韓非子 / 說林上二十二
有小蛇謂大蛇曰:『子行而我隨之,人以爲蛇之行者耳,必有殺子。不如相銜負我以行,人以我爲神君也。』乃相銜負以越公道。人皆避之,曰:『神君也。』今子美而我惡。
新字:有小蛇謂大蛇曰:『子行而我随之,人以為蛇之行者耳,必有殺子。不如相銜負我以行,人以我為神君也。』乃相銜負以越公道。人皆避之,曰:『神君也。』今子美而我悪。
書き下し
小蛇有りて大蛇に謂ひて曰く、『子行きて我之に随へば、人以て蛇の行く者と為すのみ、必ず子を殺すもの有らん。相銜みて我を負ひて以て行くに如かず、人我を以て神君と為さん』と。乃ち相銜み負ひて以て公道を越ゆ。人皆之を避けて曰く、『神君なり』と。今子は美にして我は悪し。
現代語訳
(鴟夷子皮は続けた。)「小さな蛇が大きな蛇に言いました。『あなたが先に行き、わたしが後に従えば、人はただ蛇が通っていると思うだけで、きっとあなたを殺す者が出ます。互いに口でくわえ合い、あなたがわたしを背負って行く方がよい。そうすれば人はわたしを神様だと思うでしょう』。そこで互いにくわえ合い、背負って大通りを渡ると、人はみな避けて『神様だ』と言いました。いまあなたは容貌が立派で、わたしは見栄えがしません。
解説
前段の「涸沢の蛇」の寓話の本体です。干上がった沢から移る蛇が、大きい蛇が小さい蛇を背負って歩けば、人は小さい方を神と恐れて避けるだろうと考えました。鴟夷子皮はこれを自分と主君の田成子に当てはめ、立派な容貌の主君が見栄えのしない自分に仕える形をとれば、人は自分をよほどの大物と思って丁重に扱うだろうと続けます。実際に宿の主人は二人を手厚くもてなしたと既存の章句に続きます。鴟夷子皮は越の范蠡の変名とも伝わります。見せ方ひとつで人の評価が変わるという観察で、交渉で誰を前に出し誰を後ろに控えさせるかという演出にも通じます。
関連する章句
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『韓非子』說林上二十二今子は美にして我は悪し。...子我が舍人と為るに如かず。...逆旅の君、之を待つこと甚だ敬して、因て酒肉を獻ず。
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『韓非子』說林上二十二君之に与へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図るを釈てて、独り吾が国を以て智氏の質と為すや」と。君曰く、「善し」と。乃ち之に万戸の邑を与ふ。智伯大いに悦び、因りて地を趙に索む、与へず、因りて晋陽を囲む。韓・魏之に外に反し、趙氏之に内に応じ、智氏以て亡ぶ。秦の康公、台を築くこと三年。荊人兵を起こし、将に兵を以て斉を攻めんと欲す。任妄曰く、「饑は兵を召き、疾は兵を召き、労は兵を召き、乱は兵を召く。君台を築くこと三年、今荊人兵を起こして将に斉を攻めんとす、臣恐らくは其の斉を攻むるは声と為して、秦を襲ふを以て実と為さん。之に備ふるに如かず」と。東辺を戍りて、荊人行を輟む。斉、宋を攻む。宋、臧孫子をして南のかた救ひを荊に求めしむ。荊大いに説び、之を救ふことを許して甚だ勧む。臧孫子憂へて反る。其の御曰く、「救ひを索めて得たり、今子に憂色有るは何ぞや」と。臧孫子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪まるるは、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王説ぶは、必ず以て我を堅くせんとすればなり。我堅くして斉敝るるは、荊の利とする所なり」と。臧孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜きて荊の救ひ至らず。魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めんとし、趙の粛侯将に許さざらんとす。趙刻曰く、「君過てり。魏、中山を攻めて取ること能はずんば、則ち魏必ず罷れん。罷るれば則ち魏軽く、魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越えて中山を有つこと能はざるなり。是れ兵を用ふる者は魏にして、地を得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓べば、彼将に君の之を利とするを知りて、必ず将に行を輟めんとす。君は之に道を借して、示すに已むを得ざるを以てするに如かず」と。鴟夷子皮、田成子に事ふ。田成子、斉を去り、走りて燕に之く。鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。望邑に至る。子皮曰く、「子独り涸沢の蛇を聞かざるか。沢涸るれば、蛇将に徙らんとす。
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『長短経』論士〔慎子曰く「騰蛇は霧に遊び、飛龍は雲に乗る。雲罷み霧霽るれば、蚯蚓と同じ。則ち其の乗ずる所を失えばなり」と。韓子曰く「千鈞も船を得れば則ち浮き、錙銖も船を失えば則ち沈む。千鈞の軽くして錙銖の重きに非ず、勢いの有ると勢いの無きとのみ。故に勢いに得可からざる有り、事に成す可からざる有り。烏獲は千鈞を軽んじて其の身を重しとす。其の身の軽くして千鈞より重きに非ず、勢い便ならざればなり。離婁は百歩に易くして眉睫に難し。百歩の近くして眉睫の遠きに非ず、道の可ならざればなり」と。〕
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『韓非子』說林下二十三衛の将軍文子、曾子に見ゆ。曾子起たずして坐席に延き、身を奥に正す。文子、其の御に謂ひて曰く、「曾子は愚人なるかな。我を以て君子と為さば、君子安んぞ敬すること毋かるべけんや。我を以て暴人と為さば、暴人安んぞ侮るべけんや。曾子の僇せられざるは命なり」と。鳥に翢翢なる者有り、首重くして尾屈し、将に河に飲まんと欲すれば、則ち必ず顛る。乃ち其の羽を銜みて之を飲む。人の飲むこと足らざる所有る者は、其の羽を索めざるべからざるなり。
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『韓非子』說林下二十三恵子曰く、「羿、決を執り扞を持し、弓を操り機を関けば、越人も争ひて為に的を持つ。弱子弓を扜けば、慈母も室に入りて戸を閉づ」と。故に曰く、「必とすべくんば、則ち越人も羿を疑はず。必とすべからずんば、則ち慈母も弱子を逃る」と。桓公、管仲に問ふ、「富に涯有るか」と。答へて曰く、「水の涯を以てするは、其の水無き者なり。富の涯を以てするは、其の富已に足る者なり。人自ら足るに止まること能はずして、其の富の涯を亡ふか」と。宋の富賈に監止子なる者有り、人と百金の璞玉を争ひ買ふ。因りて佯りて失ひて之を毀ち、其の百金を負ひて、其の毀瑕を理め、千溢を得たり。事には之を挙げて敗有るも、其の之を挙ぐること毋きに賢る者有り、之を負ふの時なり。御を以て荊王に見えんと欲する者有り、衆騶之を妬む。因りて曰く、「臣能く鹿を撽つ」と。王に見ゆ。王、御を為して鹿に及ばず、自ら御して之に及ぶ。王其の御を善しとし、乃ち衆騶の之を妬むを言ふ。荊、公子をして将として陳を伐たしむ。丈人之を送りて曰く、「晋は彊し、慎まざるべからざるなり」と。公子曰く、「丈人奚ぞ憂へん。吾丈人の為に晋を破らん」と。丈人曰く、「可なり。吾方に陳の南門の外に廬せん」と。公子曰く、「是れ何ぞや」と。曰く、「我は勾践を笑ふなり。人の為すこと是の如く其れ易きに、己独り何為れぞ密密として十年難めるや」と。堯、天下を以て許由に譲る。許由之を逃れ、家人に舎る。家人其の皮冠を蔵す。夫れ天下を棄つるに、家人其の皮冠を蔵するは、是れ許由を知らざる者なり。三虱相与に訟ふ。一虱之に過りて曰く、「訟ふる者奚をか説く」と。三虱曰く、「肥饒の地を争ふ」と。一虱曰く、「若も亦臘の至りて茅の燥くを患へざるのみ。若又奚ぞ是を患へん」と。乃ち相与に聚まりて其の母を嘬ひて之を食ふ。彘臞せて、人乃ち殺さず。虫に螝なる者有り、一身両口、食を争ひて相齕む。遂に相殺し、因りて自ら殺す。人臣の事を争ひて其の国を亡ぼす者は、皆螝の類なり。
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『長短経』蛇勢故に孫子曰く「善く兵を用うる者は、譬えば率然の如し。率然なる者は、常山の蛇なり。其の頭を撃てば則ち尾至り、其の尾を撃てば則ち首至り、其の中を撃てば則ち首尾俱に至る」と。或るひと曰く「敢えて問う、率然の如くならしむべきか」と。孫子曰く「可なり。夫れ呉人と越人と相悪むも、其の舟を同じくして済るに当たりては、則ち救うこと左右の手の如し。是の故に、馬を放ち輪を埋むるも、恃むに足らず。勇を斉えて一の若くするは、政の道なり」と。此の謂いなり。