名将言行録 / 『名将言行録』武田晴信 家康が写した家法
○家康晩年に及びて、酒井忠勝、土井利勝、安藤重信に謂て曰く、我壯年より老年に至るまで國家治平の道に心を盡し、勤勞を爲すこと久し、往年今川氏に服して、後ち之に敵し、織田氏に敵して、後ち之に服し、武田氏に和して、後ち之に敵し、北條氏に敵して、後ち之に和し、豐臣氏に敵して、後ち之に服す。是我が國家を全うせんと欲せしが故なり。或は從て之を視或は悖て之を察するに、武田信玄の家法の如く、整たることはあらず。之に依り、往年武田の家法に則て、我家の軍法を定め、井伊直政に命じて訓練せしむ。其法今に至り違はず、向後彌々其法を廢すべからずとありしかば、三臣何れも感歎して退けり。
新字:○家康晩年に及びて、酒井忠勝、土井利勝、安藤重信に謂て曰く、我壮年より老年に至るまで国家治平の道に心を尽し、勤労を為すこと久し、往年今川氏に服して、後ち之に敵し、織田氏に敵して、後ち之に服し、武田氏に和して、後ち之に敵し、北条氏に敵して、後ち之に和し、豊臣氏に敵して、後ち之に服す。是我が国家を全うせんと欲せしが故なり。或は従て之を視或は悖て之を察するに、武田信玄の家法の如く、整たることはあらず。之に依り、往年武田の家法に則て、我家の軍法を定め、井伊直政に命じて訓練せしむ。其法今に至り違はず、向後弥々其法を廃すべからずとありしかば、三臣何れも感嘆して退けり。
書き下し
○家康晩年に及びて、酒井忠勝、土井利勝、安藤重信に謂て曰く、我壯年より老年に至るまで國家治平の道に心を盡し、勤勞を爲すこと久し、往年今川氏に服して、後ち之に敵し、織田氏に敵して、後ち之に服し、武田氏に和して、後ち之に敵し、北條氏に敵して、後ち之に和し、豐臣氏に敵して、後ち之に服す。是我が國家を全うせんと欲せしが故なり。或は從て之を視或は悖て之を察するに、武田信玄の家法の如く、整たることはあらず。之に依り、往年武田の家法に則て、我家の軍法を定め、井伊直政に命じて訓練せしむ。其法今に至り違はず、向後彌々其法を廢すべからずとありしかば、三臣何れも感歎して退けり。
現代語訳
家康は晩年になって、酒井忠勝、土井利勝、安藤重信に言いました。「私は壮年から老年に至るまで、国家を治め平らかにする道に心を尽くし、骨を折ることが久しい。往年は今川氏に服して、後にこれに敵対した。織田氏に敵対して、後にこれに服した。武田氏と和して、後にこれに敵対した。北条氏に敵対して、後にこれと和した。豊臣氏に敵対して、後にこれに服した。これは私が国家を全うしようと望んだからである。あるいは従ってこれを見、あるいは逆らってこれを観察したが、武田信玄の家法のように整ったものはなかった。このため、往年、武田の家法にならって、わが家の軍法を定め、井伊直政に命じて訓練させた。その法は今に至るまで違わず、今後もいよいよその法を廃してはならない」と言いました。三人の臣はいずれも感嘆して退きました。
解説

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