名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 養子に秀秋を望む
○輝元世嗣未だなかりし時、黒田勘解由孝高、生駒雅樂頭親正二人、毛利が家に親しかりければ、其世嗣の事を議る孝高が計ひにて、秀吉に申し金吾秀秀をして、家を繼がしめんには、家の爲めにも宜しかるべしとありければ、親正も此事尤然るべしとて、先づ隆景が許に來りて此由を告ぐ。隆景聞て其事若し成りなんには、我等が家の幸にこそあらんなれとばかり對へて歸せしが、隆景屹度思案し、急ぎ施藥院の許に行き、厚く頼み隆景が養子に秀秋を内々望み申す由、物語の序に秀吉へ申させければ、秀吉喜びて、夫は金吾が幸なり、左もめれば善き親を持つなりと言はれしを、隆景傳へ聞て、頓て奉行を以て申けるは、我等に筑前の國を賜はりしのみならず、肥前の内二郡筑後の内一郡を副へ賜はりしこと、誠に御厚恩にて候、我身既に年積り候、其上人の命は定めなきものにて候へば、只今にも身罷り候へば、拜領の國に主なく候て、隆景は死後の仕置もせざりし、と天下の人の嘲弄に逢はんも無念に候、四郎秀包、始めは拙者養子分にて候へ共、是は筑後にて領地を賜はり、別に御奉公を勤め候へば、其分にて一家を立申べく候、拙者には金吾殿を賜はり候へかし、養子として國を護り、我身は中國の中に隱居して、心安く餘年を送り度存候由望み申ければ、秀吉大に喜び、頓て秀秋を賜はりける。
新字:○輝元世嗣未だなかりし時、黒田勘解由孝高、生駒雅楽頭親正二人、毛利が家に親しかりければ、其世嗣の事を議る孝高が計ひにて、秀吉に申し金吾秀秀をして、家を継がしめんには、家の為めにも宜しかるべしとありければ、親正も此事尤然るべしとて、先づ隆景が許に来りて此由を告ぐ。隆景聞て其事若し成りなんには、我等が家の幸にこそあらんなれとばかり対へて帰せしが、隆景屹度思案し、急ぎ施薬院の許に行き、厚く頼み隆景が養子に秀秋を内々望み申す由、物語の序に秀吉へ申させければ、秀吉喜びて、夫は金吾が幸なり、左もめれば善き親を持つなりと言はれしを、隆景伝へ聞て、頓て奉行を以て申けるは、我等に筑前の国を賜はりしのみならず、肥前の内二郡筑後の内一郡を副へ賜はりしこと、誠に御厚恩にて候、我身既に年積り候、其上人の命は定めなきものにて候へば、只今にも身罷り候へば、拝領の国に主なく候て、隆景は死後の仕置もせざりし、と天下の人の嘲弄に逢はんも無念に候、四郎秀包、始めは拙者養子分にて候へ共、是は筑後にて領地を賜はり、別に御奉公を勤め候へば、其分にて一家を立申べく候、拙者には金吾殿を賜はり候へかし、養子として国を護り、我身は中国の中に隠居して、心安く余年を送り度存候由望み申ければ、秀吉大に喜び、頓て秀秋を賜はりける。
書き下し
○輝元世嗣未だなかりし時、黒田勘解由孝高、生駒雅樂頭親正二人、毛利が家に親しかりければ、其世嗣の事を議る孝高が計ひにて、秀吉に申し金吾秀秀をして、家を繼がしめんには、家の爲めにも宜しかるべしとありければ、親正も此事尤然るべしとて、先づ隆景が許に來りて此由を告ぐ。隆景聞て其事若し成りなんには、我等が家の幸にこそあらんなれとばかり對へて歸せしが、隆景屹度思案し、急ぎ施藥院の許に行き、厚く頼み隆景が養子に秀秋を内々望み申す由、物語の序に秀吉へ申させければ、秀吉喜びて、夫は金吾が幸なり、左もめれば善き親を持つなりと言はれしを、隆景傳へ聞て、頓て奉行を以て申けるは、我等に筑前の國を賜はりしのみならず、肥前の内二郡筑後の内一郡を副へ賜はりしこと、誠に御厚恩にて候、我身既に年積り候、其上人の命は定めなきものにて候へば、只今にも身罷り候へば、拜領の國に主なく候て、隆景は死後の仕置もせざりし、と天下の人の嘲弄に逢はんも無念に候、四郎秀包、始めは拙者養子分にて候へ共、是は筑後にて領地を賜はり、別に御奉公を勤め候へば、其分にて一家を立申べく候、拙者には金吾殿を賜はり候へかし、養子として國を護り、我身は中國の中に隱居して、心安く餘年を送り度存候由望み申ければ、秀吉大に喜び、頓て秀秋を賜はりける。
現代語訳
輝元にまだ世継ぎがなかった頃、黒田孝高と生駒親正の二人は毛利家と親しかったので、その世継ぎについて相談しました。孝高の計らいで、秀吉に申し上げ、金吾秀秋に家を継がせれば、毛利家のためにもよいだろうということになり、親正もこの案はもっともだと言って、まず隆景のもとに来てこの旨を告げました。隆景は聞いて、その話がもし実現するなら我が家の幸いでありましょう、とだけ答えて帰しました。隆景はじっと思案し、急いで施薬院のもとへ行き、厚く頼んで、隆景の養子に秀秋を内々に望んでいると、話のついでに秀吉へ伝えさせました。秀吉は喜び、それは金吾の幸いである、そうであれば良い親を持つことになると言われました。隆景はこれを伝え聞き、すぐに奉行を通じて申し上げました。私に筑前の国を賜わっただけでなく、肥前のうち二郡、筑後のうち一郡まで添えて賜わったことは、まことに御厚恩です。私はすでに年を重ね、その上人の命は定めのないものですから、今すぐにでも亡くなれば、拝領した国に主がなく、隆景は死後の始末もしなかったと天下の人に嘲られるのも無念です。四郎秀包は、初めは私の養子分でしたが、筑後に領地を賜わり、別に御奉公を勤めていますので、そのまま一家を立てさせます。私には金吾殿を賜わりたい。養子として国を護らせ、私は中国の内に隠居して、心安く余生を送りたいと望み申し上げたところ、秀吉は大いに喜び、ほどなく秀秋を賜わりました。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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孫子・虚実篇孫子曰く、凡そ先に戦地に処して敵を待つ者は佚く、後に戦地に処して戦いに趨く者は労す。
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尉繚子・戰權兵法に曰く、「千人にして権を成し、万人にして武を成す。権先づ人に加ふる者は、敵力交へず。武先づ人に加ふる者は、敵威接せず」と。故に兵は先を貴ぶ。此に勝てば、則ち彼に勝つ。此に勝たざれば、則ち彼に勝たず。凡そ我往けば則ち彼来たり、彼来たれば則ち我往き、相勝敗を為す、此れ戦の理の然るなり。夫れ精誠は神明に在り、戦権は道の極まる所に在り。有る者は之を無くし、無き者は之を有らしむ、安んぞ之を信ずる所あらん。先王の伝聞する所の者は、正に任じ詐を去り、其の慈順を存し、決して留刑無し。故に道を知る者は、必ず先づ止まるを知らざるの敗を図る、悪んぞ必ず往きて功有るに在らんや。軽く進みて戦を求むれば、敵復た止まるを図り、我往きて敵勝を制す。故に兵法に曰く、「求めて之に従ひ、見て之に加へ、主人敢へて当たらざるに之を陵げば、必ず其の権を喪ふ」と。凡そ奪はるる者は気無く、恐るる者は守るべからず、敗るる者は人無し、兵に道無ければなり。意往きて疑はざれば、則ち之に従ふ。敵を奪ひて前無ければ、則ち之に加ふ。明らかに視て高く居れば、則ち之を威す。兵の道極まれり。其の言謹み無ければ、偸みて失はしむ。其の陵犯節無ければ、破る。水のごとく潰し雷のごとく撃てば、三軍乱る。必ず其の危ふきを安んじ、其の患を去り、智を以て之を決す。之を高くするに廊廟の論を以てし、之を重くするに受命の論を以てし、之を鋭くするに踰垠の論を以てすれば、則ち敵国戦はずして服すべし。
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尉繚子・戰威善く兵を用うる者は、能く人を奪いて人に奪われず。