名将言行録 / 『名将言行録』原虎胤 陰の横鎗と鬼の評判
○天文二十二年、虎胤故ありて武田家を去り、北條家に仕ふ。氏康弓箭の智識を得たりとて、喜ぶこと斜めならず。氏康、今川、武田兩將と駿河の賀島にて戰し時、虎胤をして武田の師に當らしむ。虎胤曰く、武田は目前我古主なり、是に向て弓を轡き候こと、快よからず候、願くは今川の手を承はらんとありければ、氏康其義に感じて、之を許るす。氏康、兩家と川を隔て陣す。此時虎胤、笠原新三郎が、千五百計りの人數の中に加はりて、我一手は別に相印を附たり。兼ねて笠原に言合はせ、川を涉りて戰半なる時、其鹽合を見て、笠原伴はりて敗るゝ眞似す。虎胤一手は引分けて殘れり。今川の兵之を追ふ。虎胤則ち橫擊しければ、今川の兵大に潰走す。其時今川の一部、虎胤が手に掛らんとす。芳賀伯耆とめの備にて、太鼓を打て靜に進む。今川の兵救ふことを得ずして引退く所を、虎胤追擊て、首數百を得たり。是を陰の橫鎗と云ふ。其形を隱くして顯はさざるに依て名づけしなり。 ○虎胤、十人の足輕を百人の樣に使ひ、敵に重さを掛け、己が同心共に敵を虜にする樣に思はせ、叩き廻はして、味方に氣を付け、勇み掛て戰を始め、何つも眞先に進みて荒勝負せり。手疵を負へば、鹽を揉み込み抔せり。故に人皆鬼の如く怖れあへり。
新字:○天文二十二年、虎胤故ありて武田家を去り、北条家に仕ふ。氏康弓箭の智識を得たりとて、喜ぶこと斜めならず。氏康、今川、武田両将と駿河の賀島にて戦し時、虎胤をして武田の師に当らしむ。虎胤曰く、武田は目前我古主なり、是に向て弓を轡き候こと、快よからず候、願くは今川の手を承はらんとありければ、氏康其義に感じて、之を許るす。氏康、両家と川を隔て陣す。此時虎胤、笠原新三郎が、千五百計りの人数の中に加はりて、我一手は別に相印を附たり。兼ねて笠原に言合はせ、川を渉りて戦半なる時、其塩合を見て、笠原伴はりて敗るゝ真似す。虎胤一手は引分けて残れり。今川の兵之を追ふ。虎胤則ち横撃しければ、今川の兵大に潰走す。其時今川の一部、虎胤が手に掛らんとす。芳賀伯耆とめの備にて、太鼓を打て静に進む。今川の兵救ふことを得ずして引退く所を、虎胤追撃て、首数百を得たり。是を陰の横鎗と云ふ。其形を隠くして顕はさざるに依て名づけしなり。 ○虎胤、十人の足軽を百人の様に使ひ、敵に重さを掛け、己が同心共に敵を虜にする様に思はせ、叩き廻はして、味方に気を付け、勇み掛て戦を始め、何つも真先に進みて荒勝負せり。手疵を負へば、塩を揉み込み抔せり。故に人皆鬼の如く怖れあへり。
書き下し
○天文二十二年、虎胤故ありて武田家を去り、北條家に仕ふ。氏康弓箭の智識を得たりとて、喜ぶこと斜めならず。氏康、今川、武田兩將と駿河の賀島にて戰し時、虎胤をして武田の師に當らしむ。虎胤曰く、武田は目前我古主なり、是に向て弓を轡き候こと、快よからず候、願くは今川の手を承はらんとありければ、氏康其義に感じて、之を許るす。氏康、兩家と川を隔て陣す。此時虎胤、笠原新三郎が、千五百計りの人數の中に加はりて、我一手は別に相印を附たり。兼ねて笠原に言合はせ、川を涉りて戰半なる時、其鹽合を見て、笠原伴はりて敗るゝ眞似す。虎胤一手は引分けて殘れり。今川の兵之を追ふ。虎胤則ち橫擊しければ、今川の兵大に潰走す。其時今川の一部、虎胤が手に掛らんとす。芳賀伯耆とめの備にて、太鼓を打て靜に進む。今川の兵救ふことを得ずして引退く所を、虎胤追擊て、首數百を得たり。是を陰の橫鎗と云ふ。其形を隱くして顯はさざるに依て名づけしなり。 ○虎胤、十人の足輕を百人の樣に使ひ、敵に重さを掛け、己が同心共に敵を虜にする樣に思はせ、叩き廻はして、味方に氣を付け、勇み掛て戰を始め、何つも眞先に進みて荒勝負せり。手疵を負へば、鹽を揉み込み抔せり。故に人皆鬼の如く怖れあへり。
現代語訳
天文二十二年、虎胤はわけがあって武田家を去り、北条家に仕えました。氏康は弓矢の道に通じた人を得たと、並々ならず喜びました。氏康が今川・武田の両将と駿河の賀島で戦ったとき、虎胤に武田の軍に当たらせようとしました。虎胤は、武田は目の前にいる自分の古い主君であり、これに弓を向けるのは気持ちのよいことではありません、できれば今川の軍をお任せください、と言ったので、氏康はその気持ちに感じ入って許しました。氏康は両家と川を隔てて陣を張りました。このとき虎胤は、笠原新三郎の千五百ばかりの人数に加わり、自分の一隊には別に印をつけました。あらかじめ笠原と申し合わせ、川を渡って戦いの半ばになったとき、頃合いを見て、笠原がともに負けたふりをして退きました。虎胤の一隊は別れて残りました。今川の兵はこれを追います。虎胤はそこで横から撃ちかかったので、今川の兵は大いに崩れて逃げました。そのとき今川の一部が虎胤の手に掛かろうとしました。芳賀伯耆が控えの備えで、太鼓を打って静かに進みました。今川の兵は救うことができずに引き退くところを、虎胤が追撃して、数百の首を得ました。これを陰の横鎗と言います。その姿を隠して現さないところから名づけたものです。 虎胤は、十人の足軽を百人のように使い、敵に重圧をかけ、自分の同心たちが敵を捕らえるかのように思わせ、叩き回って味方に気を付け、勇み立たせて戦を始め、いつも真っ先に進んで荒々しい勝負をしました。手傷を負えば塩を揉み込むなどしました。そのため人々は皆、鬼のように恐れました。
解説

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