名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 掛け出しを怒る
○隆景上京の時、算勘者なくてはとて、或町人を撰びて、鵜飼新右衞門、下司に召具せり。下向の後總勘定せしに、八貫目の懸出し勘定に載せたり。鵜飼を始め何れも其才覺に感じ、其由披露して恩賞にこそ預らしめんと思ひしに、隆景却て大に怒り缺耗と云ふことはあるとも、懸出しと云ふことあるべきにあらず、天より降り地より湧出たるにもあるべからず、只人に遣はし、又は買物する時、價輕く與へつらん、輕く與へたらんには、隆景に恥を買はしむるなり、重く遣はして若干の缺耗とこそ算用すべきに、憎き奴原哉頸を刎よと言はれけり。何れも案に相違のことなれば大に驚き、缺耗と申直してこそ事濟みたりけれ。 ○伏見の城にて、秀吉、菊亭右大臣晴季と圍碁せらるゝ時に、德川家康、上杉景勝抔見物なり、其碁甚だ六ケ敷成り、秀吉思案に餘りければ、此分別は流石隆景にても成間敷と言はれしかば、家康御意の通に候と挨拶ありしとぞ。 ○隆景曰く、異見をして見るに直に請合ふ者に、其異見を保つ者なし。異見をする人の詞を能く聞きて我心に考へ合點ならぬと思ふ所をば、一ト問答も二タ問答もして、理に詰りて後尤と請る者は、後ちまで其異見を用ふる者なりと。
新字:○隆景上京の時、算勘者なくてはとて、或町人を撰びて、鵜飼新右衛門、下司に召具せり。下向の後総勘定せしに、八貫目の懸出し勘定に載せたり。鵜飼を始め何れも其才覚に感じ、其由披露して恩賞にこそ預らしめんと思ひしに、隆景却て大に怒り欠耗と云ふことはあるとも、懸出しと云ふことあるべきにあらず、天より降り地より湧出たるにもあるべからず、只人に遣はし、又は買物する時、価軽く与へつらん、軽く与へたらんには、隆景に恥を買はしむるなり、重く遣はして若干の欠耗とこそ算用すべきに、憎き奴原哉頸を刎よと言はれけり。何れも案に相違のことなれば大に驚き、欠耗と申直してこそ事済みたりけれ。 ○伏見の城にて、秀吉、菊亭右大臣晴季と囲碁せらるゝ時に、徳川家康、上杉景勝抔見物なり、其碁甚だ六ケ敷成り、秀吉思案に余りければ、此分別は流石隆景にても成間敷と言はれしかば、家康御意の通に候と挨拶ありしとぞ。 ○隆景曰く、異見をして見るに直に請合ふ者に、其異見を保つ者なし。異見をする人の詞を能く聞きて我心に考へ合点ならぬと思ふ所をば、一ト問答も二タ問答もして、理に詰りて後尤と請る者は、後ちまで其異見を用ふる者なりと。
書き下し
○隆景上京の時、算勘者なくてはとて、或町人を撰びて、鵜飼新右衞門、下司に召具せり。下向の後總勘定せしに、八貫目の懸出し勘定に載せたり。鵜飼を始め何れも其才覺に感じ、其由披露して恩賞にこそ預らしめんと思ひしに、隆景却て大に怒り缺耗と云ふことはあるとも、懸出しと云ふことあるべきにあらず、天より降り地より湧出たるにもあるべからず、只人に遣はし、又は買物する時、價輕く與へつらん、輕く與へたらんには、隆景に恥を買はしむるなり、重く遣はして若干の缺耗とこそ算用すべきに、憎き奴原哉頸を刎よと言はれけり。何れも案に相違のことなれば大に驚き、缺耗と申直してこそ事濟みたりけれ。 ○伏見の城にて、秀吉、菊亭右大臣晴季と圍碁せらるゝ時に、德川家康、上杉景勝抔見物なり、其碁甚だ六ケ敷成り、秀吉思案に餘りければ、此分別は流石隆景にても成間敷と言はれしかば、家康御意の通に候と挨拶ありしとぞ。 ○隆景曰く、異見をして見るに直に請合ふ者に、其異見を保つ者なし。異見をする人の詞を能く聞きて我心に考へ合點ならぬと思ふ所をば、一ト問答も二タ問答もして、理に詰りて後尤と請る者は、後ちまで其異見を用ふる者なりと。
現代語訳
隆景が上京する時、勘定のできる者がいなくてはいけないと、ある町人を選んで鵜飼新右衛門という者を下役に召し連れました。帰国後に総勘定をしたところ、八貫目の掛け出しを勘定に載せていました。鵜飼をはじめ皆その才覚に感心し、そのことを披露して恩賞にあずからせようと思いましたが、隆景はかえって大いに怒り、欠耗ということはあっても、掛け出しということがあるはずがない、天から降り地から湧き出たのでもあるまい、ただ人に遣わしたり、買い物をする時、価を軽く与えたのだろう、軽く与えたならば隆景に恥を買わせたことになる、重く遣わして若干の欠耗と計算するべきなのに、憎い奴らだ、首を刎ねよと言われました。皆は思いがけないことなので大いに驚き、欠耗と申し直してようやく事が済みました。 伏見の城で、秀吉が菊亭右大臣晴季と囲碁をされた時、徳川家康、上杉景勝などが見物していました。その碁はたいそう難しくなり、秀吉は思案に余り、この分別はさすがの隆景でもできまいと言われたので、家康は仰せの通りですと挨拶したということです。 隆景は言いました。意見をしてみると、すぐに引き受ける者でその意見を守る者はいない。意見をする人の言葉をよく聞いて、自分の心で考えて合点がいかないと思うところは、一問答も二問答もして、理に詰まった後でもっともだと引き受ける者は、後までその意見を用いる者である。
解説

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