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名将言行録 / 『名将言行録』馬場信房 討死の覚悟と最後の名乗り

此時眞田源太左衞門信綱、土屋右衞門尉昌次等、是非に引取れと、追々に軍吏を立るにより、信房八十餘人の朱に成りしを前後に立て、引退きしが、又軍勢を休め、三の柵際に至り、前田又左衞門利家、野々村三十郎幸勝等が鳥銃の備を追散す。此時都合九度の驅合に、味方悉く討死す。然れども信房は未だ手痍をも蒙らず。同心被官に向て曰く、今朝卯の刻に打出し時は七百餘人なりしかども。今午の刻に及びて、三時の迫合に、僅八十人に討成さるゝまで、汝等信房を見屆ること神妙なり。山縣、內藤、眞田、土屋を始め、名討死したる由、汝等は早く引退くべし、我は御旗本を守護し引退んと言へども、一人も引退かず。然る所に一條右衞門大夫信龍、信房に向ひ、諸手大將殘らず討死と見えて、備亂れ候、此上は怺へても詮なきことなり、御旗本を引退く方然るべく候はんかと言ふ。信房曰く、多分勝賴公も御討死成るべきかと存ずるにより、我等未だ存命候。御討死なくば、御旗本の退くを見て退き候はんと。此時信龍の同心和田刑部、信房に向て、御旗本の合戰嚴しく見え候、散卒を集められ、勝賴君を退け奉られ候へかしと申す。信房、其時斯る後れ口には、下知も用ひぬものなれば、只忠義には一人なりとも、命を繼て重ねての御用に立べし、汝も早く引取れと言ふ所に、德川の脇備本多忠勝、榊原康政、本多重次以下突掛る。勝賴少しも騷がず、馬を進むるを、土屋總藏昌惟、馬の轡を引返し、勝賴を退くる。信房は勝賴に二町計り引下り殘兵八十人を率ゐて、勝賴の旗影の見ゆる程は、敵を會釋し引けるが、猿ケ橋の此方より引返し、濱澤谷の丘陵に踏止まり、吾は馬場美濃守信房と曰ふ者なり、討て高名にせよと、如何にも尋常に呼はりければ、敵十騎計り、四方より鎗を付るに、終に刀に手をも掛けず、泰然として首を投けり。 昨二十日の夜、跡部長坂に向て、合戰を勸め奉る各は、自然遁れ給ふこともあるべく候、留め申す馬場美濃は、大方討死すべしと言ひしが、果して然り。是より武田氏の鋒大に衰ふ。

新字:此時真田源太左衛門信綱、土屋右衛門尉昌次等、是非に引取れと、追々に軍吏を立るにより、信房八十余人の朱に成りしを前後に立て、引退きしが、又軍勢を休め、三の柵際に至り、前田又左衛門利家、野々村三十郎幸勝等が鳥銃の備を追散す。此時都合九度の駆合に、味方悉く討死す。然れども信房は未だ手痍をも蒙らず。同心被官に向て曰く、今朝卯の刻に打出し時は七百余人なりしかども。今午の刻に及びて、三時の迫合に、僅八十人に討成さるゝまで、汝等信房を見届ること神妙なり。山県、内藤、真田、土屋を始め、名討死したる由、汝等は早く引退くべし、我は御旗本を守護し引退んと言へども、一人も引退かず。然る所に一条右衛門大夫信竜、信房に向ひ、諸手大将残らず討死と見えて、備乱れ候、此上は怺へても詮なきことなり、御旗本を引退く方然るべく候はんかと言ふ。信房曰く、多分勝頼公も御討死成るべきかと存ずるにより、我等未だ存命候。御討死なくば、御旗本の退くを見て退き候はんと。此時信竜の同心和田刑部、信房に向て、御旗本の合戦厳しく見え候、散卒を集められ、勝頼君を退け奉られ候へかしと申す。信房、其時斯る後れ口には、下知も用ひぬものなれば、只忠義には一人なりとも、命を継て重ねての御用に立べし、汝も早く引取れと言ふ所に、徳川の脇備本多忠勝、榊原康政、本多重次以下突掛る。勝頼少しも騷がず、馬を進むるを、土屋総蔵昌惟、馬の轡を引返し、勝頼を退くる。信房は勝頼に二町計り引下り残兵八十人を率ゐて、勝頼の旗影の見ゆる程は、敵を会釈し引けるが、猿ケ橋の此方より引返し、浜沢谷の丘陵に踏止まり、吾は馬場美濃守信房と曰ふ者なり、討て高名にせよと、如何にも尋常に呼はりければ、敵十騎計り、四方より鎗を付るに、終に刀に手をも掛けず、泰然として首を投けり。 昨二十日の夜、跡部長坂に向て、合戦を勧め奉る各は、自然遁れ給ふこともあるべく候、留め申す馬場美濃は、大方討死すべしと言ひしが、果して然り。是より武田氏の鋒大に衰ふ。

書き下し

此時眞田源太左衞門信綱、土屋右衞門尉昌次等、是非に引取れと、追々に軍吏を立るにより、信房八十餘人の朱に成りしを前後に立て、引退きしが、又軍勢を休め、三の柵際に至り、前田又左衞門利家、野々村三十郎幸勝等が鳥銃の備を追散す。此時都合九度の驅合に、味方悉く討死す。然れども信房は未だ手痍をも蒙らず。同心被官に向て曰く、今朝卯の刻に打出し時は七百餘人なりしかども。今午の刻に及びて、三時の迫合に、僅八十人に討成さるゝまで、汝等信房を見屆ること神妙なり。山縣、內藤、眞田、土屋を始め、名討死したる由、汝等は早く引退くべし、我は御旗本を守護し引退んと言へども、一人も引退かず。然る所に一條右衞門大夫信龍、信房に向ひ、諸手大將殘らず討死と見えて、備亂れ候、此上は怺へても詮なきことなり、御旗本を引退く方然るべく候はんかと言ふ。信房曰く、多分勝賴公も御討死成るべきかと存ずるにより、我等未だ存命候。御討死なくば、御旗本の退くを見て退き候はんと。此時信龍の同心和田刑部、信房に向て、御旗本の合戰嚴しく見え候、散卒を集められ、勝賴君を退け奉られ候へかしと申す。信房、其時斯る後れ口には、下知も用ひぬものなれば、只忠義には一人なりとも、命を繼て重ねての御用に立べし、汝も早く引取れと言ふ所に、德川の脇備本多忠勝、榊原康政、本多重次以下突掛る。勝賴少しも騷がず、馬を進むるを、土屋總藏昌惟、馬の轡を引返し、勝賴を退くる。信房は勝賴に二町計り引下り殘兵八十人を率ゐて、勝賴の旗影の見ゆる程は、敵を會釋し引けるが、猿ケ橋の此方より引返し、濱澤谷の丘陵に踏止まり、吾は馬場美濃守信房と曰ふ者なり、討て高名にせよと、如何にも尋常に呼はりければ、敵十騎計り、四方より鎗を付るに、終に刀に手をも掛けず、泰然として首を投けり。 昨二十日の夜、跡部長坂に向て、合戰を勸め奉る各は、自然遁れ給ふこともあるべく候、留め申す馬場美濃は、大方討死すべしと言ひしが、果して然り。是より武田氏の鋒大に衰ふ。

現代語訳

このとき真田源太左衛門信綱、土屋右衛門尉昌次らが、ぜひ引き取れと、次々に軍使を立てたので、信房は八十余人の血まみれになった者を前後に立てて引き退きましたが、また軍勢を休ませ、三の柵の際に至り、前田又左衛門利家、野々村三十郎幸勝らの鉄砲の備えを追い散らしました。このとき合わせて九度の駆け合いに、味方はことごとく討ち死にしました。それでも信房は、まだ傷も受けていませんでした。同心・被官に向かって言いました。今朝卯の刻に打ち出したときは七百余りであったが、今、午の刻に及んで、三時の戦いで、わずか八十人にまで討ちなされるまで、お前たちが信房を見届けてきたのは殊勝である。山縣、内藤、真田、土屋をはじめ、名のある者が討ち死にしたという。お前たちは早く引き退け。自分は御旗本を守護して引き退こうと言いましたが、一人も引き退きませんでした。そこへ一条右衛門大夫信龍が信房に向かって、諸手の大将は残らず討ち死にしたと見えて、備えが乱れています。この上はこらえても益のないことです。御旗本を引き退くのがよいのではないでしょうか、と言いました。信房は、おそらく勝頼公も討ち死になさるだろうと思うので、私はまだ存命でいる。討ち死になさらないなら、御旗本が退くのを見て退こう、と言いました。このとき信龍の同心、和田刑部が信房に向かって、御旗本の合戦が厳しく見えます。散り散りの兵を集め、勝頼君を退かせ申し上げてください、と言いました。信房は、そのとき、このような後れ口には指図も用いられないものだ。ただ忠義には一人でも命を継いで、重ねてのお役に立つべきである。お前も早く引き取れ、と言ったところへ、徳川の脇備え、本多忠勝、榊原康政、本多重次以下が突きかかってきました。勝頼は少しも騒がず、馬を進めましたが、土屋総蔵昌惟が馬の轡を引き返し、勝頼を退かせました。信房は勝頼から二町ばかり下がり、残兵八十人を率いて、勝頼の旗が見える間は敵に応対しながら引きましたが、猿ヶ橋のこちらから引き返し、浜沢谷の丘陵に踏みとどまり、自分は馬場美濃守信房という者である、討って高名にせよ、といかにも普通の様子で呼ばわったので、敵は十騎ばかり、四方から槍をつけましたが、ついに刀に手もかけず、泰然として首を投げ出しました。 昨二十日の夜、跡部・長坂に向かって、合戦を勧め申し上げた方々は、あるいは逃れなさることもあるでしょう。留め申した馬場美濃は、おおかた討ち死にするでしょうと言っていたが、はたしてそのとおりになった。これより武田氏の勢いは大いに衰えました。

解説

長篠の戦いにおける信房の最期を、事細かに語る章句です。兵を失い、仲間が倒れても、主君勝頼の退却を見届けるまで踏みとどまる姿が描かれます。部下に「早く退け」と命じ、後れ口では指図も通じないと見切ったうえで、ただ命を継ぐことを忠義とする判断は、撤退戦での責任の取り方を示します。勝頼が悠然と馬を進めたとされる点や、最後に名乗って首を預けた様子は、語りを通して理想の将の像に整えられている可能性があります。史実の細部は断定せず、人の最期の覚悟のあり方として読む章句です。
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この章句が説くこと

馬場信房長篠殿退却名乗り忠義

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