名将言行録 / 『名将言行録』毛利元就 船を借りる言葉の力
敵或は之を咎む。浦兵部丞宗勝、大聲にて、筑前の兵徴に應じて來ると言ひければ、船を辟け通せり。稍々岸に上り兩隊皆陣せり。天將に明んとす。元就命じ螺を吹き、鼓噪し高に乘じて下擊す。諸軍大に驚き、爭て其本營に集まる。營塡堙し、自ら相擊刺す。元就大に呼びて曰く、進め諸將士と躬ら柵を破て入る。敵兵終に大に潰ゆ。晴賢咄嗟走る者を止むれども止むること能はず、敵舟を爭ひ遁る。溺死する者數千人。晴賢肥大行步に便ならず、從者扶掖し、海岸に至り舟を求るに、一隻を見ず、遂に自殺す。元就其首を實檢し、首を洞雲寺に葬り嚴島に留まること十一日にして凱旋せり。 ○此役、晴賢、元就并に伊豫の河野に使を遣はして船を借る。晴賢は何となく借りたり、元就は只一日借し賜はれ、宮島に渡りて、則ち戻すべし、仔細は軍に克ち候へば、勿論船は入らず候、只宮島へ渡海の中計り借り申べくとありしかば、來島通康聞て一言なれど、思ひ入りたる所あり、毛利必ず勝べきこと、疑ふべからずとて、三百艘を借したりけり。
新字:敵或は之を咎む。浦兵部丞宗勝、大声にて、筑前の兵徴に応じて来ると言ひければ、船を辟け通せり。稍々岸に上り両隊皆陣せり。天将に明んとす。元就命じ螺を吹き、鼓噪し高に乗じて下撃す。諸軍大に驚き、争て其本営に集まる。営塡堙し、自ら相撃刺す。元就大に呼びて曰く、進め諸将士と躬ら柵を破て入る。敵兵終に大に潰ゆ。晴賢咄嗟走る者を止むれども止むること能はず、敵舟を争ひ遁る。溺死する者数千人。晴賢肥大行歩に便ならず、従者扶掖し、海岸に至り舟を求るに、一隻を見ず、遂に自殺す。元就其首を実検し、首を洞雲寺に葬り厳島に留まること十一日にして凱旋せり。 ○此役、晴賢、元就并に伊予の河野に使を遣はして船を借る。晴賢は何となく借りたり、元就は只一日借し賜はれ、宮島に渡りて、則ち戻すべし、仔細は軍に克ち候へば、勿論船は入らず候、只宮島へ渡海の中計り借り申べくとありしかば、来島通康聞て一言なれど、思ひ入りたる所あり、毛利必ず勝べきこと、疑ふべからずとて、三百艘を借したりけり。
書き下し
敵或は之を咎む。浦兵部丞宗勝、大聲にて、筑前の兵徴に應じて來ると言ひければ、船を辟け通せり。稍々岸に上り兩隊皆陣せり。天將に明んとす。元就命じ螺を吹き、鼓噪し高に乘じて下擊す。諸軍大に驚き、爭て其本營に集まる。營塡堙し、自ら相擊刺す。元就大に呼びて曰く、進め諸將士と躬ら柵を破て入る。敵兵終に大に潰ゆ。晴賢咄嗟走る者を止むれども止むること能はず、敵舟を爭ひ遁る。溺死する者數千人。晴賢肥大行步に便ならず、從者扶掖し、海岸に至り舟を求るに、一隻を見ず、遂に自殺す。元就其首を實檢し、首を洞雲寺に葬り嚴島に留まること十一日にして凱旋せり。 ○此役、晴賢、元就并に伊豫の河野に使を遣はして船を借る。晴賢は何となく借りたり、元就は只一日借し賜はれ、宮島に渡りて、則ち戻すべし、仔細は軍に克ち候へば、勿論船は入らず候、只宮島へ渡海の中計り借り申べくとありしかば、來島通康聞て一言なれど、思ひ入りたる所あり、毛利必ず勝べきこと、疑ふべからずとて、三百艘を借したりけり。
現代語訳
敵は、あるいはこれをとがめました。浦兵部丞宗勝は大声で、筑前の兵が召しに応じて来たのだ、と言ったので、船は道を開けて通しました。やがて岸に上がり、両隊ともに陣を取りました。夜が明けようとするころ、元就は命じて法螺貝を吹かせ、鬨の声をあげ、高所から下って攻めました。諸軍は大いに驚き、争って本営に集まりました。陣営はごった返し、自ら互いに突き刺し合いました。元就は大声で、進め、と叫び、諸将士とともに自ら柵を破って入りました。敵兵はついに大いに崩れました。晴賢は走る者を止めようとしましたが止められず、敵は舟を争って逃げました。溺れ死ぬ者は数千人でした。晴賢は肥え太って歩行に不便で、従者が脇を抱えて海岸に至り、舟を求めましたが、一艘も見えず、ついに自害しました。元就はその首を実検し、洞雲寺に葬り、厳島に留まること十一日にして凱旋しました。 ○この戦いのとき、晴賢も元就も、伊予の河野に使者を送って船を借りようとしました。晴賢は何ということなく借りようとしました。元就は、ただ一日お貸しください、宮島に渡ったらすぐにお返しします、仔細は、戦に勝てばもちろん船は要らなくなります、ただ宮島へ渡海する間だけ借りたいのです、と言いました。来島通康は聞いて、一言ではあるが思い入れるところがあり、毛利が必ず勝つことは疑いない、と言って、三百艘を貸したということです。
解説

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