名将言行録 / 『名将言行録』武田晴信 噂を先に流す
○今川氏眞掛川を遁れ出て、小田原に至り、北條を頼み居たり。晴信小田原に氏眞を置けば、以來六ケ敷と思ひ、之を追はんとして、先づ其手立に甲斐より、小田原へ用事ありて使として、最初に原隼人佐昌勝を遣はし、二度目に內藤修理亮昌豐を遣はすべくと定め、晴信先づ市人を以て、今度甲州より、原隼人使に來り氏眞に腹を切らせんとの內談あり、其次に內藤修理來て、腹を切らせ申との取沙汰の由言はせける。氏眞之を聞て大に怖れ居たり。暫くして市人の申に違はず、隼人來る。此使を心元なく思ひける所に、重ねて修理來ると申に付、扨は疑ひなしとて、小田原を船にて逃去れり。 ○味方ケ原の役、先手より軍は御勝利たるべきの聞、早や一戰を始め申べきやと申越せり。晴信聞て、承引せず。其後小山田彌三郎來て、御合戰は御勝利たるべく、其仔細は某が手の者を遣はして、備の後を見せ申すに、只一かはに敵の人數を立てる趣、慥に見定めて參りたり、御一戰を急がれ然るべしと言ふ。晴信聞て、小山田が申分踏所ありて至極せり、去らば今日の軍始めを小山田に褒美に申付るとありて、軍始めありて、終に勝軍になれり。萬事愼なる踏み所なければ、承引はなかりしとぞ。
新字:○今川氏真掛川を遁れ出て、小田原に至り、北条を頼み居たり。晴信小田原に氏真を置けば、以来六ケ敷と思ひ、之を追はんとして、先づ其手立に甲斐より、小田原へ用事ありて使として、最初に原隼人佐昌勝を遣はし、二度目に内藤修理亮昌豊を遣はすべくと定め、晴信先づ市人を以て、今度甲州より、原隼人使に来り氏真に腹を切らせんとの内談あり、其次に内藤修理来て、腹を切らせ申との取沙汰の由言はせける。氏真之を聞て大に怖れ居たり。暫くして市人の申に違はず、隼人来る。此使を心元なく思ひける所に、重ねて修理来ると申に付、扨は疑ひなしとて、小田原を船にて逃去れり。 ○味方ケ原の役、先手より軍は御勝利たるべきの聞、早や一戦を始め申べきやと申越せり。晴信聞て、承引せず。其後小山田弥三郎来て、御合戦は御勝利たるべく、其仔細は某が手の者を遣はして、備の後を見せ申すに、只一かはに敵の人数を立てる趣、慥に見定めて参りたり、御一戦を急がれ然るべしと言ふ。晴信聞て、小山田が申分踏所ありて至極せり、去らば今日の軍始めを小山田に褒美に申付るとありて、軍始めありて、終に勝軍になれり。万事慎なる踏み所なければ、承引はなかりしとぞ。
書き下し
○今川氏眞掛川を遁れ出て、小田原に至り、北條を頼み居たり。晴信小田原に氏眞を置けば、以來六ケ敷と思ひ、之を追はんとして、先づ其手立に甲斐より、小田原へ用事ありて使として、最初に原隼人佐昌勝を遣はし、二度目に內藤修理亮昌豐を遣はすべくと定め、晴信先づ市人を以て、今度甲州より、原隼人使に來り氏眞に腹を切らせんとの內談あり、其次に內藤修理來て、腹を切らせ申との取沙汰の由言はせける。氏眞之を聞て大に怖れ居たり。暫くして市人の申に違はず、隼人來る。此使を心元なく思ひける所に、重ねて修理來ると申に付、扨は疑ひなしとて、小田原を船にて逃去れり。 ○味方ケ原の役、先手より軍は御勝利たるべきの聞、早や一戰を始め申べきやと申越せり。晴信聞て、承引せず。其後小山田彌三郎來て、御合戰は御勝利たるべく、其仔細は某が手の者を遣はして、備の後を見せ申すに、只一かはに敵の人數を立てる趣、慥に見定めて參りたり、御一戰を急がれ然るべしと言ふ。晴信聞て、小山田が申分踏所ありて至極せり、去らば今日の軍始めを小山田に褒美に申付るとありて、軍始めありて、終に勝軍になれり。萬事愼なる踏み所なければ、承引はなかりしとぞ。
現代語訳
今川氏真は掛川を逃れ出て、小田原に至り、北条を頼っていました。晴信は、小田原に氏真を置いておくと今後面倒になると思い、追い出そうとしました。その手立てとして、甲斐から小田原へ用事があるとして、最初に原隼人佐昌勝を使いに出し、二度目に内藤修理亮昌豊を出すと決めました。晴信はまず町人を使って、「このたび甲州から原隼人が使いに来て、氏真に腹を切らせようという内談がある。その次に内藤修理が来て、腹を切らせるとの噂だ」と言いふらさせました。氏真はこれを聞いて大いに恐れていました。しばらくして、町人の言ったとおり隼人が来ました。この使いを不安に思っていたところ、重ねて修理も来ると聞き、「さては疑いない」と、小田原を船で逃げ去りました。 味方ケ原の戦いで、先手の軍から「戦は勝利するでしょう、早く一戦を始めましょうか」と言ってきました。晴信は聞いても承知しませんでした。その後、小山田弥三郎が来て、「戦は勝利するはずです。そのわけは、私の手の者を遣わして敵の備えの後ろを見させたところ、ただ一面に敵の人数を並べている様子を確かに見定めて帰りました。どうか一戦をお急ぎください」と言いました。晴信は聞いて、「小山田の言い分には踏みどころがあり、もっともだ。それでは今日の軍始めを、褒美として小山田に申し付ける」と言い、軍を始めて、ついに勝ち戦になりました。何事も慎重に踏みどころがなければ承知しなかったと伝わります。
解説

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『墨子』尚同下是の故に古の聖王の天下を治むるや、千里の外に賢人有り、其の鄉里の人、皆な未だ之を均しく聞き見ざるに、聖王、得て之を賞す。千里の外に暴人有り、其の鄉里、未だ之を均しく見ざるに、聖王、得て之を罰す。故に唯だ聖王を以て耳聡く目明らかなりと為す毋からんや。豈に能く一たび視て千里の外を通見せんや、一たび聴きて千里の外を通聞せんや。聖王は往きて視るにあらざるなり、就きて聴くにあらざるなり。然れども天下の冦亂盜賊を為す者をして、天下を周流するも足を重ぬる所無からしむるは、何ぞや。其の尚同を以て政を為すこと善ければなり。
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言志四録・言志晩録 第百十八条 崎人の話余往年崎に遊び、崎人の話を聞く。曰く、「漢土に不逞の徒有り、多く満州に出奔し、満より再び蕃舶に投ず。故に蕃舶の中往往漢人有りて、之が耳目と為る。憎むべきの甚しきなり。今漢満一家にして、関門厳ならず。奈何ともすべからず」と。此の話徒に聞くべきに非ず。
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孫子・九地篇能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革めて、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。
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『墨子』迎敵祠凡そ氣を望むに、大将の氣有り、小将の氣有り、往く氣有り、來たる氣有り、敗るる氣有り。能く此を得眀らかにする者は、成敗・吉凶を知る可し。巫・醫・卜を舉げて所有らしめ、長く藥を具え、之を宫にし、善く舍を為る。巫は必ず公社に近くし、必ず之を敬神す。巫卜、以て守に請い、守、獨り巫卜の望むの氣の請を智るのみ。
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『墨子』號令守樓は質宫に臨みて善く周し、必ず宻に樓を塗り、下をして上を見る無く、上は下を見、下は上に人有ると人無きとを知る無からしむ。守の親しく舉ぐる所の吏の貞亷忠信にして害無く事に任ず可き者は、其の飲食酒肉、禁ずる勿かれ。錢金・布帛・財物は各おの自ら之を守り、慎んで相い盜む勿かれ。葆宫の牆は必ず三重、牆の垣、守る者、皆な瓦釜を牆上に累ぬ。門に吏有り、門里を主る者、筦閉には必ず太守の節を須つ。葆衛には必ず戍卒の重厚なる者を取り、吏の忠信なる者、害無く事に任ず可き者を擇ぶを請う。将衛をして自ら十尺の垣を築き、周く牆を還らしむ。門・閨なる者は、令衛の司馬門に非ず。氣を望む者の舍は必ず太守に近くし、巫の舍は必ず公社に近くし、必ず之を敬神す。巫・祝・史と氣を望む者とは、必ず善言を以て民に告げ、請を以て守上に報じ、守、獨り其の請を知るのみ。氣を望むに與らずして妄りに不善の言を為して民を驚恐せしむれば、斷じて赦す勿かれ。
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『政談』養老宴の事惣じて貴人には朋友なきこと欠たること也、貴人の学問も、一切の芸も大名芸と云ものに成て、一切に込らぬは是故なり、殊に政務の道は下の情を能く知らざれは行ふ所図にあたらぬものなり、忍びのものなどを遣はして遠国のことを見せ、近習の臣より下のことを聞くも善きやうなることなれとも、人々面々の了簡のほどならでは見も聞もならぬ物なり、軍に物見を遣はすに武功の人を撰ふことも、手前の器量程ならでは得見ぬ故也、殊に人の情にて下の悪しきことばかりを見出し聞出して、申し上げてよきことは申さぬものなり、されば下のことを見聞んとするにも心得あるべきことなり、殊に御用を承はる筋の人は手前の申し立たき筋の益に成るやうなる筋を多く申し上げるなり、是によりて何としても下の情に疎きこと是貴人の身の上に欠たることなり、