っての勝負であるから、一番槍に続いて誉める。二番槍、三番槍は、敵に寄って、崩れ兼ねた強い敵にある。どれほど強い敵でも、四番目にはすでに追い首である。それゆえ、信玄公の御家では、槍は多くて二人、三人で、三番槍ということは、ついぞ聞かない。一番槍を合わせる一人に、続いて二人ほどが槍と呼ばれ、その二番槍を突く人と、槍下の高名は、対々の手柄だろう。侍は軍法に背かず、弓・鉄砲の降るほど来る場所で、十間、二十間、三十間、一町の間に、手負い・死人が重なる場で、抜け出る人は、敵と味方が打ち合うとき、一番槍の棟梁であるべきだ。その人を誉めてこそ、誉れの者は多く出てくるだろう。右に語る五百、千ある一つの備えの中で、一、二人抜け出た侍が、掛かるときと退くときとを比べるなら、退くとき、後ろに下がるのは、掛かるときの強みに、おおよそ六倍ほど勇ましい意地が優れている。それも深手を負うか、何かの様子を聞き届けて詮索し、弓矢の批判をよく分別して、侍を引き回されよ、と。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『留魂録』第三条聞く、薩の日下部以三次は対吏の日、当今政治の欠失を歴詆して、「是くの如くにては往先三五年の無事も保ち難し」と云ひて、鞠吏を激怒せしめ、乃ち曰く、「是れを以て死罪を得ると雖も悔いざるなり」と。是れ吾の及ばざる所なり。子遠の死を以て吾に責むるも、亦此の意なるべし。唐の段秀実、郭晞に於ては彼が如くの誠悃、朱泚に於ては彼が如くの激烈、然らば則ち英雄自ら時措の宜しきあり。要は内に省みて疚しからざるにあり。抑々亦人を知り幾を見ることを尊ぶ。吾の得失、当に蓋棺の後を待ちて議すべきのみ。
-
『驢鞍橋』卷上一日語て曰く、何某殿は大なる修行者ではをりないか、何たる大病を受けて死すとも、隣あるきする様に死なんと云はれたり。時に一僧云、只左様に思ひたる計りにて、修行は仕さうな人に非す。師曰、ともあれ兎角大なる修行の種は有る人也。
-
『甲陽軍鑑』品第四十七目安あがり御前公事になる、信玄公両方の目安御覧あり、各々六人の申分をきゝ給ひ則ち仰せ出さるゝ、第一長沼兄弟はほまれあり、子細は其塲にて仕合の手前はいかんもあれ、幼少にてはなれたる親の敵の他国にあるを、母など申す口にてうたんと思ひ入り、二十一や二十に成るを待ちかね、其年信濃へ参り候刻、出て二度帰るまじと武田の宮に願書をこめ、存分をとげたれば、たとへば様子あしくといふとも心ばせは大剛なり、
-
『韓非子』六反第四十六故に無術者は用ひられざるに得、不肖者は任ぜられざるに得。言用ひられずして自ら文りて以て辯と為し、身任ぜられずして自ら飾りて以て高しと為す。世主其の辯に眩み、其の高きに濫れて之を尊貢す、是れ視るを須たずして明を定め、対ふるを待たずして辯を定むるなり、喑盲者得られざるなり。明主は其の言を聴けば必ず其の用を責め、其の行を観れば必ず其の功を求む、然らば則ち虚旧の学談ぜられず、矜誣の行飾られず。
-
『後世への最大遺物』第二回・来世の人に大いに望む私は山陽のほかのことは知りませぬ。かの人の私行については二つ三つ不同意なところがあります。彼の国体論や兵制論については不同意であります。しかしながら彼山陽の一つの野心、すなわち「われは今世に望むところはないけれども、来世の人に大いに望むところがある」といった彼の欲望は、私が実に彼を尊敬してやまざるところであります。すなわち山陽は『日本外史』を遺物として死んでしまって、骨は洛陽東山に葬ってありますけれども、『日本外史』から新日本国は生まれてきました。
-
『呻吟語』内篇・問學・中淺狹にして養ひ厚からざる者萬金の賈は、貨售れずと雖も憂へず。販夫は門を閉ざすこと數日なれば、則ち愁苦任へず。凡そ知られずして慍み、是とせられずして悶ゆるは、皆な中淺狹にして養ひ厚からざる者なり。