韓非子 / 說林上二十二
以子爲我上客,千乘之君也;以子爲我使者,萬乘之卿也。子不如爲我舍人。」田成子因負傳而随之。至逆旅,逆旅之君待之甚敬,因獻酒肉。
新字:以子為我上客,千乗之君也;以子為我使者,万乗之卿也。子不如為我舎人。」田成子因負伝而随之。至逆旅,逆旅之君待之甚敬,因献酒肉。
書き下し
今子は美にして我は悪し。...子我が舍人と為るに如かず。...逆旅の君、之を待つこと甚だ敬して、因て酒肉を獻ず。
現代語訳
今、あなたは高貴な外見で、私はみすぼらしい。あなたが私の家来(舍人)になるのが良い。...(その結果)旅館の主人は、二人を非常に敬って待遇し、酒や肉を献上した。
解説
「見せ方(ポジショニング)」が「実態」よりも相手の認識を左右するという例です。みすぼらしいリーダー(子皮)が、高貴な部下(田成子)をあえて従わせることで、部下は「家来」と見られましたが、リーダーは「高貴な人物を従えるほどの神君」と認識され、結果としてチーム全体(二人)が最高の待遇を受けました。どのように見せるかを戦略的に設計することの重要性を示します。
この章句が説くこと
ポジショニングブランディング見せ方パーセプション・マネジメント交渉術
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