名将言行録 / 『名将言行録』毛利元就 暴風雨の夜の渡海
寄手に鳥銃六七挺あり、櫓楯支へず、土豚を積み之を拒けり。晴賢使者を元就に遣はして曰く、公先大貳の爲めに此入道を討るべきとの結構、尤も神妙の至なり。故に敢て逃避せず、聊か水陸の軍三萬を以て嚴島に陣せり、彼地に於て有無の一戰を遂んと。元就將士を聚めて、之を披露す。將士皆懼るゝ色あり。元就笑て曰く、彼の言ふ所をして信ならしめば、吾必ず大に克んと。衆其故を問ふ。元就曰く、彼地追狹、彼肩を側て、足を蹶し進退に便ならず、兵愈々衆くして鋒愈々鈍し、我死士數千を以て之を衝かば、克んこと必せりと。乃ち宍戶安藝守隆家をして吉田を留守せしめ、自ら精兵三千餘人を牽るて草津に至り、晴賢と海を隔て陣す。國內の諸豪其必敗せんことを怖れ、多くは病と稱して從はず。初め伊豫に能島、來島の二族あり、水戰に嫺へり。晴賢、元就並に之を招く。二族三百艘を以て來り元就に屬す。元就之を勞し、往て城中の消息を問はしむ。敵四方に地道を穿ち、樓櫓殆んど覆らんとするを、大衆を以て之を維持せり。元就移り大立山に陣す。晦日多く老弱輜重を草津に返し、纍々として絶えず。敵望み見て以て我兵を引揚ると思へり。是に於て元就諸士をして、相印には、二つ卷ト襷掛け三日の糧を佩ばしめ、相詞を約し、暮る比船に乘る。時に大風雨に會ふ。士卒震怖し、風の定まるを待んと請ふ。元就曰く、天我を助くるなりと。皆篝火を滅さしめ、一燈を本船に揚ぐ、諸軍之を認め、浪を破て渡れり。頃て裹浦に着せしが、雨頻りに降りければ、兒玉周防守傍より傘を指掛けたり。元就拳を以て傘の柄をしたゝかに打てば、傘は彼處に飛んでけり。旣に濟り舟を北岸に返して以て必死を示す。遂に博奕尾に上り、地名を問ふ、博奕尾と答へければ、元就喜び首途に博奕尾に上ること、早や打勝べき先表なりと言ひ直ぐに塔岡の背に出づ。小早川隆景別に伊豫の船兵を率ゐて、其面に出づ。敵風雨を恃み警邏する者なし。敵艦を穿ちて入る。
新字:寄手に鳥銃六七挺あり、櫓楯支へず、土豚を積み之を拒けり。晴賢使者を元就に遣はして曰く、公先大貳の為めに此入道を討るべきとの結構、尤も神妙の至なり。故に敢て逃避せず、聊か水陸の軍三万を以て厳島に陣せり、彼地に於て有無の一戦を遂んと。元就将士を聚めて、之を披露す。将士皆懼るゝ色あり。元就笑て曰く、彼の言ふ所をして信ならしめば、吾必ず大に克んと。衆其故を問ふ。元就曰く、彼地追狭、彼肩を側て、足を蹶し進退に便ならず、兵愈々衆くして鋒愈々鈍し、我死士数千を以て之を衝かば、克んこと必せりと。乃ち宍戸安芸守隆家をして吉田を留守せしめ、自ら精兵三千余人を牽るて草津に至り、晴賢と海を隔て陣す。国内の諸豪其必敗せんことを怖れ、多くは病と称して従はず。初め伊予に能島、来島の二族あり、水戦に嫺へり。晴賢、元就並に之を招く。二族三百艘を以て来り元就に属す。元就之を労し、往て城中の消息を問はしむ。敵四方に地道を穿ち、楼櫓殆んど覆らんとするを、大衆を以て之を維持せり。元就移り大立山に陣す。晦日多く老弱輜重を草津に返し、纍々として絶えず。敵望み見て以て我兵を引揚ると思へり。是に於て元就諸士をして、相印には、二つ巻ト襷掛け三日の糧を佩ばしめ、相詞を約し、暮る比船に乗る。時に大風雨に会ふ。士卒震怖し、風の定まるを待んと請ふ。元就曰く、天我を助くるなりと。皆篝火を滅さしめ、一灯を本船に揚ぐ、諸軍之を認め、浪を破て渡れり。頃て裹浦に着せしが、雨頻りに降りければ、児玉周防守傍より傘を指掛けたり。元就拳を以て傘の柄をしたゝかに打てば、傘は彼処に飛んでけり。既に済り舟を北岸に返して以て必死を示す。遂に博奕尾に上り、地名を問ふ、博奕尾と答へければ、元就喜び首途に博奕尾に上ること、早や打勝べき先表なりと言ひ直ぐに塔岡の背に出づ。小早川隆景別に伊予の船兵を率ゐて、其面に出づ。敵風雨を恃み警邏する者なし。敵艦を穿ちて入る。
書き下し
寄手に鳥銃六七挺あり、櫓楯支へず、土豚を積み之を拒けり。晴賢使者を元就に遣はして曰く、公先大貳の爲めに此入道を討るべきとの結構、尤も神妙の至なり。故に敢て逃避せず、聊か水陸の軍三萬を以て嚴島に陣せり、彼地に於て有無の一戰を遂んと。元就將士を聚めて、之を披露す。將士皆懼るゝ色あり。元就笑て曰く、彼の言ふ所をして信ならしめば、吾必ず大に克んと。衆其故を問ふ。元就曰く、彼地追狹、彼肩を側て、足を蹶し進退に便ならず、兵愈々衆くして鋒愈々鈍し、我死士數千を以て之を衝かば、克んこと必せりと。乃ち宍戶安藝守隆家をして吉田を留守せしめ、自ら精兵三千餘人を牽るて草津に至り、晴賢と海を隔て陣す。國內の諸豪其必敗せんことを怖れ、多くは病と稱して從はず。初め伊豫に能島、來島の二族あり、水戰に嫺へり。晴賢、元就並に之を招く。二族三百艘を以て來り元就に屬す。元就之を勞し、往て城中の消息を問はしむ。敵四方に地道を穿ち、樓櫓殆んど覆らんとするを、大衆を以て之を維持せり。元就移り大立山に陣す。晦日多く老弱輜重を草津に返し、纍々として絶えず。敵望み見て以て我兵を引揚ると思へり。是に於て元就諸士をして、相印には、二つ卷ト襷掛け三日の糧を佩ばしめ、相詞を約し、暮る比船に乘る。時に大風雨に會ふ。士卒震怖し、風の定まるを待んと請ふ。元就曰く、天我を助くるなりと。皆篝火を滅さしめ、一燈を本船に揚ぐ、諸軍之を認め、浪を破て渡れり。頃て裹浦に着せしが、雨頻りに降りければ、兒玉周防守傍より傘を指掛けたり。元就拳を以て傘の柄をしたゝかに打てば、傘は彼處に飛んでけり。旣に濟り舟を北岸に返して以て必死を示す。遂に博奕尾に上り、地名を問ふ、博奕尾と答へければ、元就喜び首途に博奕尾に上ること、早や打勝べき先表なりと言ひ直ぐに塔岡の背に出づ。小早川隆景別に伊豫の船兵を率ゐて、其面に出づ。敵風雨を恃み警邏する者なし。敵艦を穿ちて入る。
現代語訳
攻め手には鉄砲が六、七挺あり、櫓や楯では支えきれず、土嚢を積んでこれを防ぎました。晴賢は使者を元就に送って言いました。あなたが先の大内大弐のためにこの入道を討とうと企てられたことは、まことに殊勝なことです。それゆえ私は逃げ隠れせず、水陸の軍三万をもって厳島に陣を取りました。かの地で雌雄を決する一戦をいたしましょう。元就は将兵を集めてこれを披露しました。将兵はみな恐れる様子でした。元就は笑って言いました。あの者の言うことが事実であるなら、私は必ず大勝するだろう、と。人々がその理由を尋ねると、元就は言いました。あの地は狭く、敵は肩を横にして足をつまずき、進退に不便だ。兵が多いほど、かえって鋭さが鈍る。我が決死の兵数千でこれを衝けば、勝つことは確実だ、と。そこで宍戸安芸守隆家に吉田の留守を命じ、自ら精兵三千余人を率いて草津に着き、晴賢と海を隔てて陣を取りました。国内の諸豪は元就が必ず敗れるだろうと恐れ、多くは病と称して従いませんでした。はじめ、伊予に能島・来島の二族があり、水軍に巧みでした。晴賢も元就もこれを招きました。二族は三百艘で来て元就に属しました。元就はこれをねぎらい、城中の様子を探らせました。敵は四方に地下道を掘り、櫓がほとんど倒れそうになるのを、大勢で支えていました。元就は陣を大立山に移しました。晦日には老人や弱い者、輜重を草津に返し、その列は絶えませんでした。敵はこれを望み見て、我が軍が引き揚げるのだと思いました。そこで元就は兵に、二つ巻きと襷掛けの印をつけさせ、三日分の食糧を身につけさせ、合言葉を決め、夕暮れに船に乗せました。そのとき大風雨にあいました。兵たちは恐れおののき、風の収まるのを待ちたいと願いました。元就は、天が我を助けるのだ、と言いました。みな篝火を消させ、一つの灯りだけを本船に掲げさせると、諸軍はこれを目印にし、波を破って渡りました。まもなく包ヶ浦に着きましたが、雨が激しく降っていたので、児玉周防守が傍らから傘を差しかけました。元就は拳で傘の柄を強く打ち、傘は彼方へ飛んでいきました。すでに渡りおえると、船を北岸に返して必死の覚悟を示しました。ついに博奕尾に登り、地名を尋ねると、博奕尾と答えたので、元就は喜び、門出に博奕尾に登るのは、早くも勝つ前兆だ、と言い直ちに塔の岡の背後に出ました。小早川隆景は別に伊予の水軍を率いて、その正面に出ました。敵は風雨を頼みにして見張る者もいません。味方の船は敵艦の間を縫って入りました。
解説

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