古典を学びたいすべての人に 法人向けワークシート法人向けワークシート

名将言行録 / 『名将言行録』小早川隆景 信長の死と毛利

○天正十年織田信長、羽柴秀吉をして備中の國に攻入り、高松城を攻しむ。輝元、元春、隆景、數萬騎を牽ゐ後援す。信長の軍勢、又雲霞の如く攻め下ると聞えしかば、毛利の人々相議し、備中、備後、伯耆三ケ國を信長に避け渡し、和睦すべしとて、秀吉の許に使を立てゝ、長く兩家の好みを結ぶべき由を言送ること度々に及べり。斯る所に六月二日、信長、明智光秀が爲めに失はれし由、秀吉の陣に聞ゆ。秀吉少しも包まず。毛利の使に向ひ、織田殿既に逆臣の爲めに失はれ給ひぬ。斯ても猶輝元が、秀吉と好み結ばんこと、初より聞く所の如くにやあらん、今は又違ふことやあるべき、汝速に歸りて此由を語り、汝が主の思はん樣を急度承はりて來れ、其上にこそ返答に及ぶべけれとて歸さる。輝元諸將を集めて此事を詮議す。當家信長にこそ和睦せんと言けれ、秀吉が爲めにあらず、信長忽ち打たれしこと偏に當家の幸なり、一ト先本國に引返し、世の成り行き御覽候へかしと、皆一同に申けり。隆景之を聞き、隆景が存ずる所各々の議に同じからず、抑々本朝の兵革頻りに勤て爰に百餘年、天下の亂既に極まりぬ。

新字:○天正十年織田信長、羽柴秀吉をして備中の国に攻入り、高松城を攻しむ。輝元、元春、隆景、数万騎を牽ゐ後援す。信長の軍勢、又雲霞の如く攻め下ると聞えしかば、毛利の人々相議し、備中、備後、伯耆三ケ国を信長に避け渡し、和睦すべしとて、秀吉の許に使を立てゝ、長く両家の好みを結ぶべき由を言送ること度々に及べり。斯る所に六月二日、信長、明智光秀が為めに失はれし由、秀吉の陣に聞ゆ。秀吉少しも包まず。毛利の使に向ひ、織田殿既に逆臣の為めに失はれ給ひぬ。斯ても猶輝元が、秀吉と好み結ばんこと、初より聞く所の如くにやあらん、今は又違ふことやあるべき、汝速に帰りて此由を語り、汝が主の思はん様を急度承はりて来れ、其上にこそ返答に及ぶべけれとて帰さる。輝元諸将を集めて此事を詮議す。当家信長にこそ和睦せんと言けれ、秀吉が為めにあらず、信長忽ち打たれしこと偏に当家の幸なり、一ト先本国に引返し、世の成り行き御覧候へかしと、皆一同に申けり。隆景之を聞き、隆景が存ずる所各々の議に同じからず、抑々本朝の兵革頻りに勤て爰に百余年、天下の乱既に極まりぬ。

書き下し

○天正十年織田信長、羽柴秀吉をして備中の國に攻入り、高松城を攻しむ。輝元、元春、隆景、數萬騎を牽ゐ後援す。信長の軍勢、又雲霞の如く攻め下ると聞えしかば、毛利の人々相議し、備中、備後、伯耆三ケ國を信長に避け渡し、和睦すべしとて、秀吉の許に使を立てゝ、長く兩家の好みを結ぶべき由を言送ること度々に及べり。斯る所に六月二日、信長、明智光秀が爲めに失はれし由、秀吉の陣に聞ゆ。秀吉少しも包まず。毛利の使に向ひ、織田殿既に逆臣の爲めに失はれ給ひぬ。斯ても猶輝元が、秀吉と好み結ばんこと、初より聞く所の如くにやあらん、今は又違ふことやあるべき、汝速に歸りて此由を語り、汝が主の思はん樣を急度承はりて來れ、其上にこそ返答に及ぶべけれとて歸さる。輝元諸將を集めて此事を詮議す。當家信長にこそ和睦せんと言けれ、秀吉が爲めにあらず、信長忽ち打たれしこと偏に當家の幸なり、一ト先本國に引返し、世の成り行き御覽候へかしと、皆一同に申けり。隆景之を聞き、隆景が存ずる所各々の議に同じからず、抑々本朝の兵革頻りに勤て爰に百餘年、天下の亂既に極まりぬ。

現代語訳

○天正十年、織田信長は羽柴秀吉に備中国へ攻め入らせ、高松城を攻めさせました。輝元、元春、隆景は数万騎を率いて後援しました。信長の軍勢が、また雲霞のように攻め下ると聞こえたので、毛利の人々は相談し、備中、備後、伯耆の三か国を信長に譲り渡して和睦しようと、秀吉のもとへ使いを立てて、長く両家の好みを結びたいと言い送ることが度重なりました。そうしているところへ、六月二日、信長が明智光秀に討たれたという知らせが、秀吉の陣に聞こえました。秀吉は少しも隠さず、毛利の使いに向かって言いました。織田殿はすでに逆臣のために討たれなさった。それでもなお輝元が秀吉と好みを結ぶというのは、初めから聞いているとおりであろうか。今になって違うことがあるだろうか。そなたは速やかに帰って、この旨を語り、そなたの主がどう思うか、きっと承って来い。そのうえで返答しよう、と言って帰されました。輝元は諸将を集めてこのことを評議しました。当家は信長と和睦しようとしたのであって、秀吉のためではない。信長がたちまち討たれたのはひとえに当家の幸いである。いったん本国へ引き返して、世の成り行きをご覧になられよ、と皆が一同に申しました。隆景はこれを聞いて、私の考えは皆さんの議論と同じではありません。そもそも日本国は兵乱がたびたび起こって百余年、天下の乱はすでに極まりました。

解説

本能寺の変の知らせを、秀吉が隠さず毛利の使者に伝えたという場面です。諸将は信長の死を毛利の幸いと見て、本国へ引き返して様子を見ようと言います。そこで隆景だけが、別の見立てを述べ始めます。この章句の時点では隆景の論はまだ途中ですが、情報を隠さない秀吉の態度が、後の判断の材料になっていると読めます。目先の有利不利に飛びつくか、世の流れを見て誰と組むかを考えるか、岐路に立つのは企業の提携判断にも似ます。逸話として語られた会話であり、細部の確証はありません。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。

本の中身を見る

この章句が説くこと

小早川隆景本能寺秀吉和睦評議情報

関連する章句

本2冊(人生の方程式・人生の教科書)+師導1か月=700円本を見る