古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

名将言行録 / 『名将言行録』武田晴信 城より人を持つ

○晴信、商人を二十人程拵へ、國々へ遣はし、又外科醫師、或は伯樂抔をも拵へ遣はし、色を替、品を替て、大形一國に二人づゝ常に之ある樣にせり。土地の險易、國の風俗、將の能否まで、悉く知らざるはなし。又人國記に載する所の風俗と、見聞する處の風俗とを、扇に合はせ書し、常に之を見居たりとぞ。 ○晴信、終身甲斐國中に城郭を築かず。偖其居所の構は、狹き堀を淺く穿て、只一重なり。老臣何れも諫めて曰く、御城殊の外小さく、其上粗相にて如何に候と。晴信聞て事の仔細分別して見よ、國持が城に籠て運を開きしことは希ならん、但し主人を持ちたる侍の後詰を賴みにする者は、何程も堅固の地に、城を丈夫に築くこと肝要なり、三ケ國共支配する大將が、大なる城に一ぱい籠る程、人數を持ならば、敵味方の國境にて、二ッなき合戰して、果たすべきこと尤なり。人數多くして、其合戰成らぬ程ならば、籠城したるとも、弓鐵炮の狹間を潛り妻子を捨てゝ走り逃ん。大將たらん者は、士を崇敬して、法度軍法を定め、軍せんことを朝夕の作事と相心得、心に我一人にて普請をするは、城を普請するよりは、遙に大作事なり、是大將の一人にて、多人數を働かす所なり、去るに依て、大合戰二萬三萬にて勝ちたるをも、晴信が勝と言ふ。大將一人の覺悟を以て、諸人に勝たせ、諸人の勝を、大將の勝と言ふ、是大將の第一の願なり。何れも此儀を解得すべしと言ふ。又曰く、八九日路遠き堺目の城は、如何にも堅固なる地を見立て、丈夫に普請し、敵取卷かば、我後詰をして、兼て分け目の合戰せんと申ことなり。合戰も城を能く持たせねば、後詰は成らぬぞ、後詰なければ、合戰は成らぬぞ、左あれば、合戰と城取は、車の兩輪なりと。

新字:○晴信、商人を二十人程拵へ、国々へ遣はし、又外科医師、或は伯楽抔をも拵へ遣はし、色を替、品を替て、大形一国に二人づゝ常に之ある様にせり。土地の険易、国の風俗、将の能否まで、悉く知らざるはなし。又人国記に載する所の風俗と、見聞する処の風俗とを、扇に合はせ書し、常に之を見居たりとぞ。 ○晴信、終身甲斐国中に城郭を築かず。偖其居所の構は、狭き堀を浅く穿て、只一重なり。老臣何れも諫めて曰く、御城殊の外小さく、其上粗相にて如何に候と。晴信聞て事の仔細分別して見よ、国持が城に籠て運を開きしことは希ならん、但し主人を持ちたる侍の後詰を頼みにする者は、何程も堅固の地に、城を丈夫に築くこと肝要なり、三ケ国共支配する大将が、大なる城に一ぱい籠る程、人数を持ならば、敵味方の国境にて、二ッなき合戦して、果たすべきこと尤なり。人数多くして、其合戦成らぬ程ならば、籠城したるとも、弓鉄炮の狭間を潜り妻子を捨てゝ走り逃ん。大将たらん者は、士を崇敬して、法度軍法を定め、軍せんことを朝夕の作事と相心得、心に我一人にて普請をするは、城を普請するよりは、遥に大作事なり、是大将の一人にて、多人数を働かす所なり、去るに依て、大合戦二万三万にて勝ちたるをも、晴信が勝と言ふ。大将一人の覚悟を以て、諸人に勝たせ、諸人の勝を、大将の勝と言ふ、是大将の第一の願なり。何れも此儀を解得すべしと言ふ。又曰く、八九日路遠き堺目の城は、如何にも堅固なる地を見立て、丈夫に普請し、敵取巻かば、我後詰をして、兼て分け目の合戦せんと申ことなり。合戦も城を能く持たせねば、後詰は成らぬぞ、後詰なければ、合戦は成らぬぞ、左あれば、合戦と城取は、車の両輪なりと。

書き下し

○晴信、商人を二十人程拵へ、國々へ遣はし、又外科醫師、或は伯樂抔をも拵へ遣はし、色を替、品を替て、大形一國に二人づゝ常に之ある樣にせり。土地の險易、國の風俗、將の能否まで、悉く知らざるはなし。又人國記に載する所の風俗と、見聞する處の風俗とを、扇に合はせ書し、常に之を見居たりとぞ。 ○晴信、終身甲斐國中に城郭を築かず。偖其居所の構は、狹き堀を淺く穿て、只一重なり。老臣何れも諫めて曰く、御城殊の外小さく、其上粗相にて如何に候と。晴信聞て事の仔細分別して見よ、國持が城に籠て運を開きしことは希ならん、但し主人を持ちたる侍の後詰を賴みにする者は、何程も堅固の地に、城を丈夫に築くこと肝要なり、三ケ國共支配する大將が、大なる城に一ぱい籠る程、人數を持ならば、敵味方の國境にて、二ッなき合戰して、果たすべきこと尤なり。人數多くして、其合戰成らぬ程ならば、籠城したるとも、弓鐵炮の狹間を潛り妻子を捨てゝ走り逃ん。大將たらん者は、士を崇敬して、法度軍法を定め、軍せんことを朝夕の作事と相心得、心に我一人にて普請をするは、城を普請するよりは、遙に大作事なり、是大將の一人にて、多人數を働かす所なり、去るに依て、大合戰二萬三萬にて勝ちたるをも、晴信が勝と言ふ。大將一人の覺悟を以て、諸人に勝たせ、諸人の勝を、大將の勝と言ふ、是大將の第一の願なり。何れも此儀を解得すべしと言ふ。又曰く、八九日路遠き堺目の城は、如何にも堅固なる地を見立て、丈夫に普請し、敵取卷かば、我後詰をして、兼て分け目の合戰せんと申ことなり。合戰も城を能く持たせねば、後詰は成らぬぞ、後詰なければ、合戰は成らぬぞ、左あれば、合戰と城取は、車の兩輪なりと。

現代語訳

晴信は商人を二十人ほど仕立てて国々に遣わし、また外科の医師や馬の目利きなどにも仕立てて遣わし、姿を変え、品を替えて、おおよそ一国に二人ずつ常にいるようにしました。そうして土地の険しさや平らかさ、国の風俗、将の能力の良し悪しまで、すべて知らないことがないほどでした。また『人国記』に載る風俗と、見聞きした風俗とを扇に合わせて書き、いつもそれを見ていたということです。 晴信は生涯、甲斐の国中に城郭を築きませんでした。居所の構えも、狭い堀を浅く掘っただけで、ただ一重でした。老臣たちはそろって諫めて、「お城がことのほか小さく、そのうえ粗末で、いかがなものでしょう」と言いました。晴信は聞いて、「事の仔細をよく考えてみよ。国持ちの大名が城に籠もって運を開いた例は稀であろう。ただし主人を持った侍が、後詰を頼みにする場合には、いくらでも堅固な地に城を丈夫に築くことが肝要だ。三か国を支配する大将が、大きな城に一杯籠もれるほどの人数を持っているなら、敵味方の国境で二つとない合戦をして決着をつけるのが当然だ。人数が多くてもその合戦ができないようなら、籠城したところで、弓や鉄砲の狭間をくぐり、妻子を捨てて逃げるだろう。大将たる者は、士を崇敬して、法度や軍法を定め、軍をすることを朝夕の普請と心得て、心の中で自分一人で普請をするのは、城を造るよりはるかに大きな作事である。これは大将が一人で、大勢の人を働かせるところである。それゆえ、二万三万の大合戦で勝っても、晴信が勝ったと言う。大将一人の覚悟によって、人々を勝たせ、人々の勝ちを大将の勝ちと言う。これが大将の第一の願いである。みなこの意味をよく理解せよ」と言いました。また、「八、九日の道のりの遠い境目の城は、できる限り堅固な地を選び、丈夫に造り、敵が取り巻いたら、わが方が後詰をして、かねての分け目の合戦をしようというのだ。合戦も城をよく持たせなければ後詰はできず、後詰がなければ合戦はできない。そうであれば、合戦と城取りは、車の両輪である」と言いました。

解説

前半は商人や医師などに姿を変えた者を各国に置く諜報、後半は有名な、城を築かず人を城とする考え方です。後半の言葉は岡谷繁実が集めた語りで、晴信自身の言葉としてそう伝わるものです。要点は、設備や拠点より、大将の覚悟と人の力が勝敗を決めるという主張です。同時に、境目の城は堅固に造るべきとも述べ、拠点と野戦を車の両輪とします。現代の組織に置き換えると、立派なオフィスや制度より、法度と人材育成に資源を回す優先順位の話として読めます。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る

この章句が説くこと

晴信諜報城人は城後詰法度

関連する章句

本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る