名将言行録 / 『名将言行録』吉川元春 橋を引き悠然と構える
斯る多勢の强敵に逢てこそ、吾日頃の武勇をば潤色せめとて、莞爾と笑て立たりけるが、頓て橋津川の橋を引き、隱岐隱岐守清家等が乘來る船を悉く陸へ引上け、櫓櫂を打碎き、自ら走路を絶し、氣色快然たり。三澤三郎左衞門爲虎、益田越中守藤包、三刀屋彈正左衞門久祐等、打寄り、敵鳥取、丸山を陷れ、勝誇りたる大軍にて、剩へ山上へ陣し、味方は城を落され、勇氣後れたる小勢、然も山下に陣取りたり、然らば勝敗は論ぜずして知れたれば、先づ來銃を避け、重ねて隆景と勢を合はせ、戰を遂け給ふ樣に申べくと私議して、藤包を先に立て本陣へ馳參し、顏色を見て諍むべしと思ひし所に、元春淺黄の袴長く著なし、悠然たる體にて對面あり。四方山の物語、心靜にしけるが日も晩ぬ、晩炊出し候へとある所に、鮭を贈る者あり、頓て庖丁し酒波み替はしながら、元春曰く各ゝ我等は酒を暖め、寒苦を知らざるに、秀吉は山頭に吹曝され、さぞ寒からん、敵の艱苦を思へば、味方は安樂なりと、悠然として居たりければ、何れも言出すべき樣なくして退出しけり。夜更るに從ひ、雪彌と降り、寒風肌に徹す。元春明けなば、敵寄せ來るべき間、一戰に切崩すべしと、士卒に下知して湟を穿ち、芝土手を築き、柵を結び、突て出べき門二箇所明け、敵の來るべき道の雪、悉く掃はせ、明るを晩しと待居たり。秀吉は斯くとも知らで、敵小勢ならば、今夜必ず引退くべし、追掛けて打取らん、各油斷すなと觸傳へ、外聞物見暇なく出し、敵今や退くと待居たり。去れども馬野山の陣、寂寞として靜かなれば、秀吉を始め、何れも大膽不敵の元春哉と思はぬ者はなかりけり。雲伯の者共も、今夜はよも引くべしと思ひ、馬に秣ひ、鞍を置き、今や〱と待居たり。
新字:斯る多勢の強敵に逢てこそ、吾日頃の武勇をば潤色せめとて、莞爾と笑て立たりけるが、頓て橋津川の橋を引き、隠岐隠岐守清家等が乗来る船を悉く陸へ引上け、櫓櫂を打砕き、自ら走路を絶し、気色快然たり。三沢三郎左衛門為虎、益田越中守藤包、三刀屋弾正左衛門久祐等、打寄り、敵鳥取、丸山を陥れ、勝誇りたる大軍にて、剰へ山上へ陣し、味方は城を落され、勇気後れたる小勢、然も山下に陣取りたり、然らば勝敗は論ぜずして知れたれば、先づ来銃を避け、重ねて隆景と勢を合はせ、戦を遂け給ふ様に申べくと私議して、藤包を先に立て本陣へ馳参し、顔色を見て諍むべしと思ひし所に、元春浅黄の袴長く著なし、悠然たる体にて対面あり。四方山の物語、心静にしけるが日も晩ぬ、晩炊出し候へとある所に、鮭を贈る者あり、頓て庖丁し酒波み替はしながら、元春曰く各ゝ我等は酒を暖め、寒苦を知らざるに、秀吉は山頭に吹曝され、さぞ寒からん、敵の艱苦を思へば、味方は安楽なりと、悠然として居たりければ、何れも言出すべき様なくして退出しけり。夜更るに従ひ、雪弥と降り、寒風肌に徹す。元春明けなば、敵寄せ来るべき間、一戦に切崩すべしと、士卒に下知して湟を穿ち、芝土手を築き、柵を結び、突て出べき門二箇所明け、敵の来るべき道の雪、悉く掃はせ、明るを晩しと待居たり。秀吉は斯くとも知らで、敵小勢ならば、今夜必ず引退くべし、追掛けて打取らん、各油断すなと触伝へ、外聞物見暇なく出し、敵今や退くと待居たり。去れども馬野山の陣、寂寞として静かなれば、秀吉を始め、何れも大胆不敵の元春哉と思はぬ者はなかりけり。雲伯の者共も、今夜はよも引くべしと思ひ、馬に秣ひ、鞍を置き、今や〱と待居たり。
書き下し
斯る多勢の强敵に逢てこそ、吾日頃の武勇をば潤色せめとて、莞爾と笑て立たりけるが、頓て橋津川の橋を引き、隱岐隱岐守清家等が乘來る船を悉く陸へ引上け、櫓櫂を打碎き、自ら走路を絶し、氣色快然たり。三澤三郎左衞門爲虎、益田越中守藤包、三刀屋彈正左衞門久祐等、打寄り、敵鳥取、丸山を陷れ、勝誇りたる大軍にて、剩へ山上へ陣し、味方は城を落され、勇氣後れたる小勢、然も山下に陣取りたり、然らば勝敗は論ぜずして知れたれば、先づ來銃を避け、重ねて隆景と勢を合はせ、戰を遂け給ふ樣に申べくと私議して、藤包を先に立て本陣へ馳參し、顏色を見て諍むべしと思ひし所に、元春淺黄の袴長く著なし、悠然たる體にて對面あり。四方山の物語、心靜にしけるが日も晩ぬ、晩炊出し候へとある所に、鮭を贈る者あり、頓て庖丁し酒波み替はしながら、元春曰く各ゝ我等は酒を暖め、寒苦を知らざるに、秀吉は山頭に吹曝され、さぞ寒からん、敵の艱苦を思へば、味方は安樂なりと、悠然として居たりければ、何れも言出すべき樣なくして退出しけり。夜更るに從ひ、雪彌と降り、寒風肌に徹す。元春明けなば、敵寄せ來るべき間、一戰に切崩すべしと、士卒に下知して湟を穿ち、芝土手を築き、柵を結び、突て出べき門二箇所明け、敵の來るべき道の雪、悉く掃はせ、明るを晩しと待居たり。秀吉は斯くとも知らで、敵小勢ならば、今夜必ず引退くべし、追掛けて打取らん、各油斷すなと觸傳へ、外聞物見暇なく出し、敵今や退くと待居たり。去れども馬野山の陣、寂寞として靜かなれば、秀吉を始め、何れも大膽不敵の元春哉と思はぬ者はなかりけり。雲伯の者共も、今夜はよも引くべしと思ひ、馬に秣ひ、鞍を置き、今や〱と待居たり。
現代語訳
元春はやがて橋津川の橋を引き落とし、隠岐隠岐守清家らが乗ってきた船をことごとく陸へ引き上げ、櫓や櫂を打ち砕いて、自分から逃げ道を断ち、気色は晴れやかでした。三沢三郎左衛門為虎、益田越中守藤包、三刀屋弾正左衛門久祐らが寄り集まって、こう私議しました。敵は鳥取、丸山を落として勝ちに乗る大軍で、しかも山の上に陣取っている。味方は城を落とされて勇気も後れた小勢で、しかも山の下に陣取っている。勝敗は論じなくても知れたことだ。まず敵の銃撃を避け、あらためて隆景殿と勢を合わせて戦いを遂げていただくように申し上げよう。藤包を先に立てて本陣へ駆けつけ、顔色を見て諫めようとしたところ、元春は浅黄の袴を長く着て、ゆったりした様子で対面しました。世間話をして心静かにしているうちに日も暮れ、夕食を出せと言うと、鮭を贈ってくる者がありました。さっそく庖丁を入れ、酒を酌み交わしながら元春は言いました。各々、われらは酒を温めて寒さの苦しみを知らないが、秀吉は山の頂で風に吹きさらされ、さぞ寒かろう。敵の苦労を思えば、味方は安楽なものだと、悠然としていたので、誰も言い出すことができず退出しました。夜が更けるにつれて雪はいよいよ降り、寒風は肌に徹しました。元春は、明日になれば敵が寄せてくるはずだから、一戦で切り崩そうと兵に命じ、堀を掘り、芝土手を築き、柵を結び、突いて出る門を二か所開け、敵の来る道の雪をすべて掃かせて、夜が明けるのを遅しと待っていました。秀吉はそうとも知らず、敵が小勢なら今夜必ず引き退くだろう、追いかけて討ち取ろう、各自油断するなと触れ回り、外へ見張りを絶え間なく出して、敵がいま退くかと待っていました。しかし馬野山の陣は寂として静かなので、秀吉をはじめ、大胆不敵な元春だと思わない者はいませんでした。雲伯(出雲・伯耆)の者たちも、今夜はきっと引くだろうと思い、馬に秣を与え、鞍を置いて、今か今かと待っていました。
解説

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