名将言行録 / 『名将言行録』毛利元就 元旦の祝いの本義
○元就、每年正月元旦の早天に、盥漱し東に向て久く默座せり。或年近臣の栗屋彌次郎、元旦の御祝儀を召上らるべしと申けれども、兎角の返答なし。其後二度まで申ければ、元就其座を去り、彌次郎を呼出し、汝元旦を祝する故を知りたるやと尋ねければ、彌次郎知らざることなれば、唯畏伏して居たりけり。元就世の愚者は惠方を拜し、昆布勝栗にて屠蘇を汲み、壽命長久、子孫繁昌抔と祝して、更に遠慮なし、夫元旦は年の始、月の始、日の始なれば、寅の一天より起きて年中の事を慮るべし。譬ば去年を以て今年を慮るに、東國は五穀豐饒なれば民其所を得、不虞に干戈起るとも、糧に乏しからざるを慮り、西國は水旱の患ひあれば民に飢色ありて、安堵の思を爲さず、假令干戈の危きに臨まずとも、凶歲を救ふの術を慮り、又家臣へ布告すべき事件等、總じて國事に關係する事を慮り、事に臨み、上下共に措置顚倒せざる樣に遠慮するを、元旦の祝と言ものなり。去れば一年の計は春に在り、一月の計は朔に在り、一日の計は鷄鳴に在り、一生の計は勤に在りとぞ、敎諭せられけり。 ○元就技藝ある者と聞けば必ず召して之を試みしかども、然れども躬自ら耽嗜せず、每に左右に謂て曰く、小技を好むべからずと。又親く自書して曰く、技藝を嗜むこと勿れ、傲樂すること勿れ、逸豫すること勿れ、猥りに事を爲すこと勿れ、唯武略を調鍊し、愼みて遺失すること勿れと。
新字:○元就、毎年正月元旦の早天に、盥漱し東に向て久く黙座せり。或年近臣の栗屋弥次郎、元旦の御祝儀を召上らるべしと申けれども、兎角の返答なし。其後二度まで申ければ、元就其座を去り、弥次郎を呼出し、汝元旦を祝する故を知りたるやと尋ねければ、弥次郎知らざることなれば、唯畏伏して居たりけり。元就世の愚者は恵方を拝し、昆布勝栗にて屠蘇を汲み、寿命長久、子孫繁昌抔と祝して、更に遠慮なし、夫元旦は年の始、月の始、日の始なれば、寅の一天より起きて年中の事を慮るべし。譬ば去年を以て今年を慮るに、東国は五穀豊饒なれば民其所を得、不虞に干戈起るとも、糧に乏しからざるを慮り、西国は水旱の患ひあれば民に飢色ありて、安堵の思を為さず、仮令干戈の危きに臨まずとも、凶歳を救ふの術を慮り、又家臣へ布告すべき事件等、総じて国事に関係する事を慮り、事に臨み、上下共に措置顛倒せざる様に遠慮するを、元旦の祝と言ものなり。去れば一年の計は春に在り、一月の計は朔に在り、一日の計は鶏鳴に在り、一生の計は勤に在りとぞ、教諭せられけり。 ○元就技芸ある者と聞けば必ず召して之を試みしかども、然れども躬自ら耽嗜せず、毎に左右に謂て曰く、小技を好むべからずと。又親く自書して曰く、技芸を嗜むこと勿れ、傲楽すること勿れ、逸予すること勿れ、猥りに事を為すこと勿れ、唯武略を調錬し、慎みて遺失すること勿れと。
書き下し
○元就、每年正月元旦の早天に、盥漱し東に向て久く默座せり。或年近臣の栗屋彌次郎、元旦の御祝儀を召上らるべしと申けれども、兎角の返答なし。其後二度まで申ければ、元就其座を去り、彌次郎を呼出し、汝元旦を祝する故を知りたるやと尋ねければ、彌次郎知らざることなれば、唯畏伏して居たりけり。元就世の愚者は惠方を拜し、昆布勝栗にて屠蘇を汲み、壽命長久、子孫繁昌抔と祝して、更に遠慮なし、夫元旦は年の始、月の始、日の始なれば、寅の一天より起きて年中の事を慮るべし。譬ば去年を以て今年を慮るに、東國は五穀豐饒なれば民其所を得、不虞に干戈起るとも、糧に乏しからざるを慮り、西國は水旱の患ひあれば民に飢色ありて、安堵の思を爲さず、假令干戈の危きに臨まずとも、凶歲を救ふの術を慮り、又家臣へ布告すべき事件等、總じて國事に關係する事を慮り、事に臨み、上下共に措置顚倒せざる樣に遠慮するを、元旦の祝と言ものなり。去れば一年の計は春に在り、一月の計は朔に在り、一日の計は鷄鳴に在り、一生の計は勤に在りとぞ、敎諭せられけり。 ○元就技藝ある者と聞けば必ず召して之を試みしかども、然れども躬自ら耽嗜せず、每に左右に謂て曰く、小技を好むべからずと。又親く自書して曰く、技藝を嗜むこと勿れ、傲樂すること勿れ、逸豫すること勿れ、猥りに事を爲すこと勿れ、唯武略を調鍊し、愼みて遺失すること勿れと。
現代語訳
○元就は毎年正月元旦の早朝に、手を洗い口をすすぎ、東に向かって長く黙座していました。ある年、近臣の栗屋弥次郎が、元旦のお祝いの膳を召し上がってくださいと申しましたが、なかなか返事がありません。その後二度まで申すと、元就はその座を去り、弥次郎を呼び出して、お前は元旦を祝う理由を知っているか、と尋ねました。弥次郎は知らなかったので、ただ恐れ入って伏していました。元就は、世の愚か者は恵方を拝み、昆布や勝ち栗で屠蘇を汲み、寿命長久、子孫繁昌などと祝って、少しも遠慮することがない。そもそも元旦は年の始め、月の始め、日の始めであるから、寅の刻より起きて、一年中のことを思案するべきである。たとえば去年をもって今年を思案するのに、東国は五穀が豊かであれば、民はその所を得ており、思いがけず戦が起こっても糧に乏しくない、西国は水害や旱魃の患いがあれば、民に飢えの色があって安堵の思いがなく、たとえ戦の危機に臨まなくとも、凶作の年を救う術を思案し、また家臣へ布告すべき事件など、総じて国事に関することを思案し、事に臨んで上下ともに措置が顚倒しないように、遠慮して考えること、それを元旦の祝いというのだ。それゆえ一年の計は春にあり、一月の計は朔にあり、一日の計は鶏鳴にあり、一生の計は勤にあると教え諭しました。 ○元就は、技芸のある者と聞けば必ず召してこれを試しましたが、自らは耽り好むことはなく、いつも左右の者に、小技を好んではならないと言いました。また自ら書いて、技芸をたしなんではならない、傲り楽しんではならない、気ままに過ごしてはならない、みだりに事を行ってはならない、ただ武略を調え鍛え、慎んで遺失してはならない、と言いました。
解説

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