文武訓 / 武訓下
聖人も、子路を戒めて、暴虎馮河して、死して悔なからん者には我くみせじ、必ず事にのぞんでおそれ。謀を好んでなさんものなりとのたまへり。伍子胥が父兄の仇を報ぜしも、身を全うして吳王につかへ、吳國の力をかりしなり。若伍子胥も、敵身方の勢をはからずして、押しよせて父兄の仇を報ぜんとせば、などか本意を遂げんや。張良が韓の仇を報ぜしも、高祖の勢をかりてこそ、秦楚をば亡ぼしけれ。打つべき時ありてうたざらんは、まことにおこたりといふべし。工藤祐經は、家富み郞徒多くして用心をなす。祐成、時宗、單身にて卽時に押寄せたらば、などか敵を打ちすますべき、只犬死をこそせめ。されば義貞軍記の論と、近世の先輩それに雷同せし說、さらに理にかなへりともおもほえず。われかつて曾我記の序において、此事を詳に論ぜり。
新字:聖人も、子路を戒めて、暴虎馮河して、死して悔なからん者には我くみせじ、必ず事にのぞんでおそれ。謀を好んでなさんものなりとのたまへり。伍子胥が父兄の仇を報ぜしも、身を全うして呉王につかへ、呉国の力をかりしなり。若伍子胥も、敵身方の勢をはからずして、押しよせて父兄の仇を報ぜんとせば、などか本意を遂げんや。張良が韓の仇を報ぜしも、高祖の勢をかりてこそ、秦楚をば亡ぼしけれ。打つべき時ありてうたざらんは、まことにおこたりといふべし。工藤祐経は、家富み郎徒多くして用心をなす。祐成、時宗、単身にて即時に押寄せたらば、などか敵を打ちすますべき、只犬死をこそせめ。されば義貞軍記の論と、近世の先輩それに雷同せし説、さらに理にかなへりともおもほえず。われかつて曽我記の序において、此事を詳に論ぜり。
書き下し
聖人も、子路を戒めて、暴虎馮河して、死して悔なからん者には我くみせじ、必ず事にのぞんでおそれ。謀を好んでなさんものなりとのたまへり。伍子胥が父兄の仇を報ぜしも、身を全うして呉王につかへ、呉国の力をかりしなり。若伍子胥も、敵身方の勢をはからずして、押しよせて父兄の仇を報ぜんとせば、などか本意を遂げんや。張良が韓の仇を報ぜしも、高祖の勢をかりてこそ、秦楚をば亡ぼしけれ。打つべき時ありてうたざらんは、まことにおこたりといふべし。工藤祐経は、家富み郎徒多くして用心をなす。祐成、時宗、単身にて即時に押寄せたらば、などか敵を打ちすますべき、只犬死をこそせめ。されば義貞軍記の論と、近世の先輩それに雷同せし説、さらに理にかなへりともおもほえず。われかつて曽我記の序において、此事を詳に論ぜり。
現代語訳
聖人(孔子)も子路を戒めて、「虎に素手で挑み大河を歩いて渡り、死んでも悔いない者には私は味方しない。必ず事に臨んで畏れ、謀を好んで成し遂げる者である」とおっしゃいました。伍子胥が父と兄の仇を報じたのも、身を全うして呉王に仕え、呉の国の力を借りたからです。もし伍子胥も、敵味方の勢いを量らずに押し寄せて父兄の仇を報じようとしたら、どうして本意を遂げられたでしょうか。張良が韓の仇を報じたのも、高祖(劉邦)の勢いを借りてこそ秦や楚を滅ぼしたのです。討つべき時があるのに討たないのは、まことに怠りというべきです。工藤祐経は家が富み、家来も多くて用心していました。祐成・時宗が単身ですぐに押し寄せたなら、どうして敵を討ちおおせたでしょうか。ただ犬死にをしただけでしょう。だから『義貞軍記』の論と、近ごろの先輩がそれに同調した説は、まったく理にかなっているとは思えません。私はかつて『曾我記』の序で、この事を詳しく論じました。
解説
この章句が説くこと
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