名将言行録 / 『名将言行録』武田晴信 見えぬものを疑う
○晴信、兵を信濃に出せし時、兩道あり、一方の道能き方へ押すべきと思ひけるに、一村茂みあり。此所は鄕人支切るべき地なり、あの村の茂みの中に人やある、見て來れと使番を遣りけるに、使番見切り歸りて、人は居り申さずと言ふ。晴信、聞て其見る所は如何にと尋ねければ大木の松あり、下枝に白鷺數多宿すと申す。晴信其動きを見たるかと尋ぬ。動きは見ずと申す。晴信動きなくば作り物たるべしとて、鷹匠を遣りて鷹を放たせけれども、動かず。鷹は拳に歸る。偖こそ鄕人共集り居ると見えたれとて、此方へ押通れとありて、一方の道へ押させければ、果して右の茂林の中より鄕人出でしとぞ。 ○河中島の役、輝虎名馬の放生月毛を乘捨けるを、長坂頼弘取て乘り、流石の輝虎も馬を捨られ候と言ければ、晴信大に怒り、馬草臥は乘替てこそあるらめ、乘替たる時、合戰負けに成りたらば、中間共捨てゝ逃んに、夫が輝虎弱きとは、一段無穿鑿なる申樣哉と言はれけり。 ○晴信、輝虎と對陣の時、晴信一の手若者、二の手に老功を用ひ、前に川を當て待つ。輝虎之を見て戰はず。是は一の手の若者、二の手の老功に恥て、一入強く戰を勵むべし、二の手の老功、又若手に劣らじと相勵み強みを出すが故なりとぞ。
新字:○晴信、兵を信濃に出せし時、両道あり、一方の道能き方へ押すべきと思ひけるに、一村茂みあり。此所は郷人支切るべき地なり、あの村の茂みの中に人やある、見て来れと使番を遣りけるに、使番見切り帰りて、人は居り申さずと言ふ。晴信、聞て其見る所は如何にと尋ねければ大木の松あり、下枝に白鷺数多宿すと申す。晴信其動きを見たるかと尋ぬ。動きは見ずと申す。晴信動きなくば作り物たるべしとて、鷹匠を遣りて鷹を放たせけれども、動かず。鷹は拳に帰る。偖こそ郷人共集り居ると見えたれとて、此方へ押通れとありて、一方の道へ押させければ、果して右の茂林の中より郷人出でしとぞ。 ○河中島の役、輝虎名馬の放生月毛を乗捨けるを、長坂頼弘取て乗り、流石の輝虎も馬を捨られ候と言ければ、晴信大に怒り、馬草臥は乗替てこそあるらめ、乗替たる時、合戦負けに成りたらば、中間共捨てゝ逃んに、夫が輝虎弱きとは、一段無穿鑿なる申様哉と言はれけり。 ○晴信、輝虎と対陣の時、晴信一の手若者、二の手に老功を用ひ、前に川を当て待つ。輝虎之を見て戦はず。是は一の手の若者、二の手の老功に恥て、一入強く戦を励むべし、二の手の老功、又若手に劣らじと相励み強みを出すが故なりとぞ。
書き下し
○晴信、兵を信濃に出せし時、兩道あり、一方の道能き方へ押すべきと思ひけるに、一村茂みあり。此所は鄕人支切るべき地なり、あの村の茂みの中に人やある、見て來れと使番を遣りけるに、使番見切り歸りて、人は居り申さずと言ふ。晴信、聞て其見る所は如何にと尋ねければ大木の松あり、下枝に白鷺數多宿すと申す。晴信其動きを見たるかと尋ぬ。動きは見ずと申す。晴信動きなくば作り物たるべしとて、鷹匠を遣りて鷹を放たせけれども、動かず。鷹は拳に歸る。偖こそ鄕人共集り居ると見えたれとて、此方へ押通れとありて、一方の道へ押させければ、果して右の茂林の中より鄕人出でしとぞ。 ○河中島の役、輝虎名馬の放生月毛を乘捨けるを、長坂頼弘取て乘り、流石の輝虎も馬を捨られ候と言ければ、晴信大に怒り、馬草臥は乘替てこそあるらめ、乘替たる時、合戰負けに成りたらば、中間共捨てゝ逃んに、夫が輝虎弱きとは、一段無穿鑿なる申樣哉と言はれけり。 ○晴信、輝虎と對陣の時、晴信一の手若者、二の手に老功を用ひ、前に川を當て待つ。輝虎之を見て戰はず。是は一の手の若者、二の手の老功に恥て、一入強く戰を勵むべし、二の手の老功、又若手に劣らじと相勵み強みを出すが故なりとぞ。
現代語訳
晴信が信濃に兵を出したとき、道が二つありました。晴信は一方の道の良い方へ押そうと思いましたが、一か所に茂みのある村がありました。「ここは土地の者が待ち伏せして道を断つのによい場所だ。あの村の茂みの中に人がいないか、見てこい」と使番を遣わしました。使番は様子を見て帰り、「人はおりません」と言いました。晴信が「見たところはどうか」と尋ねると、「大木の松があり、下の枝に白鷺がたくさん宿っています」と言います。晴信は「その鷺の動きを見たか」と尋ねました。使番は「動きは見ておりません」と答えました。晴信は「動かないなら作り物であろう」と言って、鷹匠を遣わして鷹を放たせましたが、鷺は動かず、鷹は拳に戻りました。「さてこそ、土地の者たちが集まっていると見える。こちらへ押し通れ」と言って、もう一方の道へ軍を進ませたところ、果たして先の茂った林の中から土地の者たちが出てきたということです。 河中島の戦いで、輝虎が名馬の放生月毛を乗り捨てたのを、長坂頼弘が取って乗り、「さすがの輝虎も馬を捨てられましたな」と言いました。晴信は大いに怒り、「馬が疲れたときは乗り替えるものだ。乗り替えたときに合戦が負けになったとしたら、中間たちは馬を捨てて逃げるであろう。それが輝虎が弱いということになるのか。まことに無詮索な言いようだ」と言われました。 晴信が輝虎と対陣したとき、晴信は先陣に若者を、二陣に老練な者を用い、前に川を置いて待ちました。輝虎はこれを見て戦いませんでした。それは、先陣の若者は後ろの老練な者に恥じて一層強く戦い、二陣の老練な者もまた若手に劣るまいと励んで強みを出すからだ、ということです。
解説

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