名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 兵糧を見て待つ
○同役、日本勢、朝鮮の國都を取り之に據る時に、明より大兵を以て後援するの聞えあり。三奉行を始め、諸將相議して曰く、都を保たんとすれば都城の地廣くして、日本勢寡し、又之を棄んとすれば、諸將强きことのみを言て、棄るとも持つとも定まらず。三奉行及諸將より使を以て隆景へ罷出られ候へ、評議あるべきとのことなり。此頃隆景病氣なりとて出です、然れども明兵彌と押來るとて、日本勢も端々噪ぐ體なり、奉行等度々使を遣はすと雖も、隆景未だ、快氣せずと言て出です。之に依り三奉行の內二人、隆景の許に來て談合ありつれども、兎角各の御分別に過ぐ間敷、快氣次第罷出べくと云て是非の義を言はず。隆景思ふに、諸將心にもなき强み計りを人聞に言て眞實なること薄く、何ぞ此都を棄んや、兵糧なくば、石を食ても此都を持詰めずしては口惜かるべきか抔と、口に出る儘に言たりとも、事極まらば替はるべし、我此程評議の席に出度ことなれども、事極まらざる間は出です、其事の極はまりと言ふ所は、此頃諸軍の兵粮の積りをして見るに、今十日の內ならではあるまじ、兵粮の有る間は强み立てを言べし、糧盡くるに及びては、人間石を食し、土を食しては居られぬものなり、上方者の上氣なることを言ふ者には、先成る程言はせて切迫極まりの時、道理を言聞せなば、理に負て評議落着すべきなり、此中病氣と稱せしは、諸軍の粮の盡くるを待ちしなり、早や時分よしと思て、待たる所に隆景出られ候へと、櫛の齒を引くが如く使を遣はす。
新字:○同役、日本勢、朝鮮の国都を取り之に拠る時に、明より大兵を以て後援するの聞えあり。三奉行を始め、諸将相議して曰く、都を保たんとすれば都城の地広くして、日本勢寡し、又之を棄んとすれば、諸将強きことのみを言て、棄るとも持つとも定まらず。三奉行及諸将より使を以て隆景へ罷出られ候へ、評議あるべきとのことなり。此頃隆景病気なりとて出です、然れども明兵弥と押来るとて、日本勢も端々噪ぐ体なり、奉行等度々使を遣はすと雖も、隆景未だ、快気せずと言て出です。之に依り三奉行の内二人、隆景の許に来て談合ありつれども、兎角各の御分別に過ぐ間敷、快気次第罷出べくと云て是非の義を言はず。隆景思ふに、諸将心にもなき強み計りを人聞に言て真実なること薄く、何ぞ此都を棄んや、兵糧なくば、石を食ても此都を持詰めずしては口惜かるべきか抔と、口に出る儘に言たりとも、事極まらば替はるべし、我此程評議の席に出度ことなれども、事極まらざる間は出です、其事の極はまりと言ふ所は、此頃諸軍の兵粮の積りをして見るに、今十日の内ならではあるまじ、兵粮の有る間は強み立てを言べし、糧尽くるに及びては、人間石を食し、土を食しては居られぬものなり、上方者の上気なることを言ふ者には、先成る程言はせて切迫極まりの時、道理を言聞せなば、理に負て評議落着すべきなり、此中病気と称せしは、諸軍の粮の尽くるを待ちしなり、早や時分よしと思て、待たる所に隆景出られ候へと、櫛の歯を引くが如く使を遣はす。
書き下し
○同役、日本勢、朝鮮の國都を取り之に據る時に、明より大兵を以て後援するの聞えあり。三奉行を始め、諸將相議して曰く、都を保たんとすれば都城の地廣くして、日本勢寡し、又之を棄んとすれば、諸將强きことのみを言て、棄るとも持つとも定まらず。三奉行及諸將より使を以て隆景へ罷出られ候へ、評議あるべきとのことなり。此頃隆景病氣なりとて出です、然れども明兵彌と押來るとて、日本勢も端々噪ぐ體なり、奉行等度々使を遣はすと雖も、隆景未だ、快氣せずと言て出です。之に依り三奉行の內二人、隆景の許に來て談合ありつれども、兎角各の御分別に過ぐ間敷、快氣次第罷出べくと云て是非の義を言はず。隆景思ふに、諸將心にもなき强み計りを人聞に言て眞實なること薄く、何ぞ此都を棄んや、兵糧なくば、石を食ても此都を持詰めずしては口惜かるべきか抔と、口に出る儘に言たりとも、事極まらば替はるべし、我此程評議の席に出度ことなれども、事極まらざる間は出です、其事の極はまりと言ふ所は、此頃諸軍の兵粮の積りをして見るに、今十日の內ならではあるまじ、兵粮の有る間は强み立てを言べし、糧盡くるに及びては、人間石を食し、土を食しては居られぬものなり、上方者の上氣なることを言ふ者には、先成る程言はせて切迫極まりの時、道理を言聞せなば、理に負て評議落着すべきなり、此中病氣と稱せしは、諸軍の粮の盡くるを待ちしなり、早や時分よしと思て、待たる所に隆景出られ候へと、櫛の齒を引くが如く使を遣はす。
現代語訳
○同じ役で、日本勢が朝鮮の国都を取ってそこに拠っていたとき、明から大軍で後援が来るという噂がありました。三奉行をはじめ諸将が相談して言うには、都を保とうとすれば都城の地は広く日本勢は少ない、またこれを捨てようとすれば、諸将は強いことばかり言って、捨てるとも保つとも決まらない。三奉行および諸将から使いをもって、隆景へ出てこられよ、評議したいとのことでした。このころ隆景は病気だと言って出ませんでした。しかし明の兵がいよいよ押し寄せるといって、日本勢も端々が騒ぐ様子でした。奉行らは度々使いを遣わしましたが、隆景はまだ快くならないと言って出ません。そこで三奉行のうち二人が隆景のもとに来て相談しましたが、とにかく皆さんのお考えを過ぎることはあるまい、快くなり次第出ましょうと言って、是非の意見は述べませんでした。隆景は思いました。諸将は心にもない強がりばかりを人聞きに言って、真実味が薄い。どうしてこの都を捨てないことがあろうか、兵糧がなければ石を食べてもこの都を保たずにいられようか、などと口に出るままに言っていても、事が極まれば変わるに違いない。私はこの間の評議の席に出たいのだが、事が極まらない間は出ない。その極まりというのは、このごろ諸軍の兵糧の見積もりをしてみると、あと十日の内に尽きる。兵糧のある間は強がりを言うだろうが、糧が尽きれば、人間は石を食べ土を食べては生きていられないものだ。上方者の上気したことを言う者には、まずは存分に言わせて、切迫して極まったときに道理を言い聞かせれば、理に負けて評議が落ち着くであろう。この間、病気と称したのは、諸軍の兵糧が尽きるのを待っていたのである。もう時分がよいと思って待っていたところ、隆景様出てください、と、櫛の歯を引くように使いを遣わしてきました。
解説

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