名将言行録 / 『名将言行録』山縣昌景 武芸四門の習う順
○昌景曰く、武藝四門とは、弓、鐵砲、兵法、馬、是の四つなり。侍は大小によらず、右四つを善くも惡くも習ひ、其上自餘のことを稽古致さば、物を讀習ひ、同く書習ふこと、肝要にて候。其後亂舞も尤なり、然らば右四つの中に、先づ初めに習はんことは馬なり、二に兵法、三に弓、四に鐵炮と申て、馬を最前に習ふは、馬と申もの、軍場にて何にたる大身も、代りを立て人を賴みて乘らぬなり。偖又兵法は、切合の時、代りの成らぬ業なるは源賴朝さへ、曾我時致の夜討の時、長刀を執て出られたり。三番に弓は侍の家のものなり、仔細は國持の武道に手柄せしは覺えの人、譽れの人と言はず、弓箭を能く執ると申せり。然かも弓の儀は、古來より武士の家に副ふ物にて、之を譬ば古き系圖の侍の如し。仕出の侍は、鐵炮の如くならん、鐵炮は猛烈なるものと雖も、魔物の恐怖すること少し。弓は又鐵炮程烈敷なしと雖も、狐に付かるゝ者、又は一切の不審物怪には、弓にて鳴弦行のある上は、武士の奧意は弓なり、鐵炮も所により、侍の脇鎗を打ち、城を卷き、其城內へ打入り攻むる時は、是以て足輕大將より下の人の爲すべき業なり。偖又兵法の義習はずとも、度々切合に利を得る人あれば、兵法稽古なくても苦しからず。然りと雖も、百人に九十人は、人を狙ふか、人に狙はるゝかあれば、必ず兵法に志すものなり。何ぞありて、其時志すは遠慮なく武士道不心掛と言べし、只何事なき以前に、兵法を學べば、一段心掛の侍なりと。
新字:○昌景曰く、武芸四門とは、弓、鉄砲、兵法、馬、是の四つなり。侍は大小によらず、右四つを善くも悪くも習ひ、其上自余のことを稽古致さば、物を読習ひ、同く書習ふこと、肝要にて候。其後乱舞も尤なり、然らば右四つの中に、先づ初めに習はんことは馬なり、二に兵法、三に弓、四に鉄炮と申て、馬を最前に習ふは、馬と申もの、軍場にて何にたる大身も、代りを立て人を頼みて乗らぬなり。偖又兵法は、切合の時、代りの成らぬ業なるは源頼朝さへ、曽我時致の夜討の時、長刀を執て出られたり。三番に弓は侍の家のものなり、仔細は国持の武道に手柄せしは覚えの人、誉れの人と言はず、弓箭を能く執ると申せり。然かも弓の儀は、古来より武士の家に副ふ物にて、之を譬ば古き系図の侍の如し。仕出の侍は、鉄炮の如くならん、鉄炮は猛烈なるものと雖も、魔物の恐怖すること少し。弓は又鉄炮程烈敷なしと雖も、狐に付かるゝ者、又は一切の不審物怪には、弓にて鳴弦行のある上は、武士の奥意は弓なり、鉄炮も所により、侍の脇鎗を打ち、城を巻き、其城内へ打入り攻むる時は、是以て足軽大将より下の人の為すべき業なり。偖又兵法の義習はずとも、度々切合に利を得る人あれば、兵法稽古なくても苦しからず。然りと雖も、百人に九十人は、人を狙ふか、人に狙はるゝかあれば、必ず兵法に志すものなり。何ぞありて、其時志すは遠慮なく武士道不心掛と言べし、只何事なき以前に、兵法を学べば、一段心掛の侍なりと。
書き下し
○昌景曰く、武藝四門とは、弓、鐵砲、兵法、馬、是の四つなり。侍は大小によらず、右四つを善くも惡くも習ひ、其上自餘のことを稽古致さば、物を讀習ひ、同く書習ふこと、肝要にて候。其後亂舞も尤なり、然らば右四つの中に、先づ初めに習はんことは馬なり、二に兵法、三に弓、四に鐵炮と申て、馬を最前に習ふは、馬と申もの、軍場にて何にたる大身も、代りを立て人を賴みて乘らぬなり。偖又兵法は、切合の時、代りの成らぬ業なるは源賴朝さへ、曾我時致の夜討の時、長刀を執て出られたり。三番に弓は侍の家のものなり、仔細は國持の武道に手柄せしは覺えの人、譽れの人と言はず、弓箭を能く執ると申せり。然かも弓の儀は、古來より武士の家に副ふ物にて、之を譬ば古き系圖の侍の如し。仕出の侍は、鐵炮の如くならん、鐵炮は猛烈なるものと雖も、魔物の恐怖すること少し。弓は又鐵炮程烈敷なしと雖も、狐に付かるゝ者、又は一切の不審物怪には、弓にて鳴弦行のある上は、武士の奧意は弓なり、鐵炮も所により、侍の脇鎗を打ち、城を卷き、其城內へ打入り攻むる時は、是以て足輕大將より下の人の爲すべき業なり。偖又兵法の義習はずとも、度々切合に利を得る人あれば、兵法稽古なくても苦しからず。然りと雖も、百人に九十人は、人を狙ふか、人に狙はるゝかあれば、必ず兵法に志すものなり。何ぞありて、其時志すは遠慮なく武士道不心掛と言べし、只何事なき以前に、兵法を學べば、一段心掛の侍なりと。
現代語訳
昌景は言いました。武芸の四門とは、弓、鉄砲、兵法、馬、この四つである。侍は大身小身によらず、この四つを上手にも下手にも習い、そのうえで他のことを稽古するなら、物を読み習い、同じく書き習うことが肝要である。その後で乱舞もまたよい。そうであるなら、右の四つのうち、まず初めに習うべきは馬である。二に兵法、三に弓、四に鉄砲と言って、馬を最初に習うのは、馬というものは、戦場でどれほどの大身でも、代わりを立て、人に頼んで乗らせることはないからである。さて兵法は、切り合いの時、代わりのきかない業である。源頼朝でさえ、曽我時致の夜討ちの時、長刀を取って出られた。三番に弓は、侍の家のものである。その理由は、国持ちが武道で手柄を立てたのは、覚えの人、誉れの人と言わず、弓矢をよく取ると言ったからである。しかも弓のことは、古来より武士の家に付き添うものであって、たとえば古い系図の侍のようなものだ。新しく取り立てられた侍は鉄砲のようなものだろう。鉄砲は猛烈なものだが、魔物が恐れることは少ない。弓は鉄砲ほど激しくはないが、狐に憑かれた者、あるいはすべての不審な物の怪には、弓で鳴弦の行がある以上、武士の奥義は弓である。鉄砲も場所により、侍の脇槍を打ち、城を巻き、その城内へ打ち入って攻めるときは、これは足軽大将より下の人のなすべき業である。さらに兵法の義は、習わなくても、たびたび切り合いで利を得る人があれば、兵法の稽古がなくても差し支えない。しかしながら、百人のうち九十人は、人を狙うか、人に狙われるかすることがあるので、必ず兵法に志すものである。何か起きて、そのときに志すのは、遠慮なく武士道の心がけがないと言うべきで、ただ何事もない以前に兵法を学べば、一段と心がけのある侍である、と。
解説

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