名将言行録 / 『名将言行録』武田晴信 遠慮と学びの心得
○又曰く、人は只遠慮の二字肝要なり、遠慮さへあれば、分別にも成れり。仔細は遠慮して、我分別に及ばざる所をば、大身者は家臣に尋ね小身者は一類朋友に談じて、事を成せば、越度少し。去る程に、分別の元は遠慮なりと。 ○又曰く、人の學あるは、木の枝葉あるが如し、只人は以て學問なくんばあるべからず、學と云ふは、書を讀む計を言ふにあらず、己々が道に付て、學ぶを學とは申すなり。先づ弓箭の家に生るゝ人は、大小上下共に、武功ある人に近付き、一日に一條聞くとも、一月には三十ケ條なり、況や年中を申せば、三百六十ケ條の事を知らば、去年の我等に、今年は又遙々勝るならん、去る程に、人々己を捨てゝ、人の善を取らんには、耻辱寡かるべし、假令一文不通の者なりとも、此理に徹したる者を我は智者と言て、馳走する者なりと。
新字:○又曰く、人は只遠慮の二字肝要なり、遠慮さへあれば、分別にも成れり。仔細は遠慮して、我分別に及ばざる所をば、大身者は家臣に尋ね小身者は一類朋友に談じて、事を成せば、越度少し。去る程に、分別の元は遠慮なりと。 ○又曰く、人の学あるは、木の枝葉あるが如し、只人は以て学問なくんばあるべからず、学と云ふは、書を読む計を言ふにあらず、己々が道に付て、学ぶを学とは申すなり。先づ弓箭の家に生るゝ人は、大小上下共に、武功ある人に近付き、一日に一条聞くとも、一月には三十ケ条なり、況や年中を申せば、三百六十ケ条の事を知らば、去年の我等に、今年は又遥々勝るならん、去る程に、人々己を捨てゝ、人の善を取らんには、耻辱寡かるべし、仮令一文不通の者なりとも、此理に徹したる者を我は智者と言て、馳走する者なりと。
書き下し
○又曰く、人は只遠慮の二字肝要なり、遠慮さへあれば、分別にも成れり。仔細は遠慮して、我分別に及ばざる所をば、大身者は家臣に尋ね小身者は一類朋友に談じて、事を成せば、越度少し。去る程に、分別の元は遠慮なりと。 ○又曰く、人の學あるは、木の枝葉あるが如し、只人は以て學問なくんばあるべからず、學と云ふは、書を讀む計を言ふにあらず、己々が道に付て、學ぶを學とは申すなり。先づ弓箭の家に生るゝ人は、大小上下共に、武功ある人に近付き、一日に一條聞くとも、一月には三十ケ條なり、況や年中を申せば、三百六十ケ條の事を知らば、去年の我等に、今年は又遙々勝るならん、去る程に、人々己を捨てゝ、人の善を取らんには、耻辱寡かるべし、假令一文不通の者なりとも、此理に徹したる者を我は智者と言て、馳走する者なりと。
現代語訳
また晴信は言いました。人はただ遠慮の二字が肝要だ。遠慮さえあれば、分別にもなる。そのわけは、遠慮して、自分の分別が及ばない所を、大身の者は家臣に尋ね、小身の者は親類や友人に相談して事を進めれば、過ちが少ない。だから、分別のもとは遠慮である、と。 また言いました。人に学があるのは、木に枝葉があるようなものだ。人は学問がなくてはいけない。学というのは、書物を読むことだけを言うのではない。それぞれの道について学ぶことを学というのだ。まず弓矢の家に生まれた人は、大小上下を問わず、武功のある人に近づいて、一日に一条聞くとしても、一か月には三十か条になる。まして一年とすれば、三百六十か条のことを知ることになり、去年の自分より、今年ははるかに勝るだろう。だから人々が己を捨てて、人の善を取るなら、恥辱は少なくなる。たとえ一文不通の者であっても、この理に行き着いた者を、私は智者と呼んで、もてなすのだ、と。
解説

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