名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 漁夫を使者に
○嚴島の役、晴賢、有浦の城を攻ること急なり。元就如何にもして、城兵今兩三日持怺へよかし、明後日は必ず後詰すべし、此義を城中へ申遣はし度ことなり、誰を遣はすべきやと思案して居たりし所に、隆景進み出て、近頃小舟一艘敵方へも、城中へも往返致し候、是は宮島鳩ケ浦の漁夫と見受け候、彼漁夫を招き様子を承はり、彼舟に乘り城中に忍び入り、御意の次第を申諭し候べし、萬一城兵後詰あるまじと思ひ、城を明け退くに於ては悔るも及び難きことに候と、言ければ、元就、敵幾重ともなく打圍みたる城へ、容易く入ること叶ふべからずと思ひしが、隆景が意に任せり。隆景、即ち彼漁夫を呼び、委細に尋ねければ、果して鳩ケ浦の漁夫なり。元來海上を家として日を送る者なれば、敵方にても城中にても、制することもなく、魚を商ひ候と言ふ。隆景大に喜び、內海市郎と、同朋の辯才ある者二人を召連れ、船底に入り苫をかつぎ、黄昏に城に入り云々の旨を告ければ、城兵大に喜び、英氣百倍せり。隆景、又漁舟に乘りて歸りしかば、元就を始め何れも大に喜べり。
新字:○厳島の役、晴賢、有浦の城を攻ること急なり。元就如何にもして、城兵今両三日持怺へよかし、明後日は必ず後詰すべし、此義を城中へ申遣はし度ことなり、誰を遣はすべきやと思案して居たりし所に、隆景進み出て、近頃小舟一艘敵方へも、城中へも往返致し候、是は宮島鳩ケ浦の漁夫と見受け候、彼漁夫を招き様子を承はり、彼舟に乗り城中に忍び入り、御意の次第を申諭し候べし、万一城兵後詰あるまじと思ひ、城を明け退くに於ては悔るも及び難きことに候と、言ければ、元就、敵幾重ともなく打囲みたる城へ、容易く入ること叶ふべからずと思ひしが、隆景が意に任せり。隆景、即ち彼漁夫を呼び、委細に尋ねければ、果して鳩ケ浦の漁夫なり。元来海上を家として日を送る者なれば、敵方にても城中にても、制することもなく、魚を商ひ候と言ふ。隆景大に喜び、内海市郎と、同朋の弁才ある者二人を召連れ、船底に入り苫をかつぎ、黄昏に城に入り云々の旨を告ければ、城兵大に喜び、英気百倍せり。隆景、又漁舟に乗りて帰りしかば、元就を始め何れも大に喜べり。
書き下し
○嚴島の役、晴賢、有浦の城を攻ること急なり。元就如何にもして、城兵今兩三日持怺へよかし、明後日は必ず後詰すべし、此義を城中へ申遣はし度ことなり、誰を遣はすべきやと思案して居たりし所に、隆景進み出て、近頃小舟一艘敵方へも、城中へも往返致し候、是は宮島鳩ケ浦の漁夫と見受け候、彼漁夫を招き様子を承はり、彼舟に乘り城中に忍び入り、御意の次第を申諭し候べし、萬一城兵後詰あるまじと思ひ、城を明け退くに於ては悔るも及び難きことに候と、言ければ、元就、敵幾重ともなく打圍みたる城へ、容易く入ること叶ふべからずと思ひしが、隆景が意に任せり。隆景、即ち彼漁夫を呼び、委細に尋ねければ、果して鳩ケ浦の漁夫なり。元來海上を家として日を送る者なれば、敵方にても城中にても、制することもなく、魚を商ひ候と言ふ。隆景大に喜び、內海市郎と、同朋の辯才ある者二人を召連れ、船底に入り苫をかつぎ、黄昏に城に入り云々の旨を告ければ、城兵大に喜び、英氣百倍せり。隆景、又漁舟に乘りて歸りしかば、元就を始め何れも大に喜べり。
現代語訳
○厳島の戦いのとき、晴賢は有浦の城を急に攻めていました。元就は、どうにかして城兵があと二、三日持ちこたえてほしい、明後日は必ず後詰をする、このことを城中へ伝えたいが、誰を遣わしたものかと思案していたところ、隆景が進み出て言いました。このごろ、小舟が一艘、敵方にも城中にも往き来しています。これは宮島の鳩ケ浦の漁夫と見受けます。その漁夫を呼んで様子を尋ね、その舟に乗って城中に忍び入り、ご意向を申し伝えましょう。万一、城兵が後詰はあるまいと思い、城を明け退くようなことがあれば、悔やんでも及びません。元就は、敵が幾重にも囲んだ城へ容易く入ることはかなうまいと思いましたが、隆景の考えに任せました。隆景がその漁夫を呼んでくわしく尋ねると、果たして鳩ケ浦の漁夫でした。もともと海上を家として暮らす者なので、敵方でも城中でも止められることなく、魚を商っておりますと言います。隆景は大いに喜び、内海市郎と、同朋で弁舌のある者二人を連れて、船底に入り苫をかぶって、夕暮れに城に入り、これこれの旨を告げたので、城兵は大いに喜び、英気は百倍になりました。隆景はまた漁船に乗って帰りましたので、元就をはじめ、皆が大いに喜びました。
解説

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