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名将言行録 / 『名将言行録』太田資正 忠義と読みの確かさ

○上杉憲政、平井を捨て越後に奔りし時、扇谷の上杉朝定、岩槻に來り、一向に賴む由を言入ければ、資正涙を流し、曾祖父道灌は忠ありて罪なく候ひしを、修理大夫殿、曾我鹽谷が讒言を信ぜられ、糟谷の館に於て橫死して候、其頃某は生れざる以前の事なれども、兄にて候三郎は、心を盡して讒言を構へたる曾我をば討取り、偖扇谷殿をば先祖の仇と思ふべからず、と吳々申て腫物を病み死て候。箇樣の遺言なくば資正は生れ付たる腹立症の者にて、君の御兄弟を恙なくとは申間敷候へ共、今日の御有樣を見參らせては、思ひ殘す方もなく候、とて直垂の袖を濡しける。朝定、此言を聞き暫時は淚に咽びて詞も出さず。良ありて資正、何事も今は是までにて候、平井の事こそ覺束なく候へ、臆病至極の町人原、我身を遁れんが爲め、龍若君を取り參らせ、必定降參仕るべく、彼妻鹿田九里と云ふは、境の町人なりと承はり候へば、頼むに足らずとて、先以て朝定の使者として、那須某を遣はし、事の樣を尋ぬるに、平井には長尾佐治右衞門數千騎にて馳來り、龍若丸を守護する由聞えければ、資正、偖は別儀なく、左候はゞ、越後輝虎の發向を勸めんとありし所に、明年正月下旬、長尾、平井を捨ける由聞えければ、資正驚き、早速中村伊勢守に五百餘人を副へ、龍若丸を迎ひとして平井へ遣はしけれども、一日以前小田原へ捕はれたりとて城中には人もなし、捨置きたる財寶を町人、百姓等爭ひ取り、蔀遣り戸壁墻を壞ち、散々に荒果てたり。憲政出奔の後一年を過ぎざるに、右の如くなれば、伊勢守大に怒り、數日逗留して馳廻り、妻鹿田等、並に降參せし人々の殘黨を打捕り、三十餘人が首を蓮沼に掛けさせ府中の狼藉强盜を靜め、飛脚を以て、輝虎に注進せり。輝虎之を聞き、伊勢守を褒賞し、太田が家の水を飲めば、犬も能く獸を取ると言て笑はれしとぞ。

新字:○上杉憲政、平井を捨て越後に奔りし時、扇谷の上杉朝定、岩槻に来り、一向に頼む由を言入ければ、資正涙を流し、曽祖父道灌は忠ありて罪なく候ひしを、修理大夫殿、曽我塩谷が讒言を信ぜられ、糟谷の館に於て横死して候、其頃某は生れざる以前の事なれども、兄にて候三郎は、心を尽して讒言を構へたる曽我をば討取り、偖扇谷殿をば先祖の仇と思ふべからず、と呉々申て腫物を病み死て候。箇様の遺言なくば資正は生れ付たる腹立症の者にて、君の御兄弟を恙なくとは申間敷候へ共、今日の御有様を見参らせては、思ひ残す方もなく候、とて直垂の袖を濡しける。朝定、此言を聞き暫時は涙に咽びて詞も出さず。良ありて資正、何事も今は是までにて候、平井の事こそ覚束なく候へ、臆病至極の町人原、我身を遁れんが為め、竜若君を取り参らせ、必定降参仕るべく、彼妻鹿田九里と云ふは、境の町人なりと承はり候へば、頼むに足らずとて、先以て朝定の使者として、那須某を遣はし、事の様を尋ぬるに、平井には長尾佐治右衛門数千騎にて馳来り、竜若丸を守護する由聞えければ、資正、偖は別儀なく、左候はゞ、越後輝虎の発向を勧めんとありし所に、明年正月下旬、長尾、平井を捨ける由聞えければ、資正驚き、早速中村伊勢守に五百余人を副へ、竜若丸を迎ひとして平井へ遣はしけれども、一日以前小田原へ捕はれたりとて城中には人もなし、捨置きたる財宝を町人、百姓等争ひ取り、蔀遣り戸壁墻を壊ち、散々に荒果てたり。憲政出奔の後一年を過ぎざるに、右の如くなれば、伊勢守大に怒り、数日逗留して馳廻り、妻鹿田等、並に降参せし人々の残党を打捕り、三十余人が首を蓮沼に掛けさせ府中の狼藉強盗を静め、飛脚を以て、輝虎に注進せり。輝虎之を聞き、伊勢守を褒賞し、太田が家の水を飲めば、犬も能く獣を取ると言て笑はれしとぞ。

書き下し

○上杉憲政、平井を捨て越後に奔りし時、扇谷の上杉朝定、岩槻に來り、一向に賴む由を言入ければ、資正涙を流し、曾祖父道灌は忠ありて罪なく候ひしを、修理大夫殿、曾我鹽谷が讒言を信ぜられ、糟谷の館に於て橫死して候、其頃某は生れざる以前の事なれども、兄にて候三郎は、心を盡して讒言を構へたる曾我をば討取り、偖扇谷殿をば先祖の仇と思ふべからず、と吳々申て腫物を病み死て候。箇樣の遺言なくば資正は生れ付たる腹立症の者にて、君の御兄弟を恙なくとは申間敷候へ共、今日の御有樣を見參らせては、思ひ殘す方もなく候、とて直垂の袖を濡しける。朝定、此言を聞き暫時は淚に咽びて詞も出さず。良ありて資正、何事も今は是までにて候、平井の事こそ覺束なく候へ、臆病至極の町人原、我身を遁れんが爲め、龍若君を取り參らせ、必定降參仕るべく、彼妻鹿田九里と云ふは、境の町人なりと承はり候へば、頼むに足らずとて、先以て朝定の使者として、那須某を遣はし、事の樣を尋ぬるに、平井には長尾佐治右衞門數千騎にて馳來り、龍若丸を守護する由聞えければ、資正、偖は別儀なく、左候はゞ、越後輝虎の發向を勸めんとありし所に、明年正月下旬、長尾、平井を捨ける由聞えければ、資正驚き、早速中村伊勢守に五百餘人を副へ、龍若丸を迎ひとして平井へ遣はしけれども、一日以前小田原へ捕はれたりとて城中には人もなし、捨置きたる財寶を町人、百姓等爭ひ取り、蔀遣り戸壁墻を壞ち、散々に荒果てたり。憲政出奔の後一年を過ぎざるに、右の如くなれば、伊勢守大に怒り、數日逗留して馳廻り、妻鹿田等、並に降參せし人々の殘黨を打捕り、三十餘人が首を蓮沼に掛けさせ府中の狼藉强盜を靜め、飛脚を以て、輝虎に注進せり。輝虎之を聞き、伊勢守を褒賞し、太田が家の水を飲めば、犬も能く獸を取ると言て笑はれしとぞ。

現代語訳

上杉憲政が平井を捨てて越後へ逃れたとき、扇谷の上杉朝定が岩槻に来て、ひたすら頼りにすると言い入れたので、資正は涙を流して言いました。「曽祖父の道灌は忠義を尽くして罪がなかったのに、修理大夫殿が曽我や塩谷の讒言を信じられて、糟屋の館で横死されました。その頃、私はまだ生まれる前のことですが、兄の三郎は心を尽くして讒言を構えた曽我を討ち取り、扇谷殿を先祖の仇と思ってはならないと、くれぐれも申して、腫れ物を病んで死にました。このような遺言がなければ、資正は生まれつき腹立ちやすい者で、君の御兄弟を無事に、とは申しますまいが、今日のご様子を見ては、思い残す所もございません」と、直垂の袖を濡らしました。朝定はこの言葉を聞いて、しばらくは涙に咽んで言葉も出ませんでした。しばらくして資正は、「何事も今はこれまでです。平井のことが心もとなく思われます。臆病至極の町人どもは、我が身を逃れようとして、龍若君を取り申して、必ず降参するでしょう。あの妻鹿田九里という者は、境の町人だと聞いておりますので、頼むに足りません」と言って、まず朝定の使者として那須某を遣わし、事の様子を尋ねさせたところ、平井には長尾佐治右衛門が数千騎で駆けつけて龍若丸を守護しているということでした。資正は「さては別の事はない。それならば越後の輝虎に出陣を勧めよう」と言いました。ところが翌年正月下旬、長尾が平井を捨てたということが聞こえたので、資正は驚き、すぐに中村伊勢守に五百余人を副えて、龍若丸を迎えに平井へ遣わしましたが、一日前に小田原へ捕らえられたとのことで、城中には人もなく、捨て置いた財宝を町人や百姓が争い取り、蔀や遣り戸や壁、垣を壊して散々に荒れ果てていました。憲政が出奔して一年も経たないうちにこのようになったので、伊勢守は大いに怒り、数日逗留して馳せ回り、妻鹿田らと降参した人々の残党を打ち捕らえ、三十余人の首を蓮沼に掛けさせて、府中の狼藉・強盗を鎮め、飛脚で輝虎に注進しました。輝虎はこれを聞いて伊勢守を褒賞し、「太田が家の水を飲めば、犬もよく獣を取る」と言って笑ったということです。

解説

曽祖父道灌を殺した扇谷上杉家に、恨みを超えて尽くす資正の姿を描きます。兄の遺言がなければ腹立ちやすい性分だと自ら言いつつ、頼ってきた朝定に涙を流して応じる誠実さが核心です。後半では、平井の町人の信頼性を見抜き、手を打つ資正の判断が語られます。結果として手遅れだったものの、部下の中村伊勢守が混乱を鎮め、輝虎に褒められます。三十余人の首を掛けたという処罰の描写は、当時の厳しい統治のあり方で、現代の模範ではありません。個人の感情と組織への義理を分けて動く姿勢に注目できます。
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この章句が説くこと

資正扇谷上杉道灌遺言忠義平井

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