名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 負け戦の備え
○此役、城將北條氏規、德川家康及、北畠信雄、城中に內通ありと流言させたり。軍皆疑懼す。秀吉、隆景が策を用ひて、近臣僅に數人にて、家康、信雄の陣營に行かれ、飲を催さる。之に依り流言立どころに止みたり。 ○征韓の役、既に國都へ入らんとして、三奉行等相議して備定を爲し終りて、石田三成自慢顏にて隆景に向ひ、斯の如く備定を成せり、尙ほ非を打たるべきことありやと問ふ。隆景、何にとて我等の非を打申すべきことあるべき、申分なき御備定なりと言ふ。三成、太閤御差圖にて弓箭談合の爲め御渡海のことなれば、思召寄りの所承はりたしと言ければ、隆景、此上は辭するも其恐少なからず、依て鄙見を陳述すべしとて申けるは、殘る所なき御備定なれば、必必定御勝利なるべし、去りながら戰と申すは、時により所によりて思ひ定めたる圖の外るゝことあるものなり、此御備定は皆勝軍の時計りのことなり、自然又負くることもあるものなれば、負軍したる時の御思案ありたしと。三成眼を塞ぎ柱に倚り掛り、暫くありて眼を開て曰く、小早川殿御免候へ、先刻より不都合なることを申出たり、去らば負たる時の思案致すべしとて、有筆を呼で共に一室に入り、都までの傳への城取の繪圖と城主等を書記して來り、隆景に示す。隆景見て然るべしと言て其座を立てり。後追々傳への城普請ありて、城主を置きたり。終に都へ打入りし後我軍深入して敗軍の時、傳への城々まで引取ては、退き〳〵次第々々に引揚けて終に軍を全うせしは、隆景の謀なり。
新字:○此役、城将北条氏規、徳川家康及、北畠信雄、城中に内通ありと流言させたり。軍皆疑懼す。秀吉、隆景が策を用ひて、近臣僅に数人にて、家康、信雄の陣営に行かれ、飲を催さる。之に依り流言立どころに止みたり。 ○征韓の役、既に国都へ入らんとして、三奉行等相議して備定を為し終りて、石田三成自慢顔にて隆景に向ひ、斯の如く備定を成せり、尚ほ非を打たるべきことありやと問ふ。隆景、何にとて我等の非を打申すべきことあるべき、申分なき御備定なりと言ふ。三成、太閤御差図にて弓箭談合の為め御渡海のことなれば、思召寄りの所承はりたしと言ければ、隆景、此上は辞するも其恐少なからず、依て鄙見を陳述すべしとて申けるは、残る所なき御備定なれば、必必定御勝利なるべし、去りながら戦と申すは、時により所によりて思ひ定めたる図の外るゝことあるものなり、此御備定は皆勝軍の時計りのことなり、自然又負くることもあるものなれば、負軍したる時の御思案ありたしと。三成眼を塞ぎ柱に倚り掛り、暫くありて眼を開て曰く、小早川殿御免候へ、先刻より不都合なることを申出たり、去らば負たる時の思案致すべしとて、有筆を呼で共に一室に入り、都までの伝への城取の絵図と城主等を書記して来り、隆景に示す。隆景見て然るべしと言て其座を立てり。後追々伝への城普請ありて、城主を置きたり。終に都へ打入りし後我軍深入して敗軍の時、伝への城々まで引取ては、退き〳〵次第々々に引揚けて終に軍を全うせしは、隆景の謀なり。
書き下し
○此役、城將北條氏規、德川家康及、北畠信雄、城中に內通ありと流言させたり。軍皆疑懼す。秀吉、隆景が策を用ひて、近臣僅に數人にて、家康、信雄の陣營に行かれ、飲を催さる。之に依り流言立どころに止みたり。 ○征韓の役、既に國都へ入らんとして、三奉行等相議して備定を爲し終りて、石田三成自慢顏にて隆景に向ひ、斯の如く備定を成せり、尙ほ非を打たるべきことありやと問ふ。隆景、何にとて我等の非を打申すべきことあるべき、申分なき御備定なりと言ふ。三成、太閤御差圖にて弓箭談合の爲め御渡海のことなれば、思召寄りの所承はりたしと言ければ、隆景、此上は辭するも其恐少なからず、依て鄙見を陳述すべしとて申けるは、殘る所なき御備定なれば、必必定御勝利なるべし、去りながら戰と申すは、時により所によりて思ひ定めたる圖の外るゝことあるものなり、此御備定は皆勝軍の時計りのことなり、自然又負くることもあるものなれば、負軍したる時の御思案ありたしと。三成眼を塞ぎ柱に倚り掛り、暫くありて眼を開て曰く、小早川殿御免候へ、先刻より不都合なることを申出たり、去らば負たる時の思案致すべしとて、有筆を呼で共に一室に入り、都までの傳への城取の繪圖と城主等を書記して來り、隆景に示す。隆景見て然るべしと言て其座を立てり。後追々傳への城普請ありて、城主を置きたり。終に都へ打入りし後我軍深入して敗軍の時、傳への城々まで引取ては、退き〳〵次第々々に引揚けて終に軍を全うせしは、隆景の謀なり。
現代語訳
○この戦いで、城将の北条氏規は、徳川家康および北畠信雄が城中に内通していると流言させました。軍の皆が疑い恐れました。秀吉は隆景の策を用い、近臣わずか数人で、家康と信雄の陣営へ行き、酒宴を催しました。これによって流言はたちどころにやみました。 ○朝鮮の役で、すでに国都(京城)に入ろうとして、三奉行らが相談して備えの配置を決め終え、石田三成が自慢顔で隆景に向かい、このように備えの配置を成した、なお欠点を指摘すべきことはあるかと問いました。隆景は、どうして私が欠点を申すことがありましょう、申し分のない備えの配置です、と言いました。三成が、太閤の指図で軍の談合のため渡海されたのだから、お考えの所を承りたいと言うと、隆景は、こうなっては辞退するのもかえって恐れ多いので、拙い意見を申し述べましょうと言いました。残る所のない備えの配置なので、必ずご勝利となるでしょう。しかし、戦というものは、時により所により、思い定めた図の外れることがあるものです。この備えの配置は、すべて勝ち戦のときばかりのことです。万一また負けることもあるものなので、負け戦のときのご思案をなさってください。三成は目を閉じ柱に寄りかかり、しばらくして目を開いて言いました。小早川殿、お許しください。先ほどから不都合なことを申し出しました。それでは負けたときの思案をいたしましょうと言い、祐筆を呼んで一緒に一室に入り、都までの伝いの城取りの絵図と城主などを書き記して持ってきて、隆景に示しました。隆景は見て、これでよいと言って席を立ちました。後に追々、伝いの城の普請があって、城主を置きました。ついに都へ打ち入った後、わが軍が深入りして敗軍したとき、伝いの城々まで引き取れば、退き退き次第に引き揚げて、ついに軍を全うしたのは、隆景の謀によるものでした。
解説

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