名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 石は食えぬと説く
其時隆景此程氣相惡き故御評議の席へも罷出でずとありて、其席に出ければ、三奉行を始め、諸將衆申けるは、小早川殿聞給へ、此都を持詰めずしては日本の恥なるべし、侍と生れて、爰を引くべきにあらずと何れも存ずるに付て、此程評議終に落着せず、小早川殿には思召如何ん承はり度とありければ、隆景聞て、某の所存は左樣にては之なし、其仔細は第一に都の内廣きことなれば、此日本の人勢にて多勢を引請け防ぐことなるべからず、第二には、日本勢此都にて討死しても、後來日本の御爲めになるべきことにあらず、第三には、大概諸軍兵粮早や盡きなんと覺たり、大將々々は義理を思て堪忍あるべきなれども、下々は食なくては一日も堪忍するものにあらず、縦令又五日七日堪忍すると言も、働の用に立べからず、此程各石を食ても都を持詰めて御堪忍あるべき由、仰せらるゝと承はる、必定其覺悟たるべきや、事極まらぬ内は誰れも口にては申ものにて候へ共、眞に極まりたる時石を食ては堪忍ならぬものなれば、其分別は違申べし、隆景は石を食ては堪忍致す義相成らず、某存ずる所は先づ此都に火を放ち焼拂て引取り後途の軍を專一に致されん候こと然るべし、此都にて日本勢飢死しても、亦差違て死でも詮なしと申ければ、三奉行を始、諸將も其始は我先にと強み計りを申けれども、諸家中の兵粮の盡きたること、内々何れも能く知りて、誰にても心强く此都を引けと言へかし、其口に付んと思ける折節、隆景理を述べて申ける故、何れも隆景に同意せり。去らば明早天より陣拂すべしとて、其日終日の會合ありしに、其一座の中より早や内々にて人を遣はし、其日より人數を繰引したる人もあり。其程のことなれば、片端より火を掛けたる所もあり。其日早や晩日に及びて、各一座を立んとす。
新字:其時隆景此程気相悪き故御評議の席へも罷出でずとありて、其席に出ければ、三奉行を始め、諸将衆申けるは、小早川殿聞給へ、此都を持詰めずしては日本の恥なるべし、侍と生れて、爰を引くべきにあらずと何れも存ずるに付て、此程評議終に落着せず、小早川殿には思召如何ん承はり度とありければ、隆景聞て、某の所存は左様にては之なし、其仔細は第一に都の内広きことなれば、此日本の人勢にて多勢を引請け防ぐことなるべからず、第二には、日本勢此都にて討死しても、後来日本の御為めになるべきことにあらず、第三には、大概諸軍兵粮早や尽きなんと覚たり、大将々々は義理を思て堪忍あるべきなれども、下々は食なくては一日も堪忍するものにあらず、縦令又五日七日堪忍すると言も、働の用に立べからず、此程各石を食ても都を持詰めて御堪忍あるべき由、仰せらるゝと承はる、必定其覚悟たるべきや、事極まらぬ内は誰れも口にては申ものにて候へ共、真に極まりたる時石を食ては堪忍ならぬものなれば、其分別は違申べし、隆景は石を食ては堪忍致す義相成らず、某存ずる所は先づ此都に火を放ち焼払て引取り後途の軍を専一に致されん候こと然るべし、此都にて日本勢飢死しても、亦差違て死でも詮なしと申ければ、三奉行を始、諸将も其始は我先にと強み計りを申けれども、諸家中の兵粮の尽きたること、内々何れも能く知りて、誰にても心強く此都を引けと言へかし、其口に付んと思ける折節、隆景理を述べて申ける故、何れも隆景に同意せり。去らば明早天より陣払すべしとて、其日終日の会合ありしに、其一座の中より早や内々にて人を遣はし、其日より人数を繰引したる人もあり。其程のことなれば、片端より火を掛けたる所もあり。其日早や晩日に及びて、各一座を立んとす。
書き下し
其時隆景此程氣相惡き故御評議の席へも罷出でずとありて、其席に出ければ、三奉行を始め、諸將衆申けるは、小早川殿聞給へ、此都を持詰めずしては日本の恥なるべし、侍と生れて、爰を引くべきにあらずと何れも存ずるに付て、此程評議終に落着せず、小早川殿には思召如何ん承はり度とありければ、隆景聞て、某の所存は左樣にては之なし、其仔細は第一に都の内廣きことなれば、此日本の人勢にて多勢を引請け防ぐことなるべからず、第二には、日本勢此都にて討死しても、後來日本の御爲めになるべきことにあらず、第三には、大概諸軍兵粮早や盡きなんと覺たり、大將々々は義理を思て堪忍あるべきなれども、下々は食なくては一日も堪忍するものにあらず、縦令又五日七日堪忍すると言も、働の用に立べからず、此程各石を食ても都を持詰めて御堪忍あるべき由、仰せらるゝと承はる、必定其覺悟たるべきや、事極まらぬ内は誰れも口にては申ものにて候へ共、眞に極まりたる時石を食ては堪忍ならぬものなれば、其分別は違申べし、隆景は石を食ては堪忍致す義相成らず、某存ずる所は先づ此都に火を放ち焼拂て引取り後途の軍を專一に致されん候こと然るべし、此都にて日本勢飢死しても、亦差違て死でも詮なしと申ければ、三奉行を始、諸將も其始は我先にと強み計りを申けれども、諸家中の兵粮の盡きたること、内々何れも能く知りて、誰にても心强く此都を引けと言へかし、其口に付んと思ける折節、隆景理を述べて申ける故、何れも隆景に同意せり。去らば明早天より陣拂すべしとて、其日終日の會合ありしに、其一座の中より早や内々にて人を遣はし、其日より人數を繰引したる人もあり。其程のことなれば、片端より火を掛けたる所もあり。其日早や晩日に及びて、各一座を立んとす。
現代語訳
そのとき隆景は、このところ気分が悪いので評議の席へも出られませんでしたと言って、その席に出ました。三奉行をはじめ諸将は申しました。小早川殿、お聞きなされ。この都を保ち通さなければ日本の恥であろう。侍として生まれて、ここを引くべきではないと、皆が思って、このところ評議がついに決着しません。小早川殿のお考えはいかがか承りたい。隆景は聞いて申しました。私の所存はそうではありません。その理由は、第一に、都の内は広いので、この日本の人数で多勢を引き受け防ぐことはできません。第二に、日本勢がこの都で討死しても、後々日本のためになることではありません。第三に、おおよそ諸軍の兵糧はもはや尽きようとしていると思います。大将は義理を思って堪え忍ばれるでしょうが、下々は食べ物がなくては一日も堪えられるものではありません。たとえ五日七日堪え忍ぶと言っても、働きの役には立ちません。このごろ皆さんは、石を食べても都を保ち通して堪え忍ぶと仰せられると聞きますが、必ずその覚悟でしょうか。事が極まらない間は誰でも口では言うものですが、本当に極まったときに石を食べては堪え忍べないものです。その分別は間違っています。隆景は石を食べては堪え忍ぶことはできません。私の考えは、まずこの都に火を放って焼き払って引き取り、後の戦を第一にされるのがよいということです。この都で日本勢が飢え死にしても、また差し違えて死んでも甲斐がありません。三奉行をはじめ諸将も、初めは我先にと強がりばかり言っていましたが、諸家中の兵糧が尽きたことは内々よく知っていたので、誰かが、心強くこの都を引けと言ってくれないか、その口に付こうと思っていたところに、隆景が道理を述べたので、皆が隆景に同意しました。では明日の早朝から陣払いをしようということになり、その日は終日会合がありましたが、その一座の中から早くも内々に人を遣わして、その日から兵を繰り引きした人もありました。それほどのことなので、あちこちから火を掛けた所もありました。その日も早や夕暮れに及び、各々が一座を立とうとしました。
解説

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名将言行録・『名将言行録』小早川隆景 兵糧を見て待つ○同役、日本勢、朝鮮の國都を取り之に據る時に、明より大兵を以て後援するの聞えあり。三奉行を始め、諸將相議して曰く、都を保たんとすれば都城の地廣くして、日本勢寡し、又之を棄んとすれば、諸將强きことのみを言て、棄るとも持つとも定まらず。三奉行及諸將より使を以て隆景へ罷出られ候へ、評議あるべきとのことなり。此頃隆景病氣なりとて出です、然れども明兵彌と押來るとて、日本勢も端々噪ぐ體なり、奉行等度々使を遣はすと雖も、隆景未だ、快氣せずと言て出です。之に依り三奉行の內二人、隆景の許に來て談合ありつれども、兎角各の御分別に過ぐ間敷、快氣次第罷出べくと云て是非の義を言はず。隆景思ふに、諸將心にもなき强み計りを人聞に言て眞實なること薄く、何ぞ此都を棄んや、兵糧なくば、石を食ても此都を持詰めずしては口惜かるべきか抔と、口に出る儘に言たりとも、事極まらば替はるべし、我此程評議の席に出度ことなれども、事極まらざる間は出です、其事の極はまりと言ふ所は、此頃諸軍の兵粮の積りをして見るに、今十日の內ならではあるまじ、兵粮の有る間は强み立てを言べし、糧盡くるに及びては、人間石を食し、土を食しては居られぬものなり、上方者の上氣なることを言ふ者には、先成る程言はせて切迫極まりの時、道理を言聞せなば、理に負て評議落着すべきなり、此中病氣と稱せしは、諸軍の粮の盡くるを待ちしなり、早や時分よしと思て、待たる所に隆景出られ候へと、櫛の齒を引くが如く使を遣はす。
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名将言行録・『名将言行録』小早川隆景 負け戦の備え○此役、城將北條氏規、德川家康及、北畠信雄、城中に內通ありと流言させたり。軍皆疑懼す。秀吉、隆景が策を用ひて、近臣僅に數人にて、家康、信雄の陣營に行かれ、飲を催さる。之に依り流言立どころに止みたり。 ○征韓の役、既に國都へ入らんとして、三奉行等相議して備定を爲し終りて、石田三成自慢顏にて隆景に向ひ、斯の如く備定を成せり、尙ほ非を打たるべきことありやと問ふ。隆景、何にとて我等の非を打申すべきことあるべき、申分なき御備定なりと言ふ。三成、太閤御差圖にて弓箭談合の爲め御渡海のことなれば、思召寄りの所承はりたしと言ければ、隆景、此上は辭するも其恐少なからず、依て鄙見を陳述すべしとて申けるは、殘る所なき御備定なれば、必必定御勝利なるべし、去りながら戰と申すは、時により所によりて思ひ定めたる圖の外るゝことあるものなり、此御備定は皆勝軍の時計りのことなり、自然又負くることもあるものなれば、負軍したる時の御思案ありたしと。三成眼を塞ぎ柱に倚り掛り、暫くありて眼を開て曰く、小早川殿御免候へ、先刻より不都合なることを申出たり、去らば負たる時の思案致すべしとて、有筆を呼で共に一室に入り、都までの傳への城取の繪圖と城主等を書記して來り、隆景に示す。隆景見て然るべしと言て其座を立てり。後追々傳への城普請ありて、城主を置きたり。終に都へ打入りし後我軍深入して敗軍の時、傳への城々まで引取ては、退き〳〵次第々々に引揚けて終に軍を全うせしは、隆景の謀なり。
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名将言行録・『名将言行録』小早川隆景 大言と陣中の用心○隆景、朝鮮に在り、曾我兵庫を那古耶に遣はし、秀吉の機嫌を聞かしむ。兵庫、秀吉の前に出で、隆景存意に、今十萬の人數渡海仰付られ候はんには、城々に入れ置き、當時在韓の人數十三萬にて、隆景先鋒仕り、朝鮮を席卷し、明國を打平げ度、此段願奉ると申ければ、秀吉聞て隆景の氣象憮ぞあらんと、機嫌斜めならざりしとぞ。 ○隆景、朝鮮に在り、陣中の用心は勿論懈怠なし。中間小者に至るまで草臥ざる樣に、一人たりとも程遠に散らざる樣にと自ら下知を加へ、晝夜となく陣中を廻りたり。出陣するにも諸將五六里出れば、隆景は三里ならでは出です、福島正則抔は立腹せしこともありしとぞ。
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名将言行録・『名将言行録』小早川隆景 しんがりの一戦時に隆景各の御口上に相違せり、此程是非此都を持詰らるべしと申されたる人々の、仔細なく此都を引取らるべしと思はるゝは不覺なり、明人大勢にて押寄するを知りて、徒に退く時は逃けたるに當るべし、是非爰は一ト合戰致し退かでは叶はぬ所なり、合戰致されゝば敵に突立られて大勢退き難からん、今朝より各の御氣色をも憚からず推參を申し過したる間、明日の合戰は某致すべく、其間に人數を繰引せられよ、明日の合戰勝利ならば日本の惣勝なり、自然又利を失ふ時は日本の惣負たるべし、隨分一合戰致すべしと言て、戰の日先陣に進み、縱橫奮擊して大に明兵を敗れり。是を都合戰と云ふ。明兵死亡する者數萬人、李如松馬より墜ち、我將に刺殺されんとす。此時隆景の猛氣英姿は唯摩利支天の如くなりとて、三軍感歎せり。
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名将言行録・『名将言行録』小早川隆景 鍋島直茂の評○鍋島直茂の臣、綾部右京、直茂に向ひ、當時日本にて名將と申すは小早川殿と、主公との由風聞仕ると申す。直茂如何なることを聞て、左樣に隆景と、我と似たる樣に申すぞ、田舎者にて上方の事を知らざる者の申すことならん、較べて言ふべき人にあらず。其故は先年太閤御前にて諸大名列座の時、御意には其方共に數年苦勞致させ候に、知行を遣はし度思へども、如何にしても日本小國にて地が足らず、唐天竺を伐取り、其方抔に存分に知行を遣はすべくと思ふ、如何あるべきやと仰出されたり。其時は御亂心かと思ふ程にてありし。一人も、御挨拶申す者なし、其時隆景一人進み出で、成程御尤の儀然るべく存奉ると申上らる、其時我等心に隆景は世に分別者と聞きしが、偖は輕薄者と思ひたり、未だ見もせぬ朝鮮のことを思召立れ候へと申上られしこと、物笑しく聞居りしが、去らば祐筆を呼出し、一ッ書にて掟等を定めんとて、朝鮮陣中の事段々御詮議なり、太閤の仰出さるゝ事を、夫は御尤是は問はり申すべく、彼は何々と遂一申上けられたり。如何なる事かと思ひ居たりしが、偖其後朝鮮に渡海して見るに、七ケ年在陣中、隆景申上けしことに少しも相違なく、皆々割符を合はせたるが如くにてありき。實に天下の名人にて較ぶべき人にあらずと言はれたり。
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名将言行録・『名将言行録』小早川隆景 勝ちを神に譲る○此戰終て後、大谷吉隆、隆景に會し、先日の合戰に時刻を見合はせ給ふは如何樣の御思慮ありしと問ふ。隆景、立花宗茂朝合戰に敵を多く討捕り、明人共兵を引揚ぐる時、其競に掛り度存ずれども、否々明人共日本勢此競に掛るべしと心得防ぐ手立もあるべし、其所へ小勢にて掛りては利あるべからず、時刻を移しなば、偖は日本人、追掛らざるものと心得て、心緩まり油斷あらん、其節掛らば味方の利あるべし、と察し候、又味方の諸勢勇ありと雖も、仕出の遲きもあらん、先勢に後れしと息もつかず走り行けば、人數足本亂れん、夫を明人見ば競掛て進むべし、左あらば大事なり、只諸勢を能く揃て透間なく、次第を立て進めば、味方の分限を知らずして、後より續く日本勢を見て大軍と思ひ臆しなん、味方は後より續く味方に力を得進むべしと存ずる二つにて、時刻を延ばして候なりと言ければ、吉隆深く感じ御思慮故目に餘る大軍を追崩しけりと言ふ。隆景、否々我等抔の謀にて此大勢を退くべきや、昔神功皇后三韓を攻め給ふ時、日本の諸神出現ありしと傳ふるなり、太閤天命に叶はせられし故に、今度も目にこそ見えね、日本の神の力を添給ふなるべし、我等の力にて勝べき樣なしとて、其身の手柄には爲さゞりしとぞ。