名将言行録 / 『名将言行録』毛利元就 遺言と束ねた矢
○元就終りに臨み、衆子を集めて曰く、汝等二代の衰へたる武勇を以て、天下に望みを掛くべからず、吾が武威を以て鑑とすべし、當家は中國、吉川は山陰、小早川は二筑、豐前を能く治め、三家鼎足の如く親むべしと。又子の數程に箭を取寄せ、是箭一本折れば、最も折り易し、然れども一つに束ぬれば折り難し、汝等之を鑒み、一和同心すべし、必ず乖くこと勿れと。隆景進み出て、何事も皆欲より生じ候、欲を棄て義を守らば、兄弟親族不和と云ふことあるべからず、と申ければ、元就大に喜び、隆景が言を忘るゝこと勿れと誡めけり。輝元、又益を請ふ。元就汝兩人の叔父を見ること猶我が如くせよ、必ず違ふこと無くんば、卽ち以我業を守るべしと言て遂に卒せり。 ○大內左京太夫義興、嘗て元就を稱して曰く、彼は楠木正成一般の將なり、正成が再誕なるべしと。
新字:○元就終りに臨み、衆子を集めて曰く、汝等二代の衰へたる武勇を以て、天下に望みを掛くべからず、吾が武威を以て鑑とすべし、当家は中国、吉川は山陰、小早川は二筑、豊前を能く治め、三家鼎足の如く親むべしと。又子の数程に箭を取寄せ、是箭一本折れば、最も折り易し、然れども一つに束ぬれば折り難し、汝等之を鑒み、一和同心すべし、必ず乖くこと勿れと。隆景進み出て、何事も皆欲より生じ候、欲を棄て義を守らば、兄弟親族不和と云ふことあるべからず、と申ければ、元就大に喜び、隆景が言を忘るゝこと勿れと誡めけり。輝元、又益を請ふ。元就汝両人の叔父を見ること猶我が如くせよ、必ず違ふこと無くんば、即ち以我業を守るべしと言て遂に卒せり。 ○大内左京太夫義興、嘗て元就を称して曰く、彼は楠木正成一般の将なり、正成が再誕なるべしと。
書き下し
○元就終りに臨み、衆子を集めて曰く、汝等二代の衰へたる武勇を以て、天下に望みを掛くべからず、吾が武威を以て鑑とすべし、當家は中國、吉川は山陰、小早川は二筑、豐前を能く治め、三家鼎足の如く親むべしと。又子の數程に箭を取寄せ、是箭一本折れば、最も折り易し、然れども一つに束ぬれば折り難し、汝等之を鑒み、一和同心すべし、必ず乖くこと勿れと。隆景進み出て、何事も皆欲より生じ候、欲を棄て義を守らば、兄弟親族不和と云ふことあるべからず、と申ければ、元就大に喜び、隆景が言を忘るゝこと勿れと誡めけり。輝元、又益を請ふ。元就汝兩人の叔父を見ること猶我が如くせよ、必ず違ふこと無くんば、卽ち以我業を守るべしと言て遂に卒せり。 ○大內左京太夫義興、嘗て元就を稱して曰く、彼は楠木正成一般の將なり、正成が再誕なるべしと。
現代語訳
○元就は臨終にあたり、子たちを集めて言いました。お前たち二代は、衰えた武勇で天下に望みをかけてはならない、私の武威を鑑とせよ。当家は中国、吉川は山陰、小早川は二筑と豊前をよく治め、三家が鼎の足のように親しむがよい、と。また子の数ほどに矢を取り寄せ、この矢は一本ならいちばん折りやすい、しかし一つに束ねれば折りにくい。お前たちはこれを鑑みて、一和同心せよ、必ずそむいてはならない、と言いました。隆景は進み出て、何事もみな欲から生じます、欲を棄てて義を守れば、兄弟親族の不和ということはあり得ません、と申したので、元就は大いに喜び、隆景の言葉を忘れてはならないと戒めました。輝元はさらに教えを請いました。元就は、お前は二人の叔父を見ること私に対するようにせよ、必ずたがわなければ、すなわちわが業を守るだろう、と言って、ついに亡くなりました。 ○大内左京大夫義興は、かつて元就を称して言いました。彼は楠木正成と同じ類の将だ、正成の再誕であろう、と。
解説

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