名将言行録 / 『名将言行録』山中幸盛 落とし穴で野に伏す賊を捕らえる
立入ることさへ許さぬ者に、粥にても飯にても饗することやある、疾く出でよ、出ずば爲す樣ありと言ふ儘に、庭の立石の五六尺許りもあるを、つと引起し、尻掛けて白眼み居たり、武者共初の勢に似もせず、鳴呼過てり免し給へ、餘りに強く勞れて庵室を見違ひてけり、去らばとて皆走り出で行方を知らず。老法師を初め喜ぶこと限なし。然るに其夜彼武者庵室の前後より、二た手に分れて押入りたり。幸盛は兼ねて斯くあるべし、と思ひ寐ずして居たりし程に、法師等をば一間の所に忍ばせ、我身は戸口の内の床板引放ち、込み入れば落る樣に構へて待居たれば、表より寄せし者、念なふ陷穽に込み落されて、足手をもがくをば見ぬ由にて、上に床板敷並べ壓を置き、偖裏手へ向て見れば窓の戸を引放ち、そこより入らんと構たり。幸盛之を見て窓の陰に副ひ身を潛め伺ひ居たり。寄手は斯くと知らず、小高き窓に手を打掛け延び上り飛び下る所へ、締を引掛けて傍の柱に縛り付け、都て六人まで生捕りぬ。又表へ立出で床板の壓を引退くると裏手へ廻はりし者の援け來りし樣にもてなしゝかば、床の下よりおめ〱と匍匐出るを、此方へ來よと言ふ儘に、締を頸へ引掛け八人皆搦捕て、偖一人々々之を糺問するに、此邊の野武士にて引剥强盜して世を渡る者なれば、一々に首を刎べけれども、庵室の佛も照覽座すに、情なく命を斷べきにあらずと思ひ返し、主の老法師に如何に爲すべきやと問へば、免し給へと手を摺て言ふ。
新字:立入ることさへ許さぬ者に、粥にても飯にても饗することやある、疾く出でよ、出ずば為す様ありと言ふ儘に、庭の立石の五六尺許りもあるを、つと引起し、尻掛けて白眼み居たり、武者共初の勢に似もせず、鳴呼過てり免し給へ、余りに強く労れて庵室を見違ひてけり、去らばとて皆走り出で行方を知らず。老法師を初め喜ぶこと限なし。然るに其夜彼武者庵室の前後より、二た手に分れて押入りたり。幸盛は兼ねて斯くあるべし、と思ひ寐ずして居たりし程に、法師等をば一間の所に忍ばせ、我身は戸口の内の床板引放ち、込み入れば落る様に構へて待居たれば、表より寄せし者、念なふ陥穽に込み落されて、足手をもがくをば見ぬ由にて、上に床板敷並べ圧を置き、偖裏手へ向て見れば窓の戸を引放ち、そこより入らんと構たり。幸盛之を見て窓の陰に副ひ身を潜め伺ひ居たり。寄手は斯くと知らず、小高き窓に手を打掛け延び上り飛び下る所へ、締を引掛けて傍の柱に縛り付け、都て六人まで生捕りぬ。又表へ立出で床板の圧を引退くると裏手へ廻はりし者の援け来りし様にもてなしゝかば、床の下よりおめ〱と匍匐出るを、此方へ来よと言ふ儘に、締を頸へ引掛け八人皆搦捕て、偖一人々々之を糺問するに、此辺の野武士にて引剥強盗して世を渡る者なれば、一々に首を刎べけれども、庵室の仏も照覧座すに、情なく命を断べきにあらずと思ひ返し、主の老法師に如何に為すべきやと問へば、免し給へと手を摺て言ふ。
書き下し
立入ることさへ許さぬ者に、粥にても飯にても饗することやある、疾く出でよ、出ずば爲す樣ありと言ふ儘に、庭の立石の五六尺許りもあるを、つと引起し、尻掛けて白眼み居たり、武者共初の勢に似もせず、鳴呼過てり免し給へ、餘りに強く勞れて庵室を見違ひてけり、去らばとて皆走り出で行方を知らず。老法師を初め喜ぶこと限なし。然るに其夜彼武者庵室の前後より、二た手に分れて押入りたり。幸盛は兼ねて斯くあるべし、と思ひ寐ずして居たりし程に、法師等をば一間の所に忍ばせ、我身は戸口の内の床板引放ち、込み入れば落る樣に構へて待居たれば、表より寄せし者、念なふ陷穽に込み落されて、足手をもがくをば見ぬ由にて、上に床板敷並べ壓を置き、偖裏手へ向て見れば窓の戸を引放ち、そこより入らんと構たり。幸盛之を見て窓の陰に副ひ身を潛め伺ひ居たり。寄手は斯くと知らず、小高き窓に手を打掛け延び上り飛び下る所へ、締を引掛けて傍の柱に縛り付け、都て六人まで生捕りぬ。又表へ立出で床板の壓を引退くると裏手へ廻はりし者の援け來りし樣にもてなしゝかば、床の下よりおめ〱と匍匐出るを、此方へ來よと言ふ儘に、締を頸へ引掛け八人皆搦捕て、偖一人々々之を糺問するに、此邊の野武士にて引剥强盜して世を渡る者なれば、一々に首を刎べけれども、庵室の佛も照覽座すに、情なく命を斷べきにあらずと思ひ返し、主の老法師に如何に爲すべきやと問へば、免し給へと手を摺て言ふ。
現代語訳
立ち入ることさえ許さぬ者に、粥でも飯でも饗することがあるか。早く出て行け。出て行かなければ考えがある」と言うなり、庭の立石で五、六尺ほどもあるものをぐいと引き起こし、尻を掛けてにらんでいた。武者たちは初めの勢いに似ず、「ああ、過ちでした、お許しください。あまりにひどく疲れて、庵室を見違えたのです」と言って、皆走り出て行方も知れなくなった。老法師をはじめ、喜ぶこと限りない。ところがその夜、あの武者たちが庵室の前後から二手に分かれて押し入った。幸盛は前もってこうあるだろうと思って寝ずにいたので、法師たちを一間に隠し、自分は戸口の内の床板を引き外し、踏み込めば落ちるように構えて待っていたところ、表から寄せた者は、思いがけず落とし穴に落とされ、手足をもがくのを見ない振りをして、上に床板を敷き並べて重しを置き、さて裏手へ向かって見ると、窓の戸を外し、そこから入ろうと構えている。幸盛はこれを見て窓の陰に寄り添い、身を潜めて様子をうかがっていた。寄せ手はそうと知らず、小高い窓に手を掛けて伸び上がり、飛び降りるところへ、縄を引っ掛けて傍らの柱に縛り付け、合わせて六人まで生け捕りにした。また表へ出て、床板の重しを取り除くと、裏手へ回った者が助けに来たかのように振る舞ったので、床の下からおめおめと這い出るのを、「こちらへ来い」と言うなり、縄を首に引っ掛け、八人みな搦め捕った。さて一人ずつ尋問すると、この辺りの野武士で、追剥・強盗をして世を渡る者であったので、一人残らず首を刎ねるべきだったが、庵室の仏もご照覧なさるのに、情けなく命を断つべきではないと思い直し、主の老法師に「どうすべきか」と尋ねると、「お許しください」と手をすって言った。
解説

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