名将言行録 / 『名将言行録』太田資正 敵の若者を助ける
同九年、安獨齋、僧長江を使として資正方へ申越しけるは、去々年父子自分人質に出で、身を捨て計策せし童父子が事、重罪の者なれば時日を移されず首を召されて候はんと存候所に、思ひの外未だ存生致し居候由承はり候、去りとては叶ひ難き申事に候へ共、童が僕は理を曲げて命を賜はり候へかし、年比召使たる其好みに申にては、努々之なく候、彼の者年の程には比類なき健氣の者に候、古語にも後生可レ畏と申傳へて候へ、左候へば助け置き行末の器量をも見申度存ずるなり。御赦免に於ては安獨齋、生前の望み之に過ぎ候はずとなり。資正之を聞て嘸ぞあらん、此童去々年十六歳の程にも似ぬ振舞、實に後生可レ畏の理はり義に當れり、只生けて返すべしとて、父子の者を獄舎より出し使僧に之を渡せり。安獨齋、感悦大方ならず、甥の上田主計を以て、幣禮を厚くして之を謝す。是より松山衆下屋に働く事なかりしとぞ。
新字:同九年、安独斎、僧長江を使として資正方へ申越しけるは、去々年父子自分人質に出で、身を捨て計策せし童父子が事、重罪の者なれば時日を移されず首を召されて候はんと存候所に、思ひの外未だ存生致し居候由承はり候、去りとては叶ひ難き申事に候へ共、童が僕は理を曲げて命を賜はり候へかし、年比召使たる其好みに申にては、努々之なく候、彼の者年の程には比類なき健気の者に候、古語にも後生可レ畏と申伝へて候へ、左候へば助け置き行末の器量をも見申度存ずるなり。御赦免に於ては安独斎、生前の望み之に過ぎ候はずとなり。資正之を聞て嘸ぞあらん、此童去々年十六歳の程にも似ぬ振舞、実に後生可レ畏の理はり義に当れり、只生けて返すべしとて、父子の者を獄舎より出し使僧に之を渡せり。安独斎、感悦大方ならず、甥の上田主計を以て、幣礼を厚くして之を謝す。是より松山衆下屋に働く事なかりしとぞ。
書き下し
同九年、安獨齋、僧長江を使として資正方へ申越しけるは、去々年父子自分人質に出で、身を捨て計策せし童父子が事、重罪の者なれば時日を移されず首を召されて候はんと存候所に、思ひの外未だ存生致し居候由承はり候、去りとては叶ひ難き申事に候へ共、童が僕は理を曲げて命を賜はり候へかし、年比召使たる其好みに申にては、努々之なく候、彼の者年の程には比類なき健氣の者に候、古語にも後生可レ畏と申傳へて候へ、左候へば助け置き行末の器量をも見申度存ずるなり。御赦免に於ては安獨齋、生前の望み之に過ぎ候はずとなり。資正之を聞て嘸ぞあらん、此童去々年十六歳の程にも似ぬ振舞、實に後生可レ畏の理はり義に當れり、只生けて返すべしとて、父子の者を獄舎より出し使僧に之を渡せり。安獨齋、感悦大方ならず、甥の上田主計を以て、幣禮を厚くして之を謝す。是より松山衆下屋に働く事なかりしとぞ。
現代語訳
同九年、安独斎が、僧の長江を使者として資正のもとへ言ってきました。「一昨年、父子が自分の人質として出て、身を捨てて計略をした童の父子のことは、重罪の者なので、時を移さず首を召されたことと存じておりましたところ、思いのほか、まだ生きておられるとうけたまわりました。そうは言っても叶い難い申し出ではございますが、童の僕は、道理を曲げて命を賜りたいのです。長年召し使った好みで申すのでは決してありません。その者は、年のわりには比類のない健気な者でございます。古語にも『後生畏るべし』と申し伝えております。そうであれば助けておいて、将来の器量を見たく存じます。お赦しをいただけるなら、安独斎の生前の望みはこれに過ぎません」とのことでした。資正はこれを聞いて、「さぞそうでしょう。この童は一昨年、十六歳の年にも似ない振る舞いをした。実に『後生畏るべし』の理が当たっている」と言って、ただ生かして返すとして、父子の者を獄舎から出して使いの僧に渡しました。安独斎は感激することひととおりでなく、甥の上田主計を使って、礼を厚くして謝しました。これより松山衆が下屋に攻め寄せることはなかったということです。
解説

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