名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 勝ちを神に譲る
○此戰終て後、大谷吉隆、隆景に會し、先日の合戰に時刻を見合はせ給ふは如何樣の御思慮ありしと問ふ。隆景、立花宗茂朝合戰に敵を多く討捕り、明人共兵を引揚ぐる時、其競に掛り度存ずれども、否々明人共日本勢此競に掛るべしと心得防ぐ手立もあるべし、其所へ小勢にて掛りては利あるべからず、時刻を移しなば、偖は日本人、追掛らざるものと心得て、心緩まり油斷あらん、其節掛らば味方の利あるべし、と察し候、又味方の諸勢勇ありと雖も、仕出の遲きもあらん、先勢に後れしと息もつかず走り行けば、人數足本亂れん、夫を明人見ば競掛て進むべし、左あらば大事なり、只諸勢を能く揃て透間なく、次第を立て進めば、味方の分限を知らずして、後より續く日本勢を見て大軍と思ひ臆しなん、味方は後より續く味方に力を得進むべしと存ずる二つにて、時刻を延ばして候なりと言ければ、吉隆深く感じ御思慮故目に餘る大軍を追崩しけりと言ふ。隆景、否々我等抔の謀にて此大勢を退くべきや、昔神功皇后三韓を攻め給ふ時、日本の諸神出現ありしと傳ふるなり、太閤天命に叶はせられし故に、今度も目にこそ見えね、日本の神の力を添給ふなるべし、我等の力にて勝べき樣なしとて、其身の手柄には爲さゞりしとぞ。
新字:○此戦終て後、大谷吉隆、隆景に会し、先日の合戦に時刻を見合はせ給ふは如何様の御思慮ありしと問ふ。隆景、立花宗茂朝合戦に敵を多く討捕り、明人共兵を引揚ぐる時、其競に掛り度存ずれども、否々明人共日本勢此競に掛るべしと心得防ぐ手立もあるべし、其所へ小勢にて掛りては利あるべからず、時刻を移しなば、偖は日本人、追掛らざるものと心得て、心緩まり油断あらん、其節掛らば味方の利あるべし、と察し候、又味方の諸勢勇ありと雖も、仕出の遅きもあらん、先勢に後れしと息もつかず走り行けば、人数足本乱れん、夫を明人見ば競掛て進むべし、左あらば大事なり、只諸勢を能く揃て透間なく、次第を立て進めば、味方の分限を知らずして、後より続く日本勢を見て大軍と思ひ臆しなん、味方は後より続く味方に力を得進むべしと存ずる二つにて、時刻を延ばして候なりと言ければ、吉隆深く感じ御思慮故目に余る大軍を追崩しけりと言ふ。隆景、否々我等抔の謀にて此大勢を退くべきや、昔神功皇后三韓を攻め給ふ時、日本の諸神出現ありしと伝ふるなり、太閤天命に叶はせられし故に、今度も目にこそ見えね、日本の神の力を添給ふなるべし、我等の力にて勝べき様なしとて、其身の手柄には為さゞりしとぞ。
書き下し
○此戰終て後、大谷吉隆、隆景に會し、先日の合戰に時刻を見合はせ給ふは如何樣の御思慮ありしと問ふ。隆景、立花宗茂朝合戰に敵を多く討捕り、明人共兵を引揚ぐる時、其競に掛り度存ずれども、否々明人共日本勢此競に掛るべしと心得防ぐ手立もあるべし、其所へ小勢にて掛りては利あるべからず、時刻を移しなば、偖は日本人、追掛らざるものと心得て、心緩まり油斷あらん、其節掛らば味方の利あるべし、と察し候、又味方の諸勢勇ありと雖も、仕出の遲きもあらん、先勢に後れしと息もつかず走り行けば、人數足本亂れん、夫を明人見ば競掛て進むべし、左あらば大事なり、只諸勢を能く揃て透間なく、次第を立て進めば、味方の分限を知らずして、後より續く日本勢を見て大軍と思ひ臆しなん、味方は後より續く味方に力を得進むべしと存ずる二つにて、時刻を延ばして候なりと言ければ、吉隆深く感じ御思慮故目に餘る大軍を追崩しけりと言ふ。隆景、否々我等抔の謀にて此大勢を退くべきや、昔神功皇后三韓を攻め給ふ時、日本の諸神出現ありしと傳ふるなり、太閤天命に叶はせられし故に、今度も目にこそ見えね、日本の神の力を添給ふなるべし、我等の力にて勝べき樣なしとて、其身の手柄には爲さゞりしとぞ。
現代語訳
○この戦いが終わった後、大谷吉隆が隆景に会い、先日の合戦で時刻を見合わせられたのは、どのようなお考えがあってのことかと尋ねました。隆景は答えました。立花宗茂が朝の戦いで敵を多く討ち取り、明人たちが兵を引き揚げるとき、その勢いに乗じて掛かりたいと思いましたが、いやいや、明人たちは日本勢がこの勢いに乗って掛かると心得て、防ぐ手立てもあるでしょう。そこへ小勢で掛かっては利はありません。時刻を移せば、さては日本人は追いかけないものと心得て、心が緩み、油断が出るでしょう。そのときに掛かれば味方の利があると察しました。また、味方の諸勢は勇気があるといっても、動き出しの遅い者もあるでしょう。先の勢に後れたと息もつかず走って行けば、人数の足並みが乱れます。それを明人が見たならば、勢いに乗って進むでしょう。そうなれば大事です。ただ諸勢をよく揃え、隙なく次第を立てて進めば、味方の数を知らない敵は、後から続く日本勢を見て大軍と思い、臆するでしょう。味方は後から続く味方に力を得て進めるでしょう。この二つの理由で時刻を延ばしたのです。吉隆は深く感じて、ご思慮のゆえに、目に余る大軍を追い崩されたのですと言いました。隆景は、いやいや、われらなどの謀でこの大勢を退けられるものですか。昔、神功皇后が三韓を攻めたとき、日本の諸神が現れたと伝えます。太閤が天命にかなっておられるから、今度も目には見えませんが、日本の神の力が添われたのでしょう。われらの力で勝てる道理はありませんと言い、自分の手柄にはなさらなかったとのことです。
解説

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老子・第8章上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。居は地を善しとし、心は淵を善しとし、与は仁を善しとし、言は信を善しとし、正は治を善しとし、事は能を善しとし、動は時を善しとす。夫れ唯だ争わず、故に尤め無し。
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