武家家訓集 / 毛利元就三子教訓状三人の間にへだてがあれば三人とも滅亡する
一雖申事舊候、彌以申候、三人之半少にても、かけこへだてても候はと、たと〱三人御滅亡と可被思召候〱、餘之者には取分可替候、我等子孫と申候はん事は、別而諸人のにくまれを可蒙候間、あとさきにてこそ候へ、一人も人はもらし候まじく候〱、縱又かゝはり候ても、名をうしなひ候て、一人二人かゝはり候ては、何の用にすべく候哉、不能申候、
新字:一雖申事旧候、弥以申候、三人之半少にても、かけこへだてても候はと、たと〱三人御滅亡と可被思召候〱、余之者には取分可替候、我等子孫と申候はん事は、別而諸人のにくまれを可蒙候間、あとさきにてこそ候へ、一人も人はもらし候まじく候〱、縦又かゝはり候ても、名をうしなひ候て、一人二人かゝはり候ては、何の用にすべく候哉、不能申候、
書き下し
一雖申事舊候、彌以申候、三人之半少にても、かけこへだてても候はと、たと〱三人御滅亡と可被思召候〱、餘之者には取分可替候、我等子孫と申候はん事は、別而諸人のにくまれを可蒙候間、あとさきにてこそ候へ、一人も人はもらし候まじく候〱、縱又かゝはり候ても、名をうしなひ候て、一人二人かゝはり候ては、何の用にすべく候哉、不能申候、
現代語訳
申し古したことではあるが、いよいよ申す。三人のうち少しでも欠けたり隔てたりすることがあれば、たちまち三人とも滅亡すると思いなさい。他の者とは格別に違います。我ら子孫というだけで、とりわけ人々から憎まれることになるので、先のことも後のことも、一人たりとも人は漏らしてはならない。たとえ関わっても、名を失って一人二人が関わったところで、何の役に立つでしょうか。言うまでもないことである。
解説
この章句が説くこと
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論語・雍也篇子曰わく、伯牛に疾あり。子これを問う。牖にてその手を執りて曰く、亡びぬ、命なるかな!斯の人にして斯の疾有るかな、斯の人にして斯の疾有るかな!
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史記 魏世家宋の黄池を侵す。宋復た之を取る。十七年、秦と元裏に戦ひ、秦我が少梁を取る。趙の邯鄲を囲む。十八年、邯鄲を抜く。趙救ひを斉に請ふ。斉、田忌・孫臏をして趙を救はしめ、魏を桂陵に敗る。十九年、諸侯我が襄陵を囲む。長城を築き、固陽を塞ぐ。廿年、趙に邯鄲を帰し、与に漳水の上に盟ふ。廿一年、秦と彤に会す。趙の成侯卒す。廿八年、斉の威王卒す。中山君魏に相たり。卅年、魏趙を伐つ。趙急を斉に告ぐ。斉の宣王孫子の計を用ひ、趙を救ひて魏を撃つ。魏遂に大いに師を興し、龐涓をして将たらしめ、而して太子申をして上将軍と為らしむ。外黄を過る。外黄の徐子太子に謂ひて曰く、『臣に百戦百勝の術有り』と。太子曰く、『聞くことを得べきか』と。客曰く、『固より之を效さんことを願ふ』と。曰く、『太子自ら将として斉を攻め、大いに勝ちて莒を并すとも、則ち富は魏を有つに過ぎず、貴は王と為るに益さず。若し戦ひて斉に勝たずんば、則ち万世魏無からん。此れ臣の百戦百勝の術なり』と。太子曰く、『諾。請ふ必ず公の言に従ひて還らん』と。客曰く、『太子還らんと欲すと雖も、得ざらん。彼の太子に戦攻を勧めて、汁を啜らんと欲する者衆し。太子還らんと欲すと雖も、恐らくは得ざらん』と。太子因りて還らんと欲す。其の御曰く、『将として出でて還るは、北ぐると同じ』と。太子果たして斉人と戦ひ、馬陵に敗る。斉、魏の太子申を虜にし、将軍涓を殺し、軍遂に大いに破る。卅一年、秦・趙・斉共に我を伐つ。秦の将商君、我が将軍公子卬を詐りて其の軍を襲奪し、之を破る。秦商君を用ひ、東地河に至り、而して斉・趙数々我を破る。安邑秦に近し。是に於て徙りて大梁に治す。公子赫を以て太子と為す。卅三年、秦の孝公卒し、商君秦を亡げて魏に帰す。魏怒り、入れず。卅五年、斉の宣王と平阿の南に会す。恵王数々軍旅に被り、礼を卑くし幣を厚くして以て賢者を招く。
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