名将言行録 / 『名将言行録』毛利元就 諂う学者を退ける
○元就談話の時、儒臣法橋惠瓊、傍に在り、方今君の神武中國に輝き、萬民湯武の世に逢ひたると悅服致し居る由を申しければ、元就聞て湯武の世には汝が如き諛臣なし、是を以て之を見るに、我等湯武に及ばざることを知るなりと言はれけり。是より後阿諛迎合する者はなかりしとぞ。其後元就曰く、儒者は賴むに足らず、惠瓊が如き、只書のみ博覽にして戒愼を知らず、我等が美を讚揚し、我等に油斷を付ることは聖賢の世には有間敷ことなり。却て儒にして不智なる者は怖るべき者なり。既に祿を興ふれば其君を賢君の如く思ひ、諛言を吐き、或は暗愚の君の言行を著述して、笑を後世に殘す者少なからず、聖賢の書を讀みたる者なればとて、一槪に信ずべからざるものなりと。 ○元就、嘗て酒を飲み、柱に倚り天を仰ぎ愾然として歎じて曰く、智、萬人に勝れ、天下の治亂盛衰に心を用ふる者は、世に眞の友は一人もあるべからず、千載の上千載の下に、眞の友はあるべきなり。是人時を同うして生れなば、彼を害するか、彼に害せらるゝかの二つなり。若し二人志を同うして世を治んには、萬民安堵、四海太平と稱すること、又何の難きことか之あるべきと。
新字:○元就談話の時、儒臣法橋恵瓊、傍に在り、方今君の神武中国に輝き、万民湯武の世に逢ひたると悦服致し居る由を申しければ、元就聞て湯武の世には汝が如き諛臣なし、是を以て之を見るに、我等湯武に及ばざることを知るなりと言はれけり。是より後阿諛迎合する者はなかりしとぞ。其後元就曰く、儒者は頼むに足らず、恵瓊が如き、只書のみ博覧にして戒慎を知らず、我等が美を讃揚し、我等に油断を付ることは聖賢の世には有間敷ことなり。却て儒にして不智なる者は怖るべき者なり。既に禄を興ふれば其君を賢君の如く思ひ、諛言を吐き、或は暗愚の君の言行を著述して、笑を後世に残す者少なからず、聖賢の書を読みたる者なればとて、一槪に信ずべからざるものなりと。 ○元就、嘗て酒を飲み、柱に倚り天を仰ぎ愾然として嘆じて曰く、智、万人に勝れ、天下の治乱盛衰に心を用ふる者は、世に真の友は一人もあるべからず、千載の上千載の下に、真の友はあるべきなり。是人時を同うして生れなば、彼を害するか、彼に害せらるゝかの二つなり。若し二人志を同うして世を治んには、万民安堵、四海太平と称すること、又何の難きことか之あるべきと。
書き下し
○元就談話の時、儒臣法橋惠瓊、傍に在り、方今君の神武中國に輝き、萬民湯武の世に逢ひたると悅服致し居る由を申しければ、元就聞て湯武の世には汝が如き諛臣なし、是を以て之を見るに、我等湯武に及ばざることを知るなりと言はれけり。是より後阿諛迎合する者はなかりしとぞ。其後元就曰く、儒者は賴むに足らず、惠瓊が如き、只書のみ博覽にして戒愼を知らず、我等が美を讚揚し、我等に油斷を付ることは聖賢の世には有間敷ことなり。却て儒にして不智なる者は怖るべき者なり。既に祿を興ふれば其君を賢君の如く思ひ、諛言を吐き、或は暗愚の君の言行を著述して、笑を後世に殘す者少なからず、聖賢の書を讀みたる者なればとて、一槪に信ずべからざるものなりと。 ○元就、嘗て酒を飲み、柱に倚り天を仰ぎ愾然として歎じて曰く、智、萬人に勝れ、天下の治亂盛衰に心を用ふる者は、世に眞の友は一人もあるべからず、千載の上千載の下に、眞の友はあるべきなり。是人時を同うして生れなば、彼を害するか、彼に害せらるゝかの二つなり。若し二人志を同うして世を治んには、萬民安堵、四海太平と稱すること、又何の難きことか之あるべきと。
現代語訳
○元就が談話しているとき、儒臣の法橋恵瓊が傍らにいて、いま君の神武は中国に輝き、万民は湯王や武王の世に会ったと喜び服しておりますと申しました。元就は聞いて、湯武の世にはお前のような諂う臣はいない。これをもって見れば、我々は湯武に及ばないことを知るのだ、と言いました。これより後、阿諛迎合する者はいなくなったということです。その後、元就は言いました。儒者は頼むに足りない。恵瓊のように、ただ書物を博く読むばかりで戒め慎むことを知らず、我らの美点を讃え揚げ、我らに油断をつけることは、聖賢の世にはあるまじきことだ。かえって儒者でありながら智のない者は恐るべき者だ。すでに禄を与えられれば、その君を賢君のように思い、諂いの言葉を吐き、あるいは暗愚の君の言行を著述して笑いを後世に残す者が少なくない。聖賢の書を読んだ者だからといって、一概に信じてはならないのだ、と。 ○元就は以前、酒を飲み、柱に寄りかかり天を仰いで、嘆息して言いました。智が万人に勝れ、天下の治乱盛衰に心を用いる者は、世に真の友は一人もあるはずがない。千年前や千年後に、真の友はあるのだろう。この人と同時に生まれていたら、彼を害するか、彼に害されるかの二つだ。もし二人が志を同じくして世を治めたなら、万民は安堵し、四海は太平となるのに、何の難しいことがあろうか、と。
解説

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