酔古堂剣掃 / 集綺・刀を床側に捉る
分果車中,畢竟借人家面孔;捉刀床側,終須露自己心胸。
書き下し
果を車中に分つは、畢竟人家の面孔を借るなり。 刀を床側に捉るは、終に須らく自己の心胸を露はすべし。
現代語訳
車の中に果物を投げ入れてもらうのは、結局は生まれ持った顔立ちのおかげにすぎません。寝台のそばで刀を持って控えていても、最後には自分自身の胸の内がおのずと現れるものです。
解説
見た目の美しさと、内に秘めた器量とを、二つの故事で対比した一則です。前の句は、晋の潘岳の故事で、美男子の潘岳が車で出かけると、女性たちが果物を投げ入れて車がいっぱいになったと伝えられます。それは顔立ちという借り物のおかげだと著者は言います。後の句は、『世説新語』に見える曹操の故事です。匈奴の使者に会うとき、曹操は自分の容貌に自信がないため、風采の立派な崔琰を身代わりに立て、自分は刀を持って寝台の傍らに控えました。ところが使者は、傍らで刀を持つ人こそ英雄だと見抜いたといいます。外見はいくら飾っても、器量は隠しきれないということです。
この章句が説くこと
器量容姿人物故事内実
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