名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 長陣と謡の策
○秀吉、小田原城を攻む。數月にして陷らず。時に清洲城の留守たりし隆景を召寄られ、此城近日落べしとも見えず、長陣に士卒疲勞せり、之に依り石垣山の砦には秀次を差置き、御邊を輔佐とし、大概の事は德川氏を賴み、一兩月の間暫く歸京して政務を沙汰し、又々下向せんと言はれければ、隆景、之を承はり、愚按には此度の長陣御武運に叶ひ、御勝利の根本と存ずるなり、今少し御逗留あるべし、先づ城攻を休め、弓鐵砲を靜め、仕寄を丁寧にし、夜討の用心を堅固にせられ、味方の者共に長陣の覺悟を極めさせ、敵方にても、長陣と云ふを悟る樣にせられ、然る後、長陣に勞ぬ樣にとて、今樣を謠はせ、亂舞踊を興行させ、猶々敵に長陣と云ことを知らせ給へと申す。秀吉打笑ひ、御邊の申さるゝ所實に以て、感服せり、御亡父にも斯の如き手段ありて、勝利を得られしことありやと尋ければ、隆景、父元就代にも、品は替り候へ共、幾度も箇樣の手段候と申けり。秀吉長陣の仕度はありしかども、隆景が言に從ひ、今樣亂舞抔を興行させたり。斯りければ、流石風流なる上方勢なれば、品々今樣を作り謠ひ、爰の山、彼の嶺にて、思ひ〳〵の興行ありて、何れも長陣の憂を忘れたり。其後隆景、秀吉に、東國の先方なれば德川殿と御相談ありて、城中へ御計策然るべし、時節來り候ひぬ、と申ければ、秀吉又其言に從ひ、宇喜多秀家をして、城將太田氏房に酒肴抔を贈らせ、交和の策を施されたり。後幾程もなく小田原落去せり。果して隆景の計りし如し。
新字:○秀吉、小田原城を攻む。数月にして陥らず。時に清洲城の留守たりし隆景を召寄られ、此城近日落べしとも見えず、長陣に士卒疲労せり、之に依り石垣山の砦には秀次を差置き、御辺を輔佐とし、大概の事は徳川氏を頼み、一両月の間暫く帰京して政務を沙汰し、又々下向せんと言はれければ、隆景、之を承はり、愚按には此度の長陣御武運に叶ひ、御勝利の根本と存ずるなり、今少し御逗留あるべし、先づ城攻を休め、弓鉄砲を静め、仕寄を丁寧にし、夜討の用心を堅固にせられ、味方の者共に長陣の覚悟を極めさせ、敵方にても、長陣と云ふを悟る様にせられ、然る後、長陣に労ぬ様にとて、今様を謡はせ、乱舞踊を興行させ、猶々敵に長陣と云ことを知らせ給へと申す。秀吉打笑ひ、御辺の申さるゝ所実に以て、感服せり、御亡父にも斯の如き手段ありて、勝利を得られしことありやと尋ければ、隆景、父元就代にも、品は替り候へ共、幾度も箇様の手段候と申けり。秀吉長陣の仕度はありしかども、隆景が言に従ひ、今様乱舞抔を興行させたり。斯りければ、流石風流なる上方勢なれば、品々今様を作り謡ひ、爰の山、彼の嶺にて、思ひ〳〵の興行ありて、何れも長陣の憂を忘れたり。其後隆景、秀吉に、東国の先方なれば徳川殿と御相談ありて、城中へ御計策然るべし、時節来り候ひぬ、と申ければ、秀吉又其言に従ひ、宇喜多秀家をして、城将太田氏房に酒肴抔を贈らせ、交和の策を施されたり。後幾程もなく小田原落去せり。果して隆景の計りし如し。
書き下し
○秀吉、小田原城を攻む。數月にして陷らず。時に清洲城の留守たりし隆景を召寄られ、此城近日落べしとも見えず、長陣に士卒疲勞せり、之に依り石垣山の砦には秀次を差置き、御邊を輔佐とし、大概の事は德川氏を賴み、一兩月の間暫く歸京して政務を沙汰し、又々下向せんと言はれければ、隆景、之を承はり、愚按には此度の長陣御武運に叶ひ、御勝利の根本と存ずるなり、今少し御逗留あるべし、先づ城攻を休め、弓鐵砲を靜め、仕寄を丁寧にし、夜討の用心を堅固にせられ、味方の者共に長陣の覺悟を極めさせ、敵方にても、長陣と云ふを悟る樣にせられ、然る後、長陣に勞ぬ樣にとて、今樣を謠はせ、亂舞踊を興行させ、猶々敵に長陣と云ことを知らせ給へと申す。秀吉打笑ひ、御邊の申さるゝ所實に以て、感服せり、御亡父にも斯の如き手段ありて、勝利を得られしことありやと尋ければ、隆景、父元就代にも、品は替り候へ共、幾度も箇樣の手段候と申けり。秀吉長陣の仕度はありしかども、隆景が言に從ひ、今樣亂舞抔を興行させたり。斯りければ、流石風流なる上方勢なれば、品々今樣を作り謠ひ、爰の山、彼の嶺にて、思ひ〳〵の興行ありて、何れも長陣の憂を忘れたり。其後隆景、秀吉に、東國の先方なれば德川殿と御相談ありて、城中へ御計策然るべし、時節來り候ひぬ、と申ければ、秀吉又其言に從ひ、宇喜多秀家をして、城將太田氏房に酒肴抔を贈らせ、交和の策を施されたり。後幾程もなく小田原落去せり。果して隆景の計りし如し。
現代語訳
○秀吉は小田原城を攻めました。数か月たっても落ちません。そのとき、清洲城の留守にいた隆景を呼び寄せて言いました。この城は近日中に落ちそうにも見えず、長陣で兵も疲れている。そこで石垣山の砦には秀次を置き、そなたを補佐とし、おおよそのことは徳川殿に頼んで、一、二か月の間しばらく都へ帰って政務を処理し、また下向しようと思う。隆景はこれを聞いて申しました。私の考えでは、このたびの長陣はご武運にかない、ご勝利の根本と存じます。いま少しご逗留なさるべきです。まず城攻めを休み、弓や鉄砲を静め、仕寄(攻め寄せの工事)を丁寧にして、夜討ちの用心を堅固にし、味方の者たちに長陣の覚悟を決めさせ、敵方にも長陣というものを悟らせるようにして、そのうえで長陣に疲れないようにと今様を謡わせ、乱舞や踊りを興行させ、さらに敵に長陣ということを知らせてください。秀吉は笑って、そなたの申すところは実に感服した。亡き父上にもこのような手段をとって勝利を得られたことがあるかと尋ねると、隆景は、父元就の代にも、品は変わりますが、幾度もこのような手段がございましたと申しました。秀吉は長陣の支度はしていたものの、隆景の言葉に従って今様や乱舞などを興行させました。そうしたところ、さすが風流な上方勢なので、さまざまの今様を作り謡い、ここの山、あの峰で思い思いの興行があって、皆が長陣の憂いを忘れました。その後、隆景は秀吉に、東国の先方である徳川殿と相談して、城中へ策略をめぐらすのがよいでしょう、時節が来ました、と申しました。秀吉はこの言葉にも従い、宇喜多秀家に命じて、城将の太田氏房に酒肴などを贈らせ、和を通じる策を施しました。ほどなく小田原は落城しました。果たして隆景の見通したとおりでした。
解説

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