名将言行録 / 『名将言行録』馬場信房 五つの目付と手筈の狂い
初め敎來石民部少輔景政と稱し、後馬場氏を冒し、美濃守信房と改む。眞木島城に住し、二萬五千石を領す。武田家四臣の一人なり。天正三年五月二十一日戰死、年六十二。 ○信房に、若き侍五七人して、何ぞ後學に成るべき事を語られよと言ければ、信房剛勇と臆病とにて、功名不覺はあることながら、一ツは心掛にて候、某若き比より、五ツの目付を致し候が、夫よりしては、餘り不覺を取たることはなく候。其五ツはと言へば、信房、一ツには敵より味方勇みて見ゆる日は、先を爭ひ働くべし、味方臆して見ゆる日は、獨進て犬死して、敵に機を付るか、去らずば拔掛の科を負べし。二ツには、物數ある味方の士に便り親み、其人を手本と爲し、其人に劣らじと働くべし。三ッには敵の胄の吹返俯き指物動かずば、剛敵と知るべし、吹返仰ぎ指物動くは弱敵なり、弱敵を擇みて鎗付べし。四ッには、鎗の穗先上りたるは弱敵なり、穗先下りたるは剛敵なり、穗先揃ひたるは長柄數鎗なり、長短不同なるは、士鎗なり、士鎗に掛るべし。五ッには、敵氣盛なる時は、受て怺へ、衰を見ては一拍子に突掛るべし。是五ッの目付なりと言ければ、人皆感じあへり。 ○信房曰く、戰場は千變萬化にて兼ね定めたる事の違ふことあるものなれば、手筈の違ふ所をば、違ふ所に任せて、能く働くを以て肝要とす。定めたる所の違へば、夫に當惑して狼狽するにより、大なる負にもなり、穢なき首尾にもなるものなりと。
新字:初め教来石民部少輔景政と称し、後馬場氏を冒し、美濃守信房と改む。真木島城に住し、二万五千石を領す。武田家四臣の一人なり。天正三年五月二十一日戦死、年六十二。 ○信房に、若き侍五七人して、何ぞ後学に成るべき事を語られよと言ければ、信房剛勇と臆病とにて、功名不覚はあることながら、一ツは心掛にて候、某若き比より、五ツの目付を致し候が、夫よりしては、余り不覚を取たることはなく候。其五ツはと言へば、信房、一ツには敵より味方勇みて見ゆる日は、先を争ひ働くべし、味方臆して見ゆる日は、独進て犬死して、敵に機を付るか、去らずば抜掛の科を負べし。二ツには、物数ある味方の士に便り親み、其人を手本と為し、其人に劣らじと働くべし。三ッには敵の胄の吹返俯き指物動かずば、剛敵と知るべし、吹返仰ぎ指物動くは弱敵なり、弱敵を択みて鎗付べし。四ッには、鎗の穂先上りたるは弱敵なり、穂先下りたるは剛敵なり、穂先揃ひたるは長柄数鎗なり、長短不同なるは、士鎗なり、士鎗に掛るべし。五ッには、敵気盛なる時は、受て怺へ、衰を見ては一拍子に突掛るべし。是五ッの目付なりと言ければ、人皆感じあへり。 ○信房曰く、戦場は千変万化にて兼ね定めたる事の違ふことあるものなれば、手筈の違ふ所をば、違ふ所に任せて、能く働くを以て肝要とす。定めたる所の違へば、夫に当惑して狼狽するにより、大なる負にもなり、穢なき首尾にもなるものなりと。
書き下し
初め敎來石民部少輔景政と稱し、後馬場氏を冒し、美濃守信房と改む。眞木島城に住し、二萬五千石を領す。武田家四臣の一人なり。天正三年五月二十一日戰死、年六十二。 ○信房に、若き侍五七人して、何ぞ後學に成るべき事を語られよと言ければ、信房剛勇と臆病とにて、功名不覺はあることながら、一ツは心掛にて候、某若き比より、五ツの目付を致し候が、夫よりしては、餘り不覺を取たることはなく候。其五ツはと言へば、信房、一ツには敵より味方勇みて見ゆる日は、先を爭ひ働くべし、味方臆して見ゆる日は、獨進て犬死して、敵に機を付るか、去らずば拔掛の科を負べし。二ツには、物數ある味方の士に便り親み、其人を手本と爲し、其人に劣らじと働くべし。三ッには敵の胄の吹返俯き指物動かずば、剛敵と知るべし、吹返仰ぎ指物動くは弱敵なり、弱敵を擇みて鎗付べし。四ッには、鎗の穗先上りたるは弱敵なり、穗先下りたるは剛敵なり、穗先揃ひたるは長柄數鎗なり、長短不同なるは、士鎗なり、士鎗に掛るべし。五ッには、敵氣盛なる時は、受て怺へ、衰を見ては一拍子に突掛るべし。是五ッの目付なりと言ければ、人皆感じあへり。 ○信房曰く、戰場は千變萬化にて兼ね定めたる事の違ふことあるものなれば、手筈の違ふ所をば、違ふ所に任せて、能く働くを以て肝要とす。定めたる所の違へば、夫に當惑して狼狽するにより、大なる負にもなり、穢なき首尾にもなるものなりと。
現代語訳
はじめ教来石民部少輔景政と名乗り、のちに馬場氏を継いで、美濃守信房と改めました。真木島城に住み、二万五千石を領しました。武田家四臣の一人です。天正三年五月二十一日に戦死し、年は六十二でした。 信房に、若い侍が五、七人で、何か後の学びになることを語ってくださいと言ったところ、信房は、剛勇と臆病とで、手柄や失敗はあるものだが、一つには心がけである。自分は若い頃から五つの目付をしたところ、それからはあまり失敗をしたことがない。その五つとは、と言って、一つには、敵より味方が勇み立って見える日は、先を争って働くがよい。味方がひるんで見える日は、一人進んで犬死にして敵に気勢を与えるか、そうでなければ抜け駆けの咎を負うことになる。二つには、場数のある味方の士を頼り親しんで手本とし、その人に劣るまいと働くがよい。三つには、敵の兜の吹き返しがうつむき、指物が動かなければ、剛の敵と知るがよい。吹き返しが仰向き、指物が動くのは弱い敵である。弱い敵を選んで槍をつけるがよい。四つには、槍の穂先が上がっているのは弱い敵、下がっているのは剛の敵、穂先が揃っているのは長柄の数槍であり、長短が不揃いなのは武士の槍である。武士の槍に掛かるがよい。五つには、敵の気が盛んなときは受けてこらえ、衰えを見たなら一拍子に突っかかるがよい。これが五つの目付である、と言ったので、人々は皆感心しました。 信房は、戦場は千変万化で、前もって定めたことと違うことがあるものだから、手筈の違うところは違うままに任せて、よく働くことが肝要である。定めたことが違えば、それに当惑して狼狽するので、大きな負けにもなり、見苦しい結末にもなるものだ、と言いました。
解説

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