名将言行録 / 『名将言行録』原虎胤 伏兵を追い込む三隊の策
○晴信山縣昌景に、虎胤及び橫田備中を差副へ、新田、足利筋へ働かす。厩橋の此方に面と云ふ宿あり。伏兵を出し置きたるを、廣瀨郷左衞門景房見出し、馳歸て昌景に告ぐ。昌景、虎胤及び橫田と共に斥候に出づ。虎胤伏兵を宿へ追込んと言ふ、橫田之を止めて、伏兵を追ふべからず、若し之を追はば、味方をも自由には置くまじと言ふ。虎胤從はず。擱くか置かざるか、仕て見すべしとて、百人の足輕をりうごに乘り分け、三隊と爲し、其身は馬上十五騎、足輕五十人連れて、伏兵を驅る。又騎士五騎、足輕二十人、火付の役とす、殘る騎士足輕を殿備とし、伏兵を追込みて、自然吾退く所を、敵より追はば、橫合に突掛れと令して、伏兵を驅る。伏兵一時に起ち立ちて、宿へ遁け入る。火付の備、押續きて宿に入り火を放ち之を燒く。虎胤備は敵を押へ、殿備は宿の此方に備へて之を守る。自然敵防がば、三手を以て替はる替はる働んとの策なり。
新字:○晴信山県昌景に、虎胤及び横田備中を差副へ、新田、足利筋へ働かす。厩橋の此方に面と云ふ宿あり。伏兵を出し置きたるを、広瀨郷左衛門景房見出し、馳帰て昌景に告ぐ。昌景、虎胤及び横田と共に斥候に出づ。虎胤伏兵を宿へ追込んと言ふ、横田之を止めて、伏兵を追ふべからず、若し之を追はば、味方をも自由には置くまじと言ふ。虎胤従はず。擱くか置かざるか、仕て見すべしとて、百人の足軽をりうごに乗り分け、三隊と為し、其身は馬上十五騎、足軽五十人連れて、伏兵を駆る。又騎士五騎、足軽二十人、火付の役とす、残る騎士足軽を殿備とし、伏兵を追込みて、自然吾退く所を、敵より追はば、横合に突掛れと令して、伏兵を駆る。伏兵一時に起ち立ちて、宿へ遁け入る。火付の備、押続きて宿に入り火を放ち之を焼く。虎胤備は敵を押へ、殿備は宿の此方に備へて之を守る。自然敵防がば、三手を以て替はる替はる働んとの策なり。
書き下し
○晴信山縣昌景に、虎胤及び橫田備中を差副へ、新田、足利筋へ働かす。厩橋の此方に面と云ふ宿あり。伏兵を出し置きたるを、廣瀨郷左衞門景房見出し、馳歸て昌景に告ぐ。昌景、虎胤及び橫田と共に斥候に出づ。虎胤伏兵を宿へ追込んと言ふ、橫田之を止めて、伏兵を追ふべからず、若し之を追はば、味方をも自由には置くまじと言ふ。虎胤從はず。擱くか置かざるか、仕て見すべしとて、百人の足輕をりうごに乘り分け、三隊と爲し、其身は馬上十五騎、足輕五十人連れて、伏兵を驅る。又騎士五騎、足輕二十人、火付の役とす、殘る騎士足輕を殿備とし、伏兵を追込みて、自然吾退く所を、敵より追はば、橫合に突掛れと令して、伏兵を驅る。伏兵一時に起ち立ちて、宿へ遁け入る。火付の備、押續きて宿に入り火を放ち之を燒く。虎胤備は敵を押へ、殿備は宿の此方に備へて之を守る。自然敵防がば、三手を以て替はる替はる働んとの策なり。
現代語訳
晴信は山縣昌景に、虎胤と横田備中を添えて、新田・足利方面へ軍を働かせました。厩橋のこちら側に面という宿場があり、そこに伏兵が置かれていたのを、広瀬郷左衛門景房が見つけ、駆け戻って昌景に告げました。昌景は虎胤、横田とともに偵察に出ました。虎胤は伏兵を宿場へ追い込もうと言いましたが、横田はこれを止め、伏兵を追ってはいけない、もし追えば味方も自由には置かれないだろうと言いました。虎胤は従いませんでした。放っておくか置かないか、やってみせようと言って、百人の足軽を籠に分け乗せて三隊とし、自分は馬上十五騎、足軽五十人を連れて伏兵を追い立てました。また騎馬五騎、足軽二十人を火付けの役とし、残る騎馬と足軽を殿の備えとし、伏兵を追い込んで、自然とこちらが退くところを敵が追ってきたら、横合いから突っかかれと命じて、伏兵を追い立てました。伏兵は一斉に立ち上がって宿場へ逃げ込みました。火付けの備えは続いて宿場に入り、火を放って焼きました。虎胤の備えは敵を押さえ、殿の備えは宿場のこちら側で守りました。もし敵が防ぎにかかれば、三つの隊で代わる代わる働こうという策でした。
解説

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