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名将言行録 / 『名将言行録』毛利元就 偽の内通状で重臣を除く

○元就、義隆の爲めに、陶晴賢を討んと思ひしが、江良丹後守信俊があらん限りは、功を成難しと思ひ、謀を運らし、信俊、晴賢が主君義隆を弑する事、大逆無道と甚だ之を誹謗し、晴賢が行迹萬事に付て疎み果て、今は元就に志を合せ、晴賢を除くべき謀を運らす由を言はせけり。晴賢傳へ聞き頗る不審に思ひし所に、信俊之を知らず、屢と晴賢を諫けり。晴賢元來諫を拒む癖あれば、却て信俊が心の底を疑ふ思ひあり。元就因て信俊が元就に內通の書を作りて、山口の傍に落し置きけり。晴賢見ると等く、大に怒り何の思慮もなく、信俊を族滅し遂に防、長、豐、筑、の兵を率ゐ、來攻せんとす。元就之を聞き諸子を聚め密に謀りけるは、晴賢近き內に、當國へ攻來るべし、定めて二萬五千か、三萬たるべし、必ず初めに櫻尾、草津を攻ん、我兵を悉して、之を救はんに、五千にはよも過ぎじ、勢力懸絶せり、之と平地に戰ふとも勝つこと難かるべし、今其計を爲すに、嚴島に城を築て、以て敵を誘引し一戰に之を打敗らんには如かじと、內議して弘治元年、島の有浦に城を築く。諸宿將等皆諫む、元就聽かず。諸將曰く、殿には常に諫を拒まざるに、今之を拒まるゝこと如何なる仔細にや、と皆人不審せり。六月城成り、己斐豐後守、新里掃部助に命じ、兵數百を以て之を守らしめ草津、櫻尾、仁保島等の諸城互に應援を爲さしむ。

新字:○元就、義隆の為めに、陶晴賢を討んと思ひしが、江良丹後守信俊があらん限りは、功を成難しと思ひ、謀を運らし、信俊、晴賢が主君義隆を弑する事、大逆無道と甚だ之を誹謗し、晴賢が行迹万事に付て疎み果て、今は元就に志を合せ、晴賢を除くべき謀を運らす由を言はせけり。晴賢伝へ聞き頗る不審に思ひし所に、信俊之を知らず、屡と晴賢を諫けり。晴賢元来諫を拒む癖あれば、却て信俊が心の底を疑ふ思ひあり。元就因て信俊が元就に内通の書を作りて、山口の傍に落し置きけり。晴賢見ると等く、大に怒り何の思慮もなく、信俊を族滅し遂に防、長、豊、筑、の兵を率ゐ、来攻せんとす。元就之を聞き諸子を聚め密に謀りけるは、晴賢近き内に、当国へ攻来るべし、定めて二万五千か、三万たるべし、必ず初めに桜尾、草津を攻ん、我兵を悉して、之を救はんに、五千にはよも過ぎじ、勢力懸絶せり、之と平地に戦ふとも勝つこと難かるべし、今其計を為すに、厳島に城を築て、以て敵を誘引し一戦に之を打敗らんには如かじと、内議して弘治元年、島の有浦に城を築く。諸宿将等皆諫む、元就聴かず。諸将曰く、殿には常に諫を拒まざるに、今之を拒まるゝこと如何なる仔細にや、と皆人不審せり。六月城成り、己斐豊後守、新里掃部助に命じ、兵数百を以て之を守らしめ草津、桜尾、仁保島等の諸城互に応援を為さしむ。

書き下し

○元就、義隆の爲めに、陶晴賢を討んと思ひしが、江良丹後守信俊があらん限りは、功を成難しと思ひ、謀を運らし、信俊、晴賢が主君義隆を弑する事、大逆無道と甚だ之を誹謗し、晴賢が行迹萬事に付て疎み果て、今は元就に志を合せ、晴賢を除くべき謀を運らす由を言はせけり。晴賢傳へ聞き頗る不審に思ひし所に、信俊之を知らず、屢と晴賢を諫けり。晴賢元來諫を拒む癖あれば、却て信俊が心の底を疑ふ思ひあり。元就因て信俊が元就に內通の書を作りて、山口の傍に落し置きけり。晴賢見ると等く、大に怒り何の思慮もなく、信俊を族滅し遂に防、長、豐、筑、の兵を率ゐ、來攻せんとす。元就之を聞き諸子を聚め密に謀りけるは、晴賢近き內に、當國へ攻來るべし、定めて二萬五千か、三萬たるべし、必ず初めに櫻尾、草津を攻ん、我兵を悉して、之を救はんに、五千にはよも過ぎじ、勢力懸絶せり、之と平地に戰ふとも勝つこと難かるべし、今其計を爲すに、嚴島に城を築て、以て敵を誘引し一戰に之を打敗らんには如かじと、內議して弘治元年、島の有浦に城を築く。諸宿將等皆諫む、元就聽かず。諸將曰く、殿には常に諫を拒まざるに、今之を拒まるゝこと如何なる仔細にや、と皆人不審せり。六月城成り、己斐豐後守、新里掃部助に命じ、兵數百を以て之を守らしめ草津、櫻尾、仁保島等の諸城互に應援を爲さしむ。

現代語訳

元就は大内義隆のために陶晴賢を討とうと考えましたが、江良丹後守信俊がいるかぎり成功は難しいと見て、策をめぐらせました。信俊が、晴賢は主君義隆を殺した大逆無道の者だと厳しくそしり、晴賢の行いをすべて嫌い、いまは元就に志を合わせて晴賢を除こうとしている、という噂を流させたのです。晴賢はそれを伝え聞いてたいへん不審に思いましたが、信俊は噂を知らず、たびたび晴賢を諫めました。晴賢はもともと諫めを拒む癖があったので、かえって信俊の心の底を疑うようになりました。そこで元就は、信俊が元就に内通した書状を作り、山口のそばに落としておきました。晴賢はこれを見るなり大いに怒り、何の思慮もなく信俊の一族を滅ぼし、ついに周防・長門・豊前・筑前の兵を率いて攻めてこようとしました。元就はこれを聞き、子たちを集めて密かに相談しました。晴賢は近いうちにこの国へ攻めてくるだろう。きっと二万五千か三万にはなる。最初に桜尾と草津を攻めるに違いない。我が軍が全力で救っても五千を超えることはまずなく、勢力の差は大きく、平地で戦っても勝つのは難しい。いまの策としては、厳島に城を築いて敵をおびき寄せ、一戦で打ち破るのが最善だ、と内々に決め、弘治元年、島の有浦に城を築きました。古参の諸将はみな諫めましたが、元就は聞き入れませんでした。諸将は、殿はふだん諫めを拒まれないのに、今回はお拒みになるのはどういうわけか、と皆が不審に思いました。六月に城が完成すると、己斐豊後守と新里掃部助に命じ、兵数百でこれを守らせ、草津・桜尾・仁保島などの諸城が互いに応援するようにさせました。

解説

毛利元就が、のちに厳島の戦いと呼ばれる決戦の前に仕掛けた、離間の策の逸話です。敵の有力な家臣が味方に内通しているという偽の書状を作り、疑い深い主君に自ら手を下させたと伝わります。岡谷繁実が諸書から集めた話で、この話の核は、相手の組織の信頼関係の弱いところを突き、戦う前に勝てる形を整える点にあります。晴賢が諫言を嫌う性格であったことが、策の効く土壌になっています。現代でも、耳の痛い意見を遠ざける上司のもとでは、有能な人材が疑われて去るという形で力が削がれます。自分は諫めを受けられているか、と振り返る材料になります。
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この章句が説くこと

離間の策諫言情報戦勢力差厳島事前の布石

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