講孟余話 / 離婁上 第九章
七年ノ病三年ノ艾ノ譬喩尤モ人口ニ膾炙ス、實ニ古今ノ格言ナリ、旣往ハ咎メスシテ可ナリ、來者ヲ以テ是ヲ論セン、夷虜ノ病ハ七年ヤ十年ノ病ニ非ス、數十百年ノ病ナリ、守備ノ艾ハ一日ハ一日ノ功アリ、十日ハ十日、百日ハ百日、一年ハ一年、三年ハ三年ノ功アリ、今日ヨリ艾ヲ取テ乾スヘシ、猶豫スルコトナカレ、又學業ノ事ニ就テ考へシ、人皆云フ余ヲシテ今十年ヲ早セシメハ何ノ業ヲ成サン何ノ藝ヲ修ント、是皆七年ノ病三年ノ艾ノ譬ナリ、即日ヨリ思立テ業ヲ始メ藝ヲ試ムヘシ、何ソ年ノ早晩ヲ論センヤ、諺ニ云ク思ヒ立ツタカ吉日ト、正ニ艾ヲ求ムルノ良術ナリ
新字:七年ノ病三年ノ艾ノ譬喩尤モ人口ニ膾炙ス、実ニ古今ノ格言ナリ、既往ハ咎メスシテ可ナリ、来者ヲ以テ是ヲ論セン、夷虜ノ病ハ七年ヤ十年ノ病ニ非ス、数十百年ノ病ナリ、守備ノ艾ハ一日ハ一日ノ功アリ、十日ハ十日、百日ハ百日、一年ハ一年、三年ハ三年ノ功アリ、今日ヨリ艾ヲ取テ乾スヘシ、猶予スルコトナカレ、又学業ノ事ニ就テ考へシ、人皆云フ余ヲシテ今十年ヲ早セシメハ何ノ業ヲ成サン何ノ芸ヲ修ント、是皆七年ノ病三年ノ艾ノ譬ナリ、即日ヨリ思立テ業ヲ始メ芸ヲ試ムヘシ、何ソ年ノ早晩ヲ論センヤ、諺ニ云ク思ヒ立ツタカ吉日ト、正ニ艾ヲ求ムルノ良術ナリ
書き下し
七年の病に三年の艾の譬喩、尤も人口に膾炙す。実に古今の格言なり。既往は咎めずして可なり、来者を以て是れを論ぜん。夷虜の病は七年や十年の病に非ず、数十百年の病なり。守備の艾は一日は一日の功あり、十日は十日、百日は百日、一年は一年、三年は三年の功あり。今日より艾を取りて乾すべし。猶予することなかれ。又学業の事に就きて考ふべし。人皆云ふ、余をして今十年を早からしめば、何の業を成さん、何の芸を修めんと。是れ皆七年の病に三年の艾の譬へなり。即日より思ひ立ちて業を始め芸を試むべし。何ぞ年の早晩を論ぜんや。諺に云ふ、思ひ立つたが吉日と。正に艾を求むるの良術なり。
現代語訳
七年患った病に、三年乾かしたもぐさを求めるという喩えは、最もよく人の口にのぼる。まことに古今の格言である。過ぎたことは咎めなくてよい。これからのことで論じよう。外国の脅威という病は、七年や十年の病ではなく、数十年、百年の病である。守りの備えというもぐさは、一日なら一日の、十日なら十日の、百日なら百日の、一年なら一年の、三年なら三年の効き目がある。今日からもぐさを取って乾かすべきだ。ぐずぐずしてはならない。また学業のことについても考えてみよ。人はみな、「自分があと十年早ければ、どんな事業を成し、どんな芸を修めただろう」と言う。これもみな、七年の病に三年のもぐさの喩えである。今日から思い立って事業を始め、芸を試みるべきだ。どうして年の早い遅いを論じることがあろうか。諺に「思い立ったが吉日」と言う。まさにもぐさを求める良い方法である。
解説
この章句が説くこと
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